第二幕

第一場 暗黒より出し刺客

 もう一度冷静になって思い返してみる。


 明け方、予想通りライラという娘は家に戻ってきた。しかし家の周りは国教会が見張っていると入れ知恵されたようで、かなり警戒していた。

 ようやくのチャンスにもかかわらず取り逃したのは、お尋ね者ウィリアム・シェイクスピアの仕業だ。


「なぜ奴が娘を助けるような真似をしたのか」

 いつものように古めかしい戦士たちが邪魔をしてきた。部下に任せ自分は娘の確保を最優先にその場を抜けようとした時、が現れたのだ。


「あれも奴の魔法だというのか」

 輝くサラサラの金髪、意識の強そうなくっきりとした眉と瞳。そしてあの言葉を思い出すと、ハサウェイの胸は今でも高鳴る。


「どうしたんだ私。落ち着け、冷静になれ…」

 あれは魔法だ、この世に存在しない者の言うことだと思う程に、ハサウェイの想いは強まるのだった。


「どんな声だったか…」

 男らしくて、でも少年らしさも残って、やさしくて。名は何といったか。


「何を考えてるんだ私はあぁぁっ!今はそっちじゃなぁい!」

 もう一度会いたいなんて、絶対絶対言えない。言ってはならない。


「おのれ、妖しげな幻術で惑わし誘惑するとはシェイクスピア!なんといかがわしい輩!」

 上がってしまった心拍数を下げたくて目の前のマグカップを掴んで投げつけると、派手な音を立てて割れる。そこへ入ってきた部下が戦慄して姿勢を正した。


「ハサウェイ隊長!娘の潜伏先が判明しました。サザーク教会です」

「すぐ出撃だ。準備を整えよ」

「はっ!」


 床に散った破片をダン!とブーツの底で踏みつけると粉々になる。

「おのれシェイクスピア…許せん」


 腰まで届く長い赤髪を手早く団子にまとめる。締め付けがきついプレートメイルに胸を押し込む。いた長剣にはカンタベリー大主教の紋章。神の為に生きると誓った印だ。


 外は変わらずの曇天だ。サザーク教会は中央にそびえ立つ四角い塔と、そこから伸びる四本の尖塔が特徴的な建物である。


「周囲は固めたな」

「はっ!ネズミ一匹逃さぬ包囲網です!」

「目的は娘を無傷で確保することだ。シェイクスピアには目をくれるな」


 ハサウェイが教会の正面扉をノックし、しばらくすると男が細く開けた。祭服から、まだ司祭に叙階されていないとわかる。

「務めの最中にすまない。ここに、ある娘が匿われているという情報があり、中を確認させてほしい。その娘というのは少し訳ありなのだ」


「そのような事実無根を仰られても。何かの間違いでしょう」

 扉を閉めようとするので足を挟んでブロックする。

「調べはついているのだ!往生際が悪いぞ。騒ぎにしたくない、大人しく引き渡すのだ」


「知らぬと申しています。ここは神の家、お引き取りください」

 司祭見習の男は頑として引かない。強情な奴だ。仕方がない。


「…本意ではないが」

 目くばせとともに、兵士がわっと押し寄せ強引に扉を奪い、司祭見習いを突き飛ばすと教会内になだれ込んだ。


「くまなく探せ!必ずいるはずだ!」

 床に倒れこんだ司祭見習いにハサウェイは抜き身の剣と共に近づき、腕を取って引き起こす。


「一緒に来てもらうぞ」

「地獄に堕ちるがいい」

 口が悪いのは見逃すことにする。


 入口から主祭壇に至るまでは左右の柱から延々繋がった高いアーチ状の天井が続き、訪れる者を天上へといざなう。重厚さと厳格さを揃えた佇まいは、こんな時でなければ真っ先に祈りを捧げたい。


「なぜ奴らをかくまうのだ。貴殿も国教会の一員、我々とは同士のはず」

 しかしハサウェイの問いは発見の報告にかき消された。


「居ました!屋根の上です」

「なんだと!?すぐ追うのだ!」

 司祭見習いを捕えたまま教会の外に出ると、確かに屋根の上に3人の男女がいた。一人はライラ、もう一人はシェイクスピア。もう一人の少年は知らない。


「こんなとこ来ちゃってどうすんのよ!?」

 逃げ場を失ったライラがウィリアムを責め立てる。その間にも、兵士がじりじりと屋根を伝い近寄っている。


「ほら、あそこの飛梁とびはりに飛び移って!」

「無理に決まってんでしょ!?やだそこの兵士、こっち来ないでよ!来たら飛び降りてやるんだから!」


 こんな状況で、なかなか肝が据わった娘だ。

 飛梁の先は地面なので、ここから登って行ったら奴らを挟み撃ちにできるだろう。ハサウェイが指示しようとした時、何かがすぐ目の前を駆け抜けていった。


「…っああうぅっ!」

 右腕と右腹に激痛が走る。何が起きたのか分からないまま、体から血が流れていた。

 それを見た司祭見習が駆け出す。


「駄目だき…」

 危険だ、動くな、そう言おうとしたが痛みに舌がもつれ、膝をつく。しかし彼は燭台を手に戻ってきた。


「今治すから、大丈夫だ」

 癒しの魔法。暖かい光が腹を覆って、痛みがすうっと引いていく。


「今のは何なのだ?どこへ行った?」

 見回すと、それは四肢がある人の形をしていて、飛梁を驚くべき速さでよじ登り、屋根を這い上がっていくところだった。


 全身を黒い外套で覆い、蜘蛛クモとしか形容できない2人。しかもどちらも女だ。

 屋根の上でハサウェイの部下とはち会うと、女は腕を横に薙ぐ。部下の体から赤が散り、力を失った体が落下していった。


 ライラの悲鳴が響く。同時にハサウェイも叫んでいた。

「なんのつもりだ!!よくも…!」

 次々と部下たちが犠牲になっていく。ハサウェイは必死で退避を呼びかけるが、蜘蛛の速さの前では為す術もない。


 その間にもう一人の蜘蛛がライラの方へ向かう。

「逃げろ!!」

 思わずハサウェイは叫んで訴えていた。


 しかし狙いはライラでもシェイクスピアでもなく、もう一人の少年だった。

「人のものはちゃんとお返しなさい」

 女が蜘蛛の脚のような腕を伸ばす。


 掴まれそうになり、少年は巧みに身を翻す。しかし不安定な屋根の上、バランスを崩しそうになり腕を大きく振り回して、もう見ていられない。


「殺されるぞ…!」

 まだ魔法を受けていない右腕の痛みなど介さず、ハサウェイは無我夢中で立ち上がった。今から飛梁を登ったところで間に合わない、中から階段を上って——


 屋根の上で、蜘蛛女を見据えたウィリアムが指で自分の左腕に文字を描く。

「出てこい、エアリアル」

 煙とともに現れたのは、長い銀髪に、虹色に発光する肌と羽根を持つ妖精だった。

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