第三場 ラブ・イン・アイドルネス

 騒ぎが収束したのは日も沈む頃で、疲労困憊の体で戻ったマシューは、粗末な食事すら食べる気にならなかった。


 食卓には曇り顔のライラと、隣にはトニーが座っている。トニーの具合はあまり良くなかった。タモラが放ったつぶての傷は魔法の力でも完全には快癒せず、更に取り出せなかったいくつかは泡のように溶けてしまったのだ。体に良い物質とはとても思えないし、影響を考えると口数も少なくなる。


「食事は摂ったのか」

「うん、わたしとトニーは食べたよ」

 ライラが言うなら確かだろう。食べて出すものを出せていれば、今はそれで良い。


「あなたも食べなさい。傷に障る」

 部屋の端っこでうずくまっているハサウェイに呼びかける。彼女は腕の傷に魔法をかけようとしたのを拒み、代わりに部下の命を救ってくれと強く懇願してきたのだ。


「亡くなった兵士の方もいるが、あなたの責任ではない。あなたは元気にならないと」

 しかしハサウェイは膝を抱えるだけだった。


「たっだいま〜。あれ、なんかみんな辛気臭くない?」

 修道僧たちから色々問い詰められるのがめんどいと一人逃亡していたウィリアムだ。

「ったく、どんよりは天気だけにしてほしいな。ほらパック!」


「ハロー、何度見てもかわいいパックだよ」

 小さな煙の中から現れたパックは、ライラにキラキラを振りかけ、沈んだトニーをスルーして部屋の隅っこに向かった。


「おねーさん、名前は?」

 目を丸くしたハサウェイの前でクルッと回転すると、抱えた膝にキラキラが散る。

「…ハサウェイだ」


「それ苗字でしょ? ボクが知りたいのは名前。あと歳も」

「アン・ハサウェイだ。26歳」

「アンちゃんね、その恰好だと国教会所属の兵士?」

「ああ、こう見えても修道女だ」


 愛らしいパックにアンの顔がほころぶ。

「てことは26歳処女なわけね」

 そしてその顔が真っ赤に染まる。

「わっ私は神に仕える身だからな…!」


「ライラは地獄に堕ちるほどイカせてほしいって———」

「わたしも正しいキリスト教徒だから!」

「そうだっけ? マシューはもちろんヴァージンでしょ、アンタは?」


 パックにキラキラを振りかけられて、トニーはちょっとだけ口角を上げた。

「筆おろし済みだ」


「オッケー! じゃ元気復活パーティーね。女子二人、目をつぶって」

 言われた通りにすると、瞼に何か冷やっとするものが触れた。

「なあにこれ?」


「ラブ・イン・アイドルネス。惚れ薬さ。目を開けて最初に見たものに惚れこんじゃうんだ」

「ええっ!?」

 思わずライラは目を開いてしまった。そこにいるのは———


「うそでしょ…なんで胸がドキドキするのよ」

 けだるそうな顔。もっと近くで見たくて…そう思ったら体が動いてしまった。

「うわお前なんだよ! いきなり寄るなよ!」

 大げさに離れようとするトニー。しかしライラはしっかり腕を取っている。


「いいでしょ側に居たいんだから」

 あぁ! なに言ってるのわたし! でもくっつきたくて仕方ない。その衝動を抑えられなかった。


「は…離してくれよ」

「いや。わたしの耳はあなたの声に、わたしの目はあなたの姿に囚われてしまったのよ」

 ライラはトニーの首に抱きつく。


「痛えよ! 苦しいし!」

「ねえ、そのかわいらしい頬を撫でさせて。キスさせてよ」

「よよよよくねえよ!」


 うっとりしたライラの顔。こんな表情で、こんなきれいな目で女から見上げられたことは、トニーの人生で未だかつてない。


「ちょっちょっと待て! 悪かった正直に言うよ、俺まだ童貞だし…こっちにも準備がっ…」

「ねえ好きよ。大好き」


「なっ…なんて破廉恥ハレンチな…! そんなことっ!」

 目をつぶったままアンは立ち上がり、そのまま手探りで裏口から外へ飛び出した。さすが兵士の動きである。


 瞼の上から光を感じないから、外はもう真っ暗なのだろう。しばらく歩を進めて、もう良いだろうとアンは目を開ける。


「うわっ!」

 すぐ目前に柱があり、そのまま額と鼻を強打して地面に座り込む。

「痛たた…」


 目が慣れてくるとそこは厩舎で、畑を耕すために飼育されているロバが目に入った。

「はあうぅっ!」


「はいはーい、おれもおれも!」

 手を挙げたウィリアムの瞼にパックが触れると、一瞬で目を開ける。

「ま、まさか…」

「マシュウゥゥ~」


「よ、よよせっ!」

 背を向けて逃げようとしたマシューの祭服の裾をガシッ! とつかむ。勢いで床につんのめった体にウィリアムが全身でのしかかる。

「いいだろちょっとぐらい」


「よくない! 私は神に仕える身でまだ見習いで…!」

「おれの鋼の心はマシューちゃんという磁石に引寄せられてしまっただけだよ。ついでにムスコも奥の方まで引寄せられそうだ」

「やめてくれそんな罪深いこと!」


「あら~マシューちゃん想像しちゃってる? じゃその祭服をけがしてやろうか」

「ふざけるな! これ以上私を怒らせることを言うなよ! お前の顔をみるだけでキモいんだよ!」


「おれはマシューちゃんの顔を見ないと気分悪くなるんだけど。あぁ~そう言われると一層好きになっちゃうな。そう、おれは犬で、ぶたれればぶたれるほど甘えたくなる。犬みたいにおれのことを殴って、蹴って、いじめて、捨ててくれ。それでも後をついて行くのは許してほしいんだ。マシューちゃんにとってはつまんない男かもしれないけど、せめてそれぐらいの愛は示したいんだよ」


 マシューの喉が上下する。もちろんマシューの人生において、こんな風に愛を示されたのは未だかつてない。


「マシューの顔はまるでお日さまみたいだ。今が夜だなんて考えられない。マシューちゃんという人が、おれにとっては全世界そのものなんだ」

「真剣な顔でそんなこと言われても、いいわけないだろ…」


「さあ、ウッドバインの巻きヅルがスイカズラに絡みつくのさ! 女蔦はにれのごつい枝にまとわりついて…」

「や、やめてくれぇ! 誰かっ! 誰かぁーっ!」


「真の愛がたどるのは、きついデコボコ道だよマシューちゃん!」

「アアアアァァッ!!」


「人間ってほんとアホみたい」

 戸棚の上にちょこんと座ったパックはニコニコしながらつぶやくのだった。


 厩舎では、アンが茶色の毛並みに頬をすり寄せている。

「あぁロバオ、ロバオ、どうしてあなたはロバなのだ?」



※『夏の夜の夢』

アテネの公爵シーシュース(テーセウス)はアマゾンまで遠征し、女王ヒポリタを妻にする。結婚式が間近に迫ったある日、公爵のもとに三角関係の裁きの相談。イージーアスの娘ハーミアは好きな男ライザンダーがいて、父が決めた許嫁ディミトリアスとの結婚が嫌というもの。

アテネの法律では父親に軍配があがったため、ハーミアとライザンダーは駆け落ちする。アテネ郊外の森で二人は待ち合わせるが、ハーミアを想う許嫁ディミトリアスが追いかけ、さらにこの男を未練タラタラ元カノのヘレナが追いかけてくる。

しかもその夜、森では妖精国王オベロンと妻ティターニアの夫婦喧嘩が起きていた。そこで登場するのが妖精の惚れ薬。パックの勘違いのおかげでぐっちゃぐちゃになり、妖精女王ティターニアはロバ男と一夜を共にするハメに。最後はめでたくそれぞれのカップルが成立し、合同結婚式を挙げる。


※「わたしの耳はあなたの声に、わたしの目はあなたの姿に囚われてしまったのよ。そのかわいらしい頬を撫でさせて」 第三幕第一場 ティターニア

※「おれの鋼の心はマシューちゃんという磁石に引寄せられてしまっただけだよ」 第二幕第一場 ヘレナ

※「これ以上私を怒らせるようなことを言うなよ!お前の顔をみるだけでキモイんだよ!」 第二幕第一場 ディミトリアス


※「おれはマシューちゃんの顔を見ないと気分悪くなるんだけど。あぁ~そう言われると一層好きになっちゃうな。そう、おれは犬で、ぶたれればぶたれるほど甘えたくなる。犬みたいにおれのことを殴って、蹴って、いじめて、捨ててくれ。それでも後をついて行くのは許してほしいんだ。マシューちゃんにとってはつまんない男かもしれないけどさ、せめてそれぐらいの愛は示したいんだよ」 第二幕第一場 ヘレナ

(そんなDV男好きになっちゃダメだろ!?というセリフだが、ここでいう犬とは高級スパニエル犬のこと。VIP待遇でそれなりに扱えという意味もある)


※「お前の顔はまるでお日さまみたいだ。今だって夜だなんて考えられない」 第二幕第一場 ヘレナ

※「ウッドバインの巻きヅルがスイカズラに絡みつくのさ!女蔦は楡のごつい枝にまとわりついて…」 第四幕第一場 ティターニア

※「真の愛がたどるのは、きついデコボコ道」 第一幕第一場 ライザンダー

※「あぁ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」『ロミオとジュリエット』第二幕第二場 ジュリエット

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