第9話 冬の間も、せめてこの日向に
きっかけは、今となっては知りようもない。僕のこの暗すぎる性格のせいかもしれないし、僕に親がいないことが原因だったかもしれない。何かをきっかけに、窓際の席の1番後ろ、中2の時に割り振られたその机には、2学期が始まったばかりの時から誰かが落書きをするようになった。内容は在り来りな、捻りのない悪口。
誰か、と言っても正体は割れていた。クラスにいた女子2人だ。
正直、その事はどうでもよかった。持ち物を壊されたわけでもなく、暴力を振るわれたり金を要求された事もなかった。机の落書き程度なら、少しめんどくさいけど毎朝早めに学校に来て消せばいいんだから。
そんな事より、この事を
僕はその日も、誰よりも早く登校して無心に机の落書きを消していた。冬休みに入る少し前で、雑巾を絞るのも苦痛に感じる朝だったけれど、この時間なら、絶対に誰も来ないと思った。
「冬雪ー! おはよう!」
静かな廊下に2人分の足音が響いて、空気の読めない友人が、雪の降る朝の冷えた空気を切り裂くように元気な挨拶を飛ばしてきた。幸い、証拠隠滅の終わった直後だった。
「おはよう」
その日向の影から、長髪を揺らし吸い込まれるような淡い色の目を向けてきたのは京花だった。
「おはよう冬雪、いつも早いね」
「まあね」
「期末も終わったばっかなのに勉強かー? 俺にも教えろよ点数取る方法!」
「あー、お前は夜中ゲームするのをやめろ」
「え、それはダメだ!」
「また3人で勉強会、したいね」
「そうだね」
「おー、やろうぜ、冬休み始まったら冬雪の家でな!」
またかよ、と僕は笑った。朝7時半、登校時間には少し早いこの教室に、僕のほとんどの、「輝かしい青春の思い出」が詰まっていた。日向が他愛ない話題を振り、京花が目を輝かせる。朝日に照らされて淡く輝く彼女の髪が、とても好きだった。だからこそ。
朝日が住宅街の瓦を鱗みたいに輝かせるこの時間を、3人で構成される青春を、壊したくなかった。
その日、やけにみんなの様子がおかしかった。好きな芸能人の話とか、嫌いな人の悪口とか、そんなバラバラな話題が教室のあちこちに散らばってるんじゃない、全員が同じ話題を口にしていた。1人の女子の話だ。
昨日の夜、……さんが自殺したそうです。
知ってる人もいるかもしれませんが、と置いてから担任がそんな事を言い出した。
教室を占めたのは驚きと無関心だった。僕は無関心寄りだった。それどころか少し嬉しかったくらいだ。僕の机に落書きしていた人間が1人消えた。それ以外メリットもデメリットもなかった。日向はその後も、何も聞かなかったみたいに普通の話題を出してきたし、京花もその女子生徒について何も言わなかった。
……さんが昨日の夜、自殺したそうです。
昨日より、明らかに動揺した様子で担任が言った。当たり前だ。昨日に引き続き、2人目の自殺者がこのクラスから出たんだから。これで、落書きの犯人が2人とも死んだことになる。僕は何も思わなかった。嬉しくもなかったし、悲しくもなかった。
ほかの人たちも、かなり騒がしかった。このクラス呪われてんじゃね、とか、明日も誰か死んだりして、とかそんなことを、死んだ奴になんの感情も持ってなさそうな誰かが言った。
ちょっと不気味だよな、なんて日向は珍しく真面目な顔して言った。京花がその時、どんな顔をしていたかは思い出せない。覚えておけば良かったと、今でも後悔している。
次の日僕は、絶望に叩き落とされる。
………………は?
京花が死んだ。京花が。死んだ? 頭の中で何回繰り返しても、その事実を消化出来ない。大切な人の死を受け入れられないとはこういうことなんだろうかって、思った。
その日をどう過ごしたかは、よく覚えていなかった。
どこから情報を仕入れたのか、マスコミが学校の周りに集まっていた。警察も介入しだした。職員室にも電話が耐えないらしい。新聞の地方紙の1面を飾ったらしい。そんな事はどうでもよかった。
「……冬雪」
放課後まで一言も言葉を交わさなかった日向の、第一声だった。
「話しかけるな」言った後で、少し後悔した。その日は家に帰って何もせず、このまま死ねばいいのにとか思いながら玄関の手前の廊下で制服のまま寝た。
京花。
何で死んだんだよ。
次の日、当然の事と言えばそうだけど、クラス全員、1人1人に取り調べみたいなのが行われる事になった。むしろそれは遅いくらいだった。担任が出席番号順に呼び出して、1人につき数分、何日かに分けてやる事になった。僕の番は、割と早くやってきた。
「その……水上さんとお前、付き合ってたって聞いたけど、そうなのか」無視して帰ろうかと思った。けどここに逃げ場はなかった。
「だったら、なんすか」
「白刃、最初の2人ともその……あんまり良好な関係じゃなかったと聞いてるが」
その時、僕からこの教師の話を聞く選択肢が消えた。
こいつは、知ってて何もしてこなかったのか。あの落書き、あの2人からの敵意みたいなものに。
僕はその時初めて、もう名前も覚えていない2人に対する殺意みたいなものが、自分の中に確かにあったのだと自覚した。
「僕は何も知りませんし関係ありません。あなたもそうでしょう。見て見ぬふりは教師の得意技だろうが」
今度こそ帰った。教室に、じゃなくて家に。ベッドに座って2日ぶりに携帯を開くと、日向からのLINEが何件も入っていた。ごめん、1番辛いの冬雪だよな。話、あんだけど。先生が慌ててる、何したん? お前のこと探してるみたいだけど。
鬱陶しい。全てが。自分が生きてることさえも。
「……、おい冬雪」
「……?」
誰かが僕に声をかけた。見渡せば高校の2年F組の教室で、まだ1学期が始まって1ヶ月も経ってない春で、日向が隣にいた。
「授業中に寝るなんて珍しいな」
「……そうだな」
どうやら昼休みらしい。殺伐としてて寒かった夢の中とは打って変わって、穏やかな空気の中、教室は春の陽気に包まれている。左隣の席では、南雲さんと双葉さんが弁当を一緒に食べてるんだろうけど、見ないようにした。
「大丈夫かよ」
「何」
「なんか、死にそうな顔してるから」
「大丈夫。何でもないよ」
「いつもそれだ」
ほっとけよ、なんて気を抜けば言ってしまいそうだった。大丈夫と答えて本当に大丈夫な奴なんてどれくらいいるんだろう。
「なあ冬雪」
「何」
「自殺すんなよ」
この手の話題をする時の日向はあまりにも真面目そうに見えて、つい本音で答えてしまう。
「約束出来ない」
「前科ありだからな。今度も俺が全力で止めに行くぞ」
「……ごめん」
「謝んなよ」
「……南雲さんってさ」
出来るだけ、日向にしか聞こえないように言った。日向もそれに合わせて、顔を近づけてきた。
「京花に、ちょっと似てるよな」
「俺も思ってたよ、初めて会った時から」
始業式の日、あのなびく長髪、青春に期待するような輝く目に一瞬、彼女の姿を思い出した。だから本当は、関わりたくなかった。
「南雲さんと話してても、どうしても京花と重ねてしまう」
「うん」
「だから、あんまり話したくない」
「分からんでもないよ。南雲さんに、無意識に京花的な1面を求めてしまうからだろ」
「……」
「せっかく冬雪に新しい友達ができようっていうのに、なんか残念だなぁ」
「保護者みたいな事言うなよ」
そう言うと日向は笑って、僕の発言に乗った。
「規則正しい生活送ってるかー?ご飯はちゃんと食べてる? 新しい友達はできた? ってか」
「いやまぁ保護者いないからそれで合ってるか分かんないけど」
日向は気まずそうな顔をした。今更そんな顔するなよ、と僕は思った。
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