第10話 その目に奇跡を

「今更だけど、蛍って人間とどう違うの?」


 屋敷の周りの雪もすっかり解けきって遅めの桜がこの白雪山に咲き始めた頃、出会って数週間経ったにも関わらず蛍の事をまだよく分かっていない事に気付き、さりげなく聞いてみた。するとこたつから頭だけ出して呆れた顔をされる。


「……今更か」

「いやー、ごめんね。蛍とは友達のはずなのにまだ心開いてくれてない感じして」

「人間嫌いと言ったのを忘れたか」

「忘れてないよ」


 ただ人間嫌いの割には、こうして週に3日は訪ねてくる私に対し、塩対応ながら追い返そうともしないし、たまにみかんとお茶も用意してくれる。昭和みたいだ。今日は雪蛍さんがどこかに出掛けていていないから、初めてあった時以来の2人きりだ。


「不老不死だよ」


 思ったより人間じゃなかった。失礼ながら、私は蛍の「人間じゃない要素」はその鮮やかな黄色と緑のオッドアイのみだと思っていたのだ。蛍と同じくこたつから顔だけ出した黒猫が反応を伺うように青い目を向けてくる。


「じゃあ、ずっとその姿のまま? どれくらい前から生きてるの? 雪蛍さんと暮らしてるのも、それに関係ある? 怪我したら治る?」


 急な質問攻めにも、蛍はめんどくさそうな顔をしつつ丁寧に答えてくれる。


「500年ほど前からこうだ。一応、雪蛍も関係してるけどその辺について教える気はない」


 怪我の方は、と言いかけてこたつから出てどこかへ消える。すぐに、包丁を手に戻ってきた。「怪我の治り方はこうだ。1回しかやらないからよく見てなよ」


 切った。リストカットの要領で、もう少し肘に近い部分を、それよりずっと深く。多分、骨にまでは届いてないと思うけれど。

 痛そう、と思ったのは一瞬だった。次に私は、奇跡を目にする。蛍は、人間ではないのだと、カラコンでは誤魔化しきれないその違いをはっきり知ることになる。

 溢れ出た血が、床に届く前に腕に戻っていく。再生というか、巻き戻しのように。1秒もしない間に、切る前の綺麗な状態の腕に戻る。


「見たな」

「あっ……うん。痛くないの?」

「いや痛覚くらいある」

「そうなんだ……、ごめんねわざわざやってくれて」

「暇だったからいい」


 そして蛍は包丁を戻して再び顔以外をこたつに潜らせた。蛍の先程の発言を思い出して、雪蛍さんとこの事がどう関係してるんだろうと今更ながら考えた。答えてくれそうもないので、代わりにこの2本のしっぽを持つ黒猫について質問する。


「この猫のこと、聞いていい?」

「何だ」

「この子、普通の猫じゃないよね」

「……今更か。いや、うん。猫又だ」

 思った通りというか、見たらわかるというか。この猫が妖怪の類なのは前提として、


「何で猫又飼ってるの?」

「飼ってるんじゃない。一緒に暮らしてるんだ。お前がいない時は、猫耳と尻尾だけ残した人間の姿になって家事もしてくれてるぞ」

「え、見たい!」


 反射的に叫んで黒猫を見る。リアルな猫耳少女(少年?)、見たいに決まっている。猫は少し驚いたような顔をして、それでもこちらを観察するような視線は逸らさない。


「いや、難しいよ。人前でそんなどっちつかずの姿見せるタイプじゃないし」

「じゃあ、どんな感じか教えて! あとこの子の名前、まだ聞いてなかった!」

「黒髪青眼、髪は短い方かな……あと語尾ににゃんとかは付けない。見かけの年はお前と同じくらい。あと名前は教えないようにって言われてる」


 なんだろう、誰かを思い出しそうな気がするけど、分からない。だけど、聞いた限りじゃこの黒猫の姿の擬人化のような見た目だそうだ。残念ながら名前を教えて貰えるほど信用されてないらしい。


「そっか……残念。見てみたかったなぁ」

「あー、お詫びに撫でさせてくれるそうだ」


 いつの間にか、足元に黒猫が来ていた。上目遣いで、片足を膝に乗せてくる。伝統工芸品を思わせるような艶やかな黒くて手触りの良さそうな毛並みに、凛とした表情。多分人間の姿になったら相当な美人だろう。

 優しく背中に触れて、喉を撫でる。ゴロゴロと低い声が聞こえた。


「そういえば、あの男子生徒とは仲良くなれたのか」

「あ、白刃君ね。なんか難しくてさ」


 蛍のアドバイスを受け、葵衣ちゃんや藤原君を介して白刃君と仲良くなろうとし始めて数日経つが、あの暗い瞳が自分を捉えることはなく、繊細に整った顔が僅かにでも笑ったところを見た事はまだ1度もない。


「なんで諦めないんだ」

「……似た者同士、だからかな」


 彼に同情の目は向けないでやって欲しいというのは藤原君の言葉だ。


 あの時、私は天才小説家の母が死んだ時の事を思い出した。ニュースを見たらしき周囲や学校の人達は私を見てかわいそうだと言った。南雲栞の熱狂的なファンは、彼女の未発表の作品は残っていないのか、書きかけで終わった新作はどこにあるのかと聞いてきた。そんな人間に構われる私を見て、更に多くの人が私をかわいそうな子だと言った。


 だったら、そんな変な目ばかり向けてないで何とかしてくれと、子供ながらに思ったものだ。

 きっと白刃君も同じだっただろう。恋人が死んで、多くの同情と疑いの目を向けられて、誰にも測れない程の感情を抱えたまま、葵衣ちゃんや藤原君のようないい友達に囲まれても尚孤独に生きることをやめない、その姿は何にも代え難い稀少なもので。

 そんな彼だからこそ、その心に触れてみたくなったのだ。同情ではなく、好奇心から、その目に光を灯してみたい。

 ────だから、友達になりたい。


「なるほどねぇ……。夜拆よひらも、同情されるのが嫌だからあんな呑気にしてるのかもな」


 蛍はほとんど独り言のつもりで呟いただろうが、私はついその名前に反応してしまった。


「その夜拆さんって、よくここに来るんだよね。どんな人なの?」

「変なやつだよ。記憶をなくして、原因を探ってるはずなのに能天気だし」


 八辻病院の総合内科医、夜拆さん。会ったこともないのに情報だけが増えていく。


「会ってみたいなぁ。医者の1日とか、小説のネタになりそう」

「……まぁ、教えてくれるかもな。小説のネタなら、この山にいる奴は私と雪蛍だけじゃないから、そいつらに聞いてみたらどうだ」

「えっ、他にもいるの!? どんな人!?」


 人という表現が正しいとは思えないが、雪蛍さんや蛍みたいな人達が他にもいるなら是非会ってみたい。この白雪山に、まだまだ非現実的なことが隠れていたなんて。


「……1人は天使みたいな羽が生えた奴で、4ヶ月くらい前からこの辺りに住むようになった。名は緋鞠ひまりという。正体については分かりきっているが、よくわからんやつだ。もう1人は、人間の感覚で言うなら、幽霊に近いな。妖精だが。華花はるかといって、緋鞠の名付け親だ。華花は何年か前からいるな」

「緋鞠さんと、華花さん……。幽霊に近い妖精? 緋鞠さんの正体って?」

「妖精の定義は、実は人間の思うそれとは違う。詳しくは雪蛍に聞け。緋鞠の正体も、言っていいものか分からないから言えない。緋鞠と華花は友達で、華花と出会った時、緋鞠には名前がなかったから華花が付けた。……2人とも、悪いやつじゃないから、多分お前とも友達になりたがるだろうな」

「蛍とは、友達じゃないの?」

「……さぁな」

「ていうか、いつになったら私の事名前で呼んでくれるの?」


 蛍からはお前、と言われるばかりでまだ名前で呼んでもらった記憶がない。蛍なりの線引きということだろう。


「私達は友達じゃないんだ。肝に銘じておくって、自分で言ってただろうが」

「でも蛍、私と話してくれるし、雪蛍さんいなくても追い返さないから、友達だと思ってたんだけど」

「人間の友達は作らない」

「……そう。でも、アドバイスくれたり、話聞いてくれたり色々教えてくれたりするじゃない」

「暇潰しだ」

「じゃあ、暇潰しに私と友達にならない?」

「ならない」

「そっかー」

「日が暮れてきたぞ。お前の同居人も心配するだろう」


 気付けば、もう日が沈んでいる。空の大部分が薄紫色に染まっていた。いつの間にか膝の上で寝ていた黒猫をそっと下ろし、蛍にお礼を言って屋敷を後にした。

 珍しく2人きりで話したからか、少し新鮮な気分で空を見ていた。薄紫色に押され、オレンジ色の面積が少しづつ狭くなっていく。


緋鞠ひまりさんと、華花はるかさんね」


 確認の意味を込めて呟いた時、まるで天使のように白く輝く大きな羽が、夕暮れに映った気がした。

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