第2話 鼻打ち、鯖落ち、一騎討ち ①

XX暦XX年 XXの月XX日 XX:XX:XX


 「いや、まだ、死に」


 意識の覚醒。気付けば俺は地面に倒れ伏していた。

 短時間の内に二度も経験しているからか、体は脳信号に強制されるまでもなく反応し、すぐに飛び起きて周囲を警戒した。自分で言うのもなんだが、触手への恐怖が体に染み付いたようだ。


 周りを見渡していると、自分が立っているのが草原という事に気が付いた。それも一面見渡す限りの草っ原だ。

 どうやら日中のようで、雲一つない空がしっかりと草原一面を照らしていた。


 周りに触手らしき存在が確認できないのが分かると、俺は地面にへたり込んでしまった。ずいぶんと魘されていた気もするし、20にもなって恥ずかしい限りである。


 「ここには、あの触手が運んで来たのか?」


それとも記憶にないだけで、自力で触手から逃げ出して命からがらここまで逃げ延びたのだろうか。

 俺がそう考えていると、草原を風が通り抜けていっだ。随分と心地の良い風だ。思えば、ここに来てから全く寒くない。コートを着ていると、むしろ暑いくらいだ。


 「九州か、それとも...海外か」


 赤道近くならば、この時期にこの気温でもおかしくはないのかもしれない。

 一瞬異世界かも?とか考えかけたけれども、俺が課金をやめるくらいありえない話なので考えるのをやめた。


 「そうだ、課金といえばあのスマホ...!?」


 周囲の警戒に頭を割いていたせいで忘れていたが、肌身離さず持ち歩いていた大切なスマホは?

 ヒビが入って。

 液晶が割れて。

 中から触手が出てきたあのスマホは。

 確実に。

 データが飛んで──


 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」


 ここ数ヶ月で一番の大声が出た。


 ───

 ──

 ─


 「俺の...俺の二年半が...」


 正直、どことも知れない草原に放逐された事よりもダメージが大きい。

 その後暫く地面をのたうちまわり、「スマホ消滅」という言葉を飲み込めるようになるまで体感半日かかったのであった。

 許すまじ、触手。さよなら、俺の青春。


 現状を解決する手立ては二つ。

 現在位置の把握と、犯人探しだ。

 定かではないが、どうにも触手、またはその宿主的な何者かに拉致られた説以外には現状考えられない為、ターゲットは「スマホから触手を出す事ができるやつ」とする。自分で言うのもなんだが、アホらしい限りだ。

 しかし、スマホから出てきたのであれば、あのスマホが触手の宿主ではないだろうか?

 その理屈でいくと、スマホの持ち主であった俺が触手の宿主であるのではないだろうか。とうとうスマホが反逆するようになってしまった。日頃雑に扱いすぎたせいかもしれない。


 「なんてな。...取り敢えず、適当に歩いてみるか」


 軽口を叩ける程度には精神も安定してきた。幸い課金前に腹ごしらえを済ませていたお陰で空腹ではないし、体に不調も感じられない。

 兎にも角にも、俺が起死回生の一歩を踏み出そうとしたところで。


 目の前に青くて長方形の何かが出現し。


 思い切り。


 ブチ当たった。


 「ぶへっ」


 そしてそのまま地面に頭から突き刺さった。

 出現したソレへのファースト着弾点は鼻だった。言わずもがな鼻は人体の急所だ。視界がチカチカして涙が滲み、三度意識を絶ってしまおうとするも、激痛がそんな真似は許さないと言わんばかりだった。


 暫く鼻と後頭部を押さえ、逞しく茂っている草の上でのたうち回って、どうにかこうにか平静を取り戻した。

 鈍痛が一番苦手だ。じわじわ効いてくるのが課金後の後悔みたいで嫌だからだ。

 それはさておいて、俺は視線の先の、まさしく出鼻を挫いた憎き長方形を睨み付けた。



 『NAME: 』



 丁度、横の長さが俺の両腕を伸ばしたくらいの、半透明の青いスクリーンに表示されているのはその文字だけだけだったが、大方名前入力画面だろうと思った。

 理由としては、それがゲームに出てきそうなウィンドウみたいだったから、としか言いようがない。

 丁度VR技術が発展すれば、こんな風にメニューを出現させて、自由に操作する事が出来るのかな、とも思った。


 しかしこのスクリーン、宙に浮いている。周りを見渡しても一面緑で、どこにもこれを投影したり出来そうなプロジェクターなりなんなりがありそうには思えない。

 恐る恐る手を伸ばすと、そこにはまるで、大理石に触れたかのような感触があった。

 まさか触れられるとは思っていなかったので、驚き半分、興奮半分くらいの心境だ。


 「すげーハイテク...というかどこから出てきた?どうやって浮かしてんだ?」


 試しに押してみたり、引いてみたりしたが全く動かない。まるで空間に固定されてしまっているかのようだ。

 暫くそのスクリーンをぺたぺた触っていたり、念じたりしていると、結構様々な事に気がついた。

 例えば、


「なんで試しにやってみただけなのに消したり出したり出来るんだよ...」


 こいつ、俺が念じると消したり出したり出来るのだ。理由は不明である。今深く考えると更にややこしい事態になりそうだったので、そういうものなんだと気にしない事にした。

 あと、俺の視界の範囲内ならどこにでも出せたり、実体を持たせるか持たせないかを選べたり、サイズの調整とかも出来たりした。

 出来そうな事を片っ端から試してみたのだが、まさか殆ど出来るとは思わなかった。


 理由は、不明である。


 あと、丁度セミコロンの横あたりに触れ続けるとスクリーン下部にマイクのマークが表示されることに気がついた。音声認識ということだろうか。

 名前を教えたところでどうなるのかは分からない──ゲームならばそのままストーリーが進むだろうが、生憎ここは現実である──が、とにかく少しでも手掛かりになりそうな事は試していかなければならないだろう。

 しかし、


 「名前、ね」


 俺は自分の名前が好きではない。

 産んでくれた両親に感謝はしている。名前の由来を聞かされたりもしたけれど、どうしても自分の名前に愛着を持つことが出来なかったのだ。

 理由はなんとなくわかる。




 単純に、自分の事が好きではないから。




 少し考えて、名前入力はニックネームにしようと思い立った。『Sacrificz』で使っていた名前だ。

 一応現実に存在する名前だし、その名前でも承認されるかもしれない。


 「でも、まあ」


 自分の名前でいいか。身分証明書を出せとか言われたらめんどくさいし。

 画面を長押しして、そのまま声を紡いだ。


 俺の、名前は───





 名前を言い終えると、右下に『LOADING...』と表示された後に画面が切り替わった。

 メニュー画面なのだろうか、その画面は丁度画面を6つに等分した感じでそれぞれ、


 上段は左から『ステータス』『モチモノ』『チズ』

 下段は『ケンゾク』『ショウカン』『セッテイ』


 と表示されていた。


 画面を見た瞬間、俺の頭に電撃が走った。光明が刺したとも言っていい。それ即ち、


 「ショウカン...つまり、召喚...!?」




 召喚。一般的には裁判所へ出頭する際などに用いられる言葉であるが、この場合は魔術的な意味での召喚だろう。

 つまるところ、悪魔なんかを呼び出したりするアレである。

 ソシャゲで言うところの、ガチャ、である。

 それを俺の脳が認識した時には、俺の人差し指は画面──メニューの真ん中下部に突き刺さっていて、あわや突き指かと言わんばかりに結構な角度で曲がっていた。

 しかし後悔は無い。俺の前に──ガチャと欲望渦巻く現代に生きる一課金者の前にこのようなエサを突きつけておいて、待てと言う方が無理のある話なのだ。エサを目の前に置かれた犬の方がまだ理性があるレベルである。


 画面が切り替わった。先ほどとは違い、真ん中に大きく日本語で


 『サービス開始記念!SSR以上確定無料ガチャ!』


 と表示されていた。


「サービス開始ってなんのだ?このスクリーンの事かな...あと思いっきりガチャって書いちゃってるけどいいのか?」


 それはさておき、ソシャゲは『タダより怖いものはない』を体現したかのような存在ではあるが、タダガチャは別の話である。

 タダでガチャを引ける。それは純粋無垢だった無課金時代を忘れ、金を払って無料でガチャを引くとか言ってしまう運営の操り人形と化した廃課金プレイヤーの心をも(一時的に)揺れ動かす魅惑の言葉である。当たるかは別として。


 「提供割合が無いのか...今時珍しいな、ハイテクなのに」


 ガチャ...もとい召喚メニューにはガチャを引く機能と右上に小さく表示されている石のマーク、そしてその横の『0』という数字しか見当たらなかった。おそらくそれがガチャ石の残り個数だろう。

 BGMすら無い簡素すぎる画面と、何が出るのかもわからないガチャの内容に一抹どころか結構な不安を抱きながらも、試しに召喚してみることにした。要するに、不安よりもガチャを引きたい欲求が勝ったのである。


 草原を風が吹き抜けた。画面を押す手が震える。ガチャでこんなに緊張するのは、最初にお年玉の一万円を課金に使った時以来だ。

 深呼吸で感情の昂りを抑えていく。


 「よし。...リセマラはやり方わかんないし、狙うは一発目の神引きのみ。訳わからん通知のせいでこんな事になったけど、後の事はこのガチャを引いてからだ」


 そうして俺は、自分の意思で。


 画面に、




 触れた。

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