第2話 謎の少女と雪女と黒猫
世界を壊す夢を見た。片手に虚構の象徴を持ち、見えない力で少しづつ世界を壊していった。恨みも悲しみもなく、ただ淡々とした作業だった。
そんなことをしているうちに、やがて頭の中は1つの靄に包まれる。
それは私の知らない感情だった。
畳の匂いがした。家には畳がないから、ここはどこだろう? 目を開ける前に少し考える。静かな場所、頭の下には枕の様なものの感触がある。それに背中が少し暖かい。そもそも私はさっきまで何をしていたんだっけ。
浮かぶのはどんな植物よりも美しい緑髪。思い出して目を開けた。
広い和室。縁側から伸びる影は長く、オレンジと青の混ざった空が見えた。周りを確認しようと体を起こした。少し離れた所にいた先程の女の子と視線がぶつかる。
「うちの猫が、ご迷惑をおかけしました」
待っていたように、正座をした少女が膝の上の黒猫を撫でながら言う。
「服にはドライヤーをかけておきました。あともう少しで帰ってくるので、お待ち下さい」
表情一つ変えないまま、要領の掴めない事を言った。
「あ、いえすみません。こちらこそ、家があるのに気付かなくて」
「……何故ここに」
「実は学校で雪女の噂を聞きまして。信じたわけじゃないんですけど、ここの雪が気になって。……あの、もしかして」
「私は雪女じゃないです」
被せるような台詞だ。ではそのオッドアイはカラーコンタクトなのか、と聞く前に、
「でも雪女はいます」
「えっ、どこですか」
「もうすぐ帰って来ますよ」
「わ、私ここにいて大丈夫なんですか!?」
食べられたり、凍らされたりしないだろうか。しかし少女は至って平静に、冷たさすら感じる目線を寄越した。
「大丈夫です。人間好きなので」
「あ、それは良かったです。あなたは、その雪女さんと同居してるんですか?」
「はい。私も人間じゃありませんしね」
意外、いや予想通りの事を言われた。であれば、その目は。
「じゃあその目、カラコンじゃなかったんですね!」
恐らく私が驚き距離を取る事を予想していたのだろう、その子は、私が身を乗り出し両手をつき膝立ちで距離を詰めた事に逆に驚いたようで、猫を下ろし後ずさった。
「……そこですか」
「はい。さっきからずっと気になっていたもので。……あの、どうして離れるんですか?」
話している間にもすり足で距離を取ることを止めないのを不思議に思って訊いた。
「いや、嫌いなんです」
「何がですか?」
「人間」
「えっ」
先程よりもあからさまに面倒くさそうな表情を隠そうともせず言い放った。彼女との距離が、最初よりも遠くなった気がした。
それでも私には、解決したい疑問がいくつかある。1つ、彼女は何者か。2つ、雪女がどういうものなのか。3つ、どうしてこんな所に住んでいるのか。ここに住んでいる人(?)達の事を知りたくなった。彼女と距離を感じるのなんて当たり前だ。ここまで話しておきながら、私達はお互いの名前すら知らないのだ。
「私、南雲夏夜っていいます。あなたは?」
少女は意外そうに、しかし呆れて、今の話を聞いてなかったのかと言いたげにそっぽを向いた。
「……
聞き落としそうになるほど小さい声だった。
「よろしくお願いしますね、蛍さん」
「呼ぶなら、蛍と呼んでください。あと、あんまり近づかないで」
そう言われて、また手が届く距離に近づいていたことに気付く。足元で黒猫がにゃあと鳴いた。
「蛍……ですか」
「はい」
「なら、敬語もやめにしませんか? なんか、呼び方だけ友達っぽくて安定しないです。私の事も、夏夜って呼んでもらっていいですから」
「いや友達になりたい訳では」
「いいでしょ、蛍?」
埒が明かないので早速話し方を崩してみると、蛍は困ったように視線を移ろさせた。
「あー……もう別にいいや……。でも、人間と友達になる気は無いから、忘れないでね」
「うん、肝に銘じておくよ」
人間嫌いは本当なのだろうが、それでも普通に話してくれる辺り根が優しいのだろう。蛍のことをもう少し探ってみようと思案していると、視界の隅に入ったものに気を取られ、表の引き戸がガラガラ開く音に気付かなかった。
「ただいま〜」
「あ、帰ってきた」
話に出た雪女さんのお帰りらしい。蛍は出迎える風でもなく、部屋に入ってくるのを待っている。
「あれ、お客さんかな?」
どうやら私の靴が玄関にあるらしい。続いて、襖が開く。その姿を一目見て、この人が雪女だと思った。
雪のように白い肌、薄氷のように繊細で長い薄水色の髪、帯を除けば何故か襟の部分だけ青く染められた白い着物、そして宝石のように輝く目は左が水色、右が緑のオッドアイ。ここに来た時の私と同じように、マフラーを付けている。マフラーも青系だ。
「あ……お邪魔してます……」
「初めまして。蛍のお友達かな?」
「違う」
蛍が事情を話せば、雪女さんは私の背後に回って後頭部を触ったりじっと見たりしている。異常がないか見てくれているらしい。
「大丈夫そうだね〜他に痛いところはない?」
そう言って私の顔を覗き込んでくる。近くで見れば見るほど顔立ちが恐ろしいくらいに整っていて、私が今まで出会ったどんな人より美しい。蛍もそうだが、人外ゆえか。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「そんな畏まらなくて大丈夫だよ〜、その制服、
「南雲夏夜です。その、ゆきほってどう書くんですか」
「雪に蛍だよ」
「蛍と似てますね。姉妹でしたか」
「いやいや、たまたま名前が似てただけだよ〜」
そう言って笑った。その笑顔から、綿雪のようにふわふわとした印象を受ける。視界の端で蛍が何か言いたそうにしていた。
「夏夜ちゃん、帰りが遅くなったら親御さん心配しない? 大丈夫?」
「あ、大丈夫です。私、兄と二人暮らしで、兄も今日遅くなるらしいので」
「そっか。でも暗くなるとここじゃ迷っちゃうかもしれないから送るよ」
「はい、ありがとうございます」
家庭事情を聞いてこなかったことにも内心感謝しつつ、私は雪蛍さんに山の麓まで送ってもらうことにした。
帰りざまに振り返る。
「じゃあ、またね蛍!」
「またなんてなくていいから」
「ごめんね、蛍は人間嫌いなの」
「さっき本人が教えてくれましたよ」
「あ、そうなんだ。……でも、人間には本来あの家は見えないようになってるの。だから夏夜ちゃんが来たことには何か意味があるんじゃないかな」
言いながら雪蛍さんは傍らの猫を見下ろした。私が蛍と出会った時からずっといる、黒猫だ。雪の中を歩いてきても、その体には白いところが全く見当たらない。
「そうなんですか」
「うん、だからまた遊びに来てね」
「ありがとうございます、また来ますね!」
雪蛍さんと手を振って別れた後、紫色に支配されつつある空を見つめながら少し考えた。気になることがまた1つ、出来たのだ。
あの猫には尻尾が2本あった。気付いたのは雪蛍さんが帰ってくる直前で、聞く機会を逃してしまったのだ。
でもひとまずは、葵衣ちゃんにここであった事をどう説明するか、それを考えなければいけない。私は一旦考えるのをやめ、ほとんど沈んでしまった太陽に向かって走り出した。
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