第六場 少年と大聖堂
サザーク教会では、マシューとトニーが待っていた。
「勝手なことしてごめんなさいっ…!」
頭を下げたライラを咎めることなく、無事で良かったとマシューは朝食を勧めてくれた。
「私は務めがあるから、ゆっくり休みなさい」
「…ありがとう」
ライラは頭を上げられず、スカートを握りしめた。
ウィリアムは疲れたと頭まで毛布を被ってしまい、食堂にはトニーと二人になる。
「あんた、
ライラとウィリアムがいない間に、彼はいくらでも自由に動けたはずだ。
「お前と一緒にすんなよ」
「わたしは逃げたわけじゃ…!」
つもりはなくても結果は同じだ。ライラは口をつぐんだ。
「自分と一緒にすんな、って最初に言ったのはお前の方じゃん」
「それは…確かに言ったけど…ごめん」
昨夜はライラも気が立っていて勢いで言ってしまったが、トニーの身なりは悪くない。ライラと同じ職人家庭の至って普通の子ではないかと思う。
「ねえ、どうして盗みなんてしたの?いくら緋色のウィリアムからの依頼だからって、断れなかったの?」
思い切って聞いてみた。すると意外にも素直に話してくれた。
「俺だって、罪人になりたくて盗みなんかしたんじゃねえよ。俺、カンタベリーで聖歌隊やってたんだ」
大聖堂の聖歌隊。無論誰でもなれるわけではなく、厳正なオーディションで審査されると聞く。
「すげえだろ?ただ歌が好きなだけじゃ務まらねえんだぜ。友達からは冷やかされたりしたけどよ、あんな立派なところに自分の声が響いて、大勢の人が熱心に聞いてくれて、拍手もらえて。想像してみろよ」
トニーがライラに笑いかけてくれたのは、これが初めてだった。
「親も誇りに思うって言ってくれた。けど、声が出なくなっちまってさ。それで突然終わり」
掠れた声で自分の喉仏に触れる。それは誰にでも必ず訪れることで、トニーのせいではない。
「歌が好きで歌に全てを懸けてきたから、もうなにすればいいのか分かんなくてさ。うちの親は本当の親じゃなくて、叔父さん夫妻なんだ。実の子供も他にいて、俺だけよそ者。聖歌隊やめたからって迷惑かけらんねえじゃん?そんなとき声かけられてさ、ウィリアムはロンドンでの当面の生活費も出してくれるって言ったんだ。だからタマを盗んだ報酬を親に渡して、家出ようと思って」
なんと言えば良いのか分からなかった。男の子がそんな風に悩むなんて、想像したことがなかったのだ。
ライラだって初潮を迎えた時はびっくりしたが、自身の体つきが変わっていくのを嫌だと思うことはなかった。
けれど素直に話してくれたということは、きっと誰かに聞いてほしかったのだと思う。
「じゃあ、カンタベリーにはもう戻らないんだ?お父さんお母さんにも会わないつもりなの?」
「そりゃ盗人だからな。家の敷居をまたがせてもらえると思ってねえよ」
「すごいなあ。ロンドンで一人で生きていくって決めてるんだ」
「まだなんにもできねえけどな」
「あ、わかった。大聖堂で聖歌隊やってたから大主教や周りの人とも面識があって、そのつてで盗み出せたのね」
トニーは頷くと、ズタ袋から宝珠を取り出してテーブルに置いた。
「緋色のウィリアムはこいつを売って金にするもんだと思ってたけど…。オレ、大主教に会ったことあるけど、確かにちょっと変わったじいちゃんだったぜ?けど暗黒魔法っていったら魔女を呼び寄せたり死人を甦らせたりするやつだろ?そんな人じゃないと思うんだよ」
宝珠を手に取る。目が合うと、ライラにも持たせてくれた。ずしっと手の平に質量を感じる。
「だからもし、これのせいでおかしくなってんなら、俺がどこか遠くに捨てるから、それで元のじいちゃんに戻って欲しい」
「…優しいのね。わたしも、わたしもね、本当のお父さんとお母さんじゃないんだって」
青い宝珠を両手で包み込む。
「だから今日助けてくれなかったのかな。でも、血は繋がっていなくても親子に変わりないって言ってくれてたんだけどね」
できるだけ淡々と話すよう努めた。泣いてしまわないように。
叫んでも来てくれなかった父母の顔を見た時、ライラは悟った。二人はライラが狙われる理由を知っているのだと。
「あんたは、親から愛されなかったようには全然見えないぜ。むしろ愛情いっぱいワガママに育てられただろ?だからきっと、脅されてるとかなにか事情があんじゃねえの」
互いによく知りもしない相手が言った言葉なのに、なぜか勇気づけられた。どん底まで落ちたからかもしれない。
きっと事情がある。それは絶望の淵から伸びる一筋の光のように思えた。
そう信じよう。つきとめるまでは、わたしだって家には帰れない。
「そうだ、わたしのお父さんはガラス職人の親方なの。火事で焼けちゃったセント・ポール大聖堂の修復もやっててね、いつも人手が足りないってぼやいてるから、弟子に雇ってくれるかも」
「大聖堂のステンドグラスってすげえよな。カンタベリー大聖堂もさ、翼廊が二重になってて、なんかこう、神様の世界に続いてるみたいなんだぜ。そっか、大聖堂を作る仕事か。いいなそれ」
掠れた声でトニーは笑ってくれた。その顔にライラも笑うことができた。
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