第12話 人間らしくないと言われても

 昼休みの終わりを告げる5分前の予鈴が鳴った頃、葵衣ちゃんと白刃君が教室に戻ってきた。今か今かと待ち構えていた私は、その姿を確認するなりすぐに駆け寄る。


「葵衣ちゃん、生徒会長だったの!? 知らなかったんだけど!」


 葵衣ちゃんは、少しショックを受けたような顔をした。


「え、校内放送でスピーチしたのに……」


 瑞浪みずな高校の生徒会役員の任期は1年で、毎年4月の始めに2年生限定で会長、副会長、書記、会計の4枠で募集がかかる。演説兼投票日の1週間前から廊下にポスターを貼るなどの選挙活動が許可されているはずだが、私は1年の時からの癖で学校行事や生徒会活動をほぼ視界から排除しがちだった。

 全ては、小説を書くためである。


 まだ実家にいた時、つまり高校に入学したばかりの時点で、私は高校生での小説家デビューを目指していた。家でも学校でも、何をしていても小説のことばかり考え、クラスの人の名前を覚えようともせず創作の世界に囚われていた。小説家になって、やりたい事があったから。


 そんな日が続いた、銀杏が見頃の秋の日だった。

「小説もいいけど、たまには顔を上げて今しか見れないものも見なきゃ、きっと後悔するよ」


 傍目からは本を読んでいるだけに見えたはずの私の思考を読んだかのように、初めて私の席の前に立って話しかけてきた子がいた。


「あなたに何がわかるの」

「昨日、一昨日だったかな? 公園で銀杏見ながら原稿用紙と鉛筆持って3時間くらい座ってたでしょ。小説か、詩でも書きたいのかなって。綺麗な自然もいいけど、高校生の今しか体験出来ないようなこととか、この教室から見える景色とか、私はそっちの方が魅力あると思うんだよね。人生の刹那っていうか、今しかないし」


 他人の意見を聞いて納得したのも初めてだった。それで、この景色に目を向ける気になった。昨日と一昨日の行動を掴まれていたのは不覚だったけれど。


「そうだね、ごめん。失礼だけど、誰? クラスの人の名前、覚えてなくて」


 その子は少し困ったように笑って、しゃがんで目線を合わせてきた。

「やっぱり、誰の事も覚えてないんだ。……双葉葵衣ふたばあおい。よろしくね、夏夜ちゃん」


 私はそれ以来、一旦小説を書くのはやめて今はとりあえず学生生活を楽しむ事に専念することにした。


 それはいいとして、葵衣ちゃんがそこそこ力を入れていたはずの選挙活動を私は去年と同じように無視してしまい、校内放送でのスピーチに至ってはのである。


「いや……本当ごめんね」

「別に謝らなくていいよ。夏夜ちゃんがそういうの興味無いのは知ってるし」

「つい癖で……、白刃君も生徒会入ってたの、すっごく意外」


 そう言って、そそくさと席に座って狸寝入りを決め込もうとする彼に話題を振った。


「冬雪はな、俺が勧めたんよ」藤原君がいつの間にか白刃君の横に立って代わりに意気揚々と話し始める。


「気分転か……いや、お前運動以外大体なんでも出来るし生徒会どうよ、意外と楽しいかもよって春休みに毎日LINE送ってたら最終日にめっちゃ嫌そうな文でOKしてくれた」

 嫌がらせじゃないか。

「嫌がらせじゃん」

 思ったのと同じ事を葵衣ちゃんが繰り返す。


 結局、本鈴がなるまで白刃君は発言権の全てを藤原君へ委ねたかのようにピクリとも動くことはなかった。


 うどんを買いに行く前に、雪蛍さんに借りていた本を返そうと白雪山に寄った。2日連続で訪ねるのは初めてかもしれない。


「緋鞠ちゃーん、いるー?」


 緑生い茂る山の中で、白銀に煌めく羽を目印に呼びかけるが、返事も気配もなかった。結構小さな山だから、簡単に会えると思ったのだけれど。屋敷にいるのかもしれないと、一旦諦めた。


「雪蛍さーん、いますか?」


 玄関に呼び鈴がないので、すこし戸を開けて呼んでみる。蛍がいつでもいるだろうから勝手に上がってもいいと以前言われたが、少し気が引けた。すぐに奥から清流のように繊細な長髪を靡かせて雪蛍さんが出てくる。


「いるよー。夏夜ちゃん、いらっしゃい」

「本、返しに来ました」


 文庫本を差し出すと、雪蛍さんは感心したように頷いた。


「もう読み終わったの? さすがだね。せっかくだから上がっていってよ」

「お邪魔します」


 雪蛍さんが住んでいるからか、ようやく春景色を見せた外と違って、屋敷の中は冷気が漂っていた。夏はクーラーがいらないかもしれない。


「お茶淹れるねー」

「ありがとうございます」


 部屋の入口からは死角になって見えなかったが、相変わらず蛍は顔以外をこたつに埋め、しかも寝ているようだった。

 そういえば蛍の寝顔を見たのは初めてだ。近くに座ってこたつで温まりながら、起きている時の目つきの悪さがない穏やかな寝顔を眺める。


「何見てんだ」

「うわっ!? ……あ、ごめん起こしちゃって……」


 いきなり目を開けて元の愛想無さを取り戻す蛍。いつから起きていたのだろう。怒られる前に話題を逸らす。


「あ、緋鞠ちゃんに昨日会ったよ。思ったより天使っぽかった!」

「あいつは、自分の事を妖精だと言わなかったか」


 変な聞き方だった。


「……違うの?」


 蛍は体勢をそのままに、首だけ振って曖昧に否定した。


「いや、それでいい。、そう思っていていい」


 質問を更に重ねようと少し考えた間に、お盆にお茶と最中もなかを載せた雪蛍さんの襖を開ける音で、何も聞けない雰囲気になった。


 屋敷にお邪魔していたのは30分程度で、うどんを買いに行くからとお茶と最中と本のお礼を言って白雪山を下りようとした。来た時と同じように緋鞠ちゃんに呼びかけるが、返事はない。

 麓の近くで、知らない男の人と鉢合わせた。足を止め、お互いしばらく無言で立ち尽くす。

 一見男性のようだったが、女性だと言われても違和感のない、中性的な顔立ちの人。

 私以外にこの山に入る人間を初めて見た。すぐに、1人心当たりが浮かぶ。やっと会えたけれど、相手にとって私は名前も知らない人だろうから、驚かせないように。そう思ったけれど。


「もしかして、夜拆よひらさんですか?」


 急な問いかけに答えるように、その横髪が揺れた。その後に彼から出てきたのは蛍の名前だった。


「……蛍ちゃんの友達、ですね」


 相手も私のことを知っているようで、私が名前を知っていても別段驚きはしなかった。


「初めまして、夜拆御影よひらみかげっていいます」

「兄と、雪蛍さん達からあなたのことを伺ってます。南雲なぐも夏夜かやです」


 うどんを買いに行くのは、もう少し後になりそうだった。

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