第十場 虹色の帰り道
「大主教さま」
「じいちゃん、しっかり」
皆が移動しても座り込んだまま動かない大主教に、タモラとジャンヌダルク、トニーが触れる。
「私の…私の結末は…」
「じいちゃん、もういいんだよ。心配しなくてもイングランドは大丈夫だよ」
しかしトニーの言葉は耳に入らないようで、見えない目でどこかを見つめながら、うわ言の様に同じ言葉を繰り返すだけだった。
「じいちゃん…」
もう笑ってくれることもないのだろうか。トニーは固い背中をさするしかなかった。
「犯した罪への、これが神が下した審判なのだろう」
現れたのは大主教の秘書係、アンジェロ司祭だ。
「余生を安らかに過ごされるよう務めるのが私の役目だ。安心してほしい」
「うちらはいずれ消える魔法やさかいね、あんたに任せるしかあらへん。頼むで」
獰猛なタモラが子を慈しむような表情で大主教の頬を撫でる。
「心配はいらない。私とて大主教さまをお守りしたい気持ちは同じだ」
じいちゃんをアンジェロに託すと、トニーは女二人と階段を上がる。攻撃されるかもと一瞬警戒したが、輪になって酒を飲んだ距離感と大主教を大切に思う同じ気持ちを、タモラと目が合って感じた。
「もたもたするな! だからイングランド男は嫌いなんだ」
下からジャンヌダルクに尻を叩かれる。
外に出ると、日が差しながら降るミストシャワーの雨に、虹がかかっているのが目に入ってきた。
「あぁー懐かしいぜえっ! ロンドンの雨の匂いだ」
ヘンリーとリチャードは二人並んで、ぐるりと周囲を見渡す。
「あそこで王冠を被り、玉座に座った」
リチャードが南西方向にそびえ立つ茶色の建物を指さす。
「ああ、ウェストミンスター寺院な。オレも覚えてる。儀式用にあつらえた絹の法衣に、宝剣と王笏だよな」
「あと王杖に指輪。それから大主教に王冠を被せられて、玉座に座った。玉座の形を覚えているか?」
「モチロンだ。あん時はシビれたな」
「あの瞬間のことは、他に例えられないな」
白薔薇の髪にミストの細かい雨粒を浴びると、その一粒一粒が光を反射して透明に光り輝く。彼はまぎれもなくヨークの王、そしてイングランド王だった。
神々しくもあるその姿を見つめていると、自然とライラは言っていた。
「リチャード、わたし、あなたの血縁でよかった。会えて嬉しかった」
リチャードはまた言葉を失わされたようだ。台本通りにいかない親戚の娘をどう思っただろうか。
「…いつか、将来気が向いた時に、産みの母にも会ってやれ」
変形した手でライラの髪を撫でる。
なんだ、女王と同じで、あなたにもちゃんと人を愛し慈しむ心があるじゃないのと言いたくなるが、またへそを曲げられそうなので、心の中に留めておくことにする。
「シェイクスピア、言っておくが俺はヘンリー5世の二番煎じ役はご免だぞ」
「ったり前だろ、おまえはヘンリーと違って全っ然勇者キャラじゃないし」
「さっきからリチャードばっかりずるいよ~! たとえ望む結末じゃなくてもね、僕たちは君の言葉で表現されて生きたいし、僕だっていっぱい喋って一番の主人公になってみせるからさ~! ねぇ〜シェイクスピアァ~!」
縋り付くハムレットに「見苦しいからおよしなさい」とホレイシオ。
「もー、わかったって! みんなまとめて面倒見てやるから、順番に待ってろ」
「うちは早い方がええわ」
「私も待つのは嫌いなんだ」
「ワガママ言うなよ!」
聞いていたヘンリーが豪快に笑うと、タモラもジャンヌダルクもちょっとだけ微笑んだ。
「あなたのような美しい方と巡り会えたのは二度目の人生の役得だ。来世では今度こそあなたとやりた———」
「おい! ったくおまえは油断も隙もありゃしないな!」
大股でとって返すと今度は、アンに壁ドンしているエドワードの頭にゲンコツする。マクベスとオセロも笑っている。
「おしっ、猪頭亭で飲み直そうぜ。そんじゃ、またな!」
最後にヘンリーが締めて、背を向ける。煙に覆われた彼らは雨粒と日の光を受け、虹色に溶け込んでいく。ライラたちはいつまでもそれを眺めていた。
「行っちゃったね」
けれどまだ、現実と魔法の間にいるような感覚がする。
「あー、疲れた~。もう一歩も動けない。おんぶして」
「うわっ! ちょっとウィル!」
ウィリアムに背中から抱きつかれたアンは、速攻でマシューの方へ放り投げようとするが、
「やだ。絶対離さないから」
とギュッとされ、顔を真っ赤にした。
「これでライラは家に帰れるな」
緋色のウィリアムはマシューの回復を受けて無事だ。ずっと成長を見守ってくれていたと知り、なんだか親戚のおじさんのような親近感をライラは感じている。
「ねえ、トニーはこれからどうするの?」
「ああ…」
ちらと緋色のウィリアムを見上げる。
「心配するな、約束通り、メドがつくまでの生活費は用立てよう」
「ねえ、お父さんの工房に弟子入りすること、考えてみてよ。うちは大歓迎だから」
しかし、ライラがウィリアムを想っているのなら。他の男を想うライラの側にいるのはつらすぎる。トニーは思い切って聞くことにした。
「…けど、いいのか、ウィリアムのこと」
「ウィリアムの? なあに?」
「だから、ライラは、ウィリアムのこと…好きなんだろ」
トニーの視線の先、アンにおんぶされニヤけているウィリアム。
「え? わたしがウィリアムを!? なんでそうなるの?」
「え…だって、イアーゴが———」
そこまで言って頭を抱える。何もないところから産まれるのが…!
「そっそうだよな! なんでもねぇ! いや~パックの早とちりといい勝負しちまったぜ! はっはっは〜」
パックはきらきらしたエメラルドの目でライラの瞳を覗き込む。
「ふぅ〜ん?」
トニーには、ちょっとだけ嘘をついた。サザーク教会の屋根で朝日を見た時、夢を語るウィリアムに心を奪われた。でもそれは恋というより憧れに近くて、だから心の内にしまっておくことにする。
「内緒よ、パック」
「ボクたちだけのね」
微笑むと、パックが頬にすり寄ってきた。
そしてテムズ川を横目に東へ進むと目的地はすぐそこだ。
「ねえ、みんなも一緒に来てちょうだい。わたしの家族に会ってほしいの」
ライラが言うと顔を見合わせて、嬉しそうに頷く。
「では遠慮なく。みんなハンカチの準備はいいか?」
緋色のウィリアムが答えると、
「血が染み込んだハンカチではないぞ」
まさかのアン発言に爆笑する。
家の前では、女性が掃き掃除をしていた。
「コリオレイナスのお母さんじゃないよね?」
まだ魔法の中にいるまま、これはライラの独り言。
それから大きな声で言った。
「ただいま! お母さん聞いて、話したいことがたくさんあるの! 新しい友達もできたのよ!」
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