第四場 舞台

 ひどい夢を見た気がする。新鮮な空気を吸いたくて、ライラは早朝の屋根に上がった。


 昨日はここで人が亡くなったのだ。ロンドンで強盗殺人はよくあるが、目の前で起こったのは衝撃だった。

 あれが大主教の魔法なのだろうか。あんなのがまた来たら——— 


「ここにいたの?」

「…ウィリアム」

 寝癖のついたふわふわ頭でひょっこり現れた彼は、膝を抱えたライラの横に並んで腰を下ろす。


「昨日は怖かったよな。おれもだよ」

「ウィリアムも? エアリアルと戦ってたのに?」

 彼は少し口元を歪めて、笑ったような苦いような顔をした。


「ほんとはさ、喧嘩とか苦手なんだよね。ケンカにゃケツ、宴会は真っ先にってフォールスタッフみたいなのがおれ」

「だからいつも争わずに逃げ回ってるのね。あ、ううん悪い意味じゃないよ。ケンカっ早くない男の人がいたっておかしくないと思う」


 この時代、男性がモテない理由ベスト3にはビビリがランクインする。だから男たちはメンツが絡むとこぞって腕っぷしを誇示するのだが、ライラには必ずしもそれが一番とは思えないのだった。


「おかげで逃げ足は自画自賛の天下一品だしね。でもそれじゃ、ライラが家に帰れるようにならないからなぁ」

 ウィリアムは立ち上がる。


「あそこ、テムズ川のすぐ手前の小径こみちを一本入ったとこに劇場があるんだよ。ロンドンで一番古い劇場でさ」

「あの建物ね」

「そうそう。いつかあそこで上演したいんだ」


 珍しく晴れた空に上り始めた朝日がオレンジ色の瞳を染める。まるで太陽をもらったようなウィリアムに、ライラは目を奪われた。


「それって、パックやフォールスタッフおじさんが出てくるの?」

「うん! 昨夜みたいにさ、嫌なことなんかぜーんぶ忘れて、みんながおれの船に乗って楽しい夢を見てるみたいなね!」

 その顔を眺めていると、こっちまでワクワクしてくる。


「わたし、見てみたい! わたしなんかでも分かるかな?」

「もちろんだよ! 老いも若きも、誰でも楽しめるのが下ネタだって言ったろ?」

「それはぁ…」


 何やかんや言いながら、もはやそんなに恥ずかしく感じていない自分にライラはまだ気付いていない。


「この世すべては舞台、人間誰しもただの役者」

 少し冷たい朝の風が二人の髪をなびかせる。


「なあにそれ? 誰かのセリフ?」

「ライラにはライラの物語があるし、たとえ演じさせられていたとしても、それもライラの物語に変わりないってことさ」


「難しすぎてぜんぜん分かんないよ」

 ウィリアムは一つ微笑んで、ライラに手を差し伸べた。

「戻ろう。作戦会議しなきゃ」


 全員が揃うと、朝食を摂りながらウィリアムが始める。

「まず状況を整理しよう。ライラは国教会から追われている。アン、君はその理由を聞かされているかい?」


「いや。ただ無傷で確保するようにとだけ命じられていた」

「利用する目的は今のところ不明ね。次におれ。おれは国教会から肉1ポンドを要求されている。これはマシューによると、大主教がより強大な魔法を手に入れる為だ」

 頷くマシュー。


「では魔法で何をするつもりなのか、それは不明。で次、トニーは大主教の魔法の『鍋』、宝珠オーブを盗んだことで追われている。注目すべきはおれとライラの追手は兵士だけど、こっちは大主教の魔法らしき存在ということだ。これはトニーの依頼主が緋色のウィリアムだからだと思う」


「どういうこと?」

「大主教が脅威を感じる相手ってことさ。大主教にとって最も避けたいのは何だ? 事実が明るみになることだよ。つまり緋色のウィリアムはそれが可能な人物で、タマは証拠物件てことだ」


 頭に? が浮かんだライラに代わり、マシューが受ける。

「可能というと、政治的実権を握る人物か」

「大主教のこんなスキャンダルを女王が見逃すわけないだろ?」

 マシューは顎に手を当て考える。


「カンタベリー大主教の政治影響力は、女王とて無視できるものではない。同時に、大主教にとっても女王がいつまたカトリックに回帰するという危険性は常につきまとうといえるな」


 事実、先代女王メアリー1世はカトリック回帰の政策をとり、プロテスタントや国教会を迫害した。後に『ブラッディ・メアリー』と呼ばれる所以で、大主教も一時国外亡命を余儀なくされたのだ。


「大主教の目的はまさか、王権を転覆させること…?」

 呟いたマシューにウィリアムが続ける。

「女王を敵視するなら、ヨーク家の復権を狙ってるって筋はどうよ」


 遡ること約120年前、イングランドは薔薇バラ戦争という、その華麗な名とは正反対の血生臭い権力闘争下にあった。赤薔薇を紋章にしたランカスター家と、白薔薇を紋章にしたヨーク家が30年間にわたり骨肉の抗争を展開したのだ。


 争いはランカスター家のヘンリー7世がヨーク家のリチャード3世を打ち破り、更にヨーク家の王女と結婚したことで両家の統合を成し遂げ決着した。今上きんじょうエリザベス女王はその統合されたテューダー家である。


「リチャード3世の遺体は汚辱を加えられたうえ、裸で引き回されたらしいからね。100年やそこらじゃ怨念は晴れないんじゃない?」

「抗争が終結した後もヨーク家はテューダー王家に対し、たびたび陰謀を企てたと聞くが…」


 ヨーク家に連なる者は粛清されたがその恨みは未だ潰えず、生き残りが密かに復権を狙う。それはロンドンで100年の間、まことしやかに囁かれ続ける都市伝説だった。


「ま、全部推測の話だけどね」

 ウィリアムはまとめる。


「この通り、おれたちには情報が無さすぎる。これじゃ勝ち目なんてないわけ。そこでだ、大主教に近しい奴に聞き込みしたいんだけど、知り合いはいないか?」

 マシュー、アン、トニーは互いに顔を見合わせた。


「私は顔見知り程度で、特別話せるような聖職者仲間はいないな」

「不良聖職者のマシューちゃんは友達いなさそうだもんね」

 マシューのこめかみが波打ったが、腹を立てるだけ無駄と悟りを開いたようだ。深呼吸で心を落ち着かせる。


「私は大主教の顔は見たことがないし、知り合いもいない。役に立てずすまない」

 と、アン。残るはトニーだ。

「カンタベリーの聖歌隊してた時に、よく子供たちに菓子をくれた司祭がいる。聖歌隊の面倒もよく見てくれてたからそいつとなら話せるぜ。アンジェロって名だ」


 おぉ、と全員の顔が輝く。しかし、

「アンジェロだって? あいつは無理だ。大主教の身辺の世話係でうってつけだが、信仰心の塊のような奴だぞ」

マシューが打ち砕く。


「ふぅん、世話係ってことは、きっと一緒にウェストミンスター寺院に来てるんだよね」

 眼光で鋭く三人を見回すと、ウィリアムは紙とペンを用意させた。


 それから彼が組み上げたシナリオに、ライラは真っ先に大きな声を上げた。

「無理よ! わたしなんかに絶対無理! アンの方が大人っぽくていいと思う!」


「いや私ではもっと役不足だ。おまえ…いや貴殿の魔法で作るわけにいかないのか?」

「そうよ!キャラ出せばいいじゃない」


「簡単に言うけどね、作ったキャラ出して動かして喋らせるのって、ものすごい消耗するんだからな? 奴らはまた必ず来る。しかも次は姉妹喧嘩を始めるようなのじゃなく、あのタモラって女クラスのがね。それまで温存しておきたいんだよ。それに、これはライラ自身がやるからこそ動かせることだよ」


 いつもの軽い口調だが、ウィリアムの目は真剣だった。

「ライラには絶対に危害は加えさせない。それに君だって知りたいはずだよ」

 なぜわたしが狙われるのか。お父さんとお母さんは何を隠しているのか———


 それを言われると反論できない。

 それからライラが頷くまでもう少し時間はかかったが、全員の気持ちが一つになる。

「シェイクスピア劇場と言うにはちょっと登場人物少ないけど。始めようか!」

 まずトニーが向かうは、ウェストミンスター寺院である。



※「ケンカにゃケツ、宴会は真っ先に」(「ケンカが苦手なオレ様パーリーピーポーにァ、このテに限る」と続く)『ヘンリー4世 第一部』第四幕第二場 フォールスタッフ


※「この世すべては舞台、人間誰しもただの役者」『お気に召すまま』第二幕第七場 ジェイクィーズ

シェイクスピアイズムの一つ。『ヴェニスの商人』のアントニオや『マクベス』のマクベスにも同じようなセリフを言わせている。

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