第3話 探偵と天才

「ただいまー」


 誰もいない部屋に声を掛けた。兄は遅くなるらしいので、夕食を作っておこう。

 見慣れたレシピを片手にうどんを茹でていたら、玄関のドアが開く音がした。


「ただいまー……」

「おかえり。依頼はどうだった?」

「もう大変。依頼者が探偵雇ったこと言いふらして尾行がバレそうになるし、何より決定的な証拠が掴めなくて」


 兄は私立探偵だ。探偵といっても事件は解決せずに人探しや浮気調査、猫探しをしている。事務所が近くにあって、月に数件の依頼が舞い込んでくるらしい。今は浮気調査をしているとのことだ。鍋にしめじを入れながら適当に返答する。


「お疲れ様」

「疲れたー。録画してたアニメ見よ」


 そしてアニオタだ。入ったことはないが部屋には魔法少女ものや戦隊もののアニメグッズが並び、夜中2時まで起きて深夜アニメをリアタイする始末である。ジャンルはSF系から日常系まで幅広く視聴し、今ハマっているのは何だったかな、何か物凄く長いタイトルだった気がするのだけど。


「今日は煮込みうどんだからね」

「ありがとう、明日は俺作るから」


 夕食作りは基本的に1日交代制だ。ふと、蛍達の事を兄に話してみようかと思った。


「お兄ちゃん、白雪山って知ってる?」

「あー、あの雪積もってるとこ」

「そうそう。なんであそこだけあんななってるか知ってる?」

「やー……行ったことあるけどめっちゃ寒かっただけで何もわからなかったな」

「だよね」


 無駄だろう。話したとしてもあの屋敷が見えてない限り、雪蛍ゆきほさんや蛍達の存在を確認する事も出来ない可能性が高い。何よりこんな突拍子もない話をこの兄が信じるはずがない。考えながら、鍋に竹輪を投下した。


「そういや、新学期どう? 新しい友達出来たか」

「あー、なんか陽キャっぽい男子とちょっと話したけど友達って程じゃないかな。でも葵衣ちゃんはまた同じクラス」

「そっか。良かったな」


 話しているうちに煮込みうどんの完成だ。だけど兄には悪い事をしてしまった。

 豚肉を入れるのを忘れてしまったのだ。




 時刻は7時半。また早く来すぎてしまった。でも早起きしすぎてしまった朝は意外にやる事がないものだ。涼しい風に昨日のことを思い出す。またあの白刃君はいるだろうか。下の名前を忘れてしまったので葵衣ちゃんに訊いておこう。

 人気のない廊下、教室の前に立った。中の蛍光灯がついている。迷わずドアを開けた。

 昨日と同じ本を読んでいた。持ち運びに便利なサイズの、青い表紙の本。私が見つめていても、気付いているのかいないのか、微動だにしない。思い切って声をかけてみる。


「おはよう、白刃君」


 僅かに肩を動かし、少しだけ顔を上げた。それでもしっかり目が合う。


「……おはよう」


 教室が静まり返っていないと聞き逃してしまうような声だった。そしてすぐに本に向き直る。顔はとてもいいのに、何だかもったいない。でも正直無視されると思っていたので、距離が縮まったような気がして、昨日とは少し違う気分で席に着いた。



「白刃君ってどんな人?」


 昼休み、お弁当の唐揚げをつつきながら葵衣ちゃんに訊いてみた。葵衣ちゃんは袋入りの煮干しを齧っている。


「んーとね、めっちゃ頭いいよ!」

「あ、そんな気がする」

「多分学年で1番! ほらあの、入学式の新入生代表で舞台上がってたの覚えてる?」


 言われても正直微妙だった。何せ入学式は半分寝ていたのでほとんど覚えていない。


「あー……そうだったかも……?」

「しかもあれで全然勉強してないし」

「それは嘘でしょ」

「それが本当なの。小5の頃から知ってるけど、成績とか心の底からどうでもいいって思っているのが白刃君だよ」


 天才肌ってやつか。羨ましい限りだ。


「へぇ、顔が良くて頭もいいなんて、人生楽しそうだね」


 白刃君の下の名前をどのタイミングで訊くか考えていた私には、その後の葵衣ちゃんの呟きが聞こえなかった。


「そうでもない……かな」



「そういや、白刃君って藤原君ともなんか仲いいよね」

「中学からの友達だって。藤原君は白刃君にとってはほぼ唯一の友達だよ」

「葵衣ちゃんは友達じゃないの?」

「んー……私はあんまり2人で話したことないし、白刃君も多分友達って思ってないと思う」

「そうなんだ。結構冷たい感じ?」

「確かに、名前からして少しクールなイメージだよね。冬雪ってさ」


 期せずして、白刃君の下の名前を思い出させてくれた。安心したら、葵衣ちゃんに用意していた土産話を思い出した。


「そういえば、白雪山行ってきたよ」

「え、どうだった!?」

「めっちゃ寒かった。あと向日葵咲いてた」

「えー、なにそれ! 今度私も行ってみようかな」


 なんとなく、蛍や雪蛍さんの事は話さなかった。どうせ葵衣ちゃんにも見えない屋敷だし、話したところで信憑性が無さすぎる。


「ちなみに、なんで白刃君の事訊いたの?」

「あー……なんとなく?」

「私より藤原君の方が詳しいと思うよ」

「そっか。じゃあ機会があったら訊いてみるね」


 訊かない時の常套句だ。少なくともこの時はそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る