第3話:幕ノ内弁当に蛆虫を添えて・3

 椿に腕を引っ張られて家を出た。

 そのまま路上駐車のフォードに乗り込み、白花は助手席に、椿は運転席に座る。装飾のない無骨な車内だが、唯一フロントミラーには可愛らしくデフォルメされたコウモリのぬいぐるみがかけられている。

 これは学生時代に白花がプレゼントしたものだ。当時の椿は「一生大切にします」などと言っていたが、最近は窓の汚れを拭くのによく使われている。


「そんじゃ行きますよ」


 椿は勢いよくアクセルを踏み込んで一気に加速する。

 しかし都内の狭い路地でそこまでスピードが出せるわけもなく、すぐに法定速度まで減速した。小さく舌打ちした椿が左手でハンドル横のパネルを操作すると、盛り下がる気分を誤魔化す陽気なBGMが車内を満たした。


「これなに?」

「アーバンギャルドの女の子戦争です」

「知らないけど、好きなの?」

「そうですね。大学時代はコピーバンドやってましたよ。たまにライブハウスにも連れて行ってあげたじゃないですか。私の演奏聞いてませんでした?」

「あんまり。ライブハウスって行くたびに色々な人が色々なものを奢ってくれるんだよね。タダ酒はありがたいけど、奢ってくれる人の話し相手しないといけなかったから」

「あー、わかります。先輩ってオーラが独特っていうか、一部の層に一目惚れされるタイプの美人ですよね。ライブハウスによくいる、変人気取りでアーティスト気取りでサブカル気取りの凡人にチヤホヤされそうな感じ。なんだ、ちゃんとモテてたならそこで手頃な男見つけて専業主婦でもやれば良かったのに」

「誰とも仲良くなれなかったよ。蛆が憑いてるからかな、いつも個性的なキャラクターを期待されるんだけど、とてもそれには応えられなくて」

「私からすると十分変人ですけどね。ハイテンションでわかりやすい変人じゃなくて、低燃費でわかりにくい変人だから長く付き合わないと理解できないんですよ」

「私なんて信条もこだわりも目的もないし仕事もしてない凡人だよ」

「そういう軟体動物みたいな生き方が異常なんです。普通の人は腐って蛆の湧いた弁当を食べながら退職届を出しません。もっとまともなちゃんとした生き甲斐見つけましょうよ」

「それは引きこもりの更生を支援する公務員としての要請?」

「可愛い可愛い後輩としてのお願いですよ。ヤドカリみたいな暮らしを見てても面白くないんですよね。とにかくなんか華やかなことやってください。自殺でも自爆テロでもいいですから、こう、パーっと散るようなやつを」

「公務員がそんなこと言っていいのかな」

「公用車とはいえ、いまどき車内の会話を盗聴なんてしたら上の上の上くらいまで一発リコールですから。あーやだやだ、そういう堅苦しい雰囲気」

「堅苦しいって、盗聴とリコールのどっちが?」

「どっちもですよ。不適切な発言も行為もやらせておいて放っとけばいいじゃないですか。そうさせない抑止力って時点でどっちも同じです。そういう閉塞感を打開できる不適切な変人なんて本当にごく僅かしかいなくて、先輩もそうなんじゃないかって、私も期待している中の一人ではあるんですよ」

「なんで私? いまどきこんなにたくさんの変人が歩き回ってるのに?」


 白花は大袈裟に両手を広げ、窓の外を仰いだ。

 新宿の街は十人十色、異様な外見の人々が溢れかえっている。黒い髪の人、赤い髪の人、青い髪の人、黄色い髪の人。肌が白い人、肌が茶色い人、肌が緑の人。翼を生やした人、角を生やした人、手よりも大きな爪を持つ人。

 もちろん何の変哲もない人間も歩いている。パッと見て変なパーツを伴っているのは概ね半数弱だ。見るからに人間の限界を超えた筋肉を持ち異様に毛深い男性は「ゴリラ」、捻じ曲がった角を額から生やした女性は「ガゼル」というところか。


「こんなの見かけ倒しですよ。いくらおかしな外見をしていても、中身までおかしいわけじゃないんです。インタポレーションが起こったところで、凡人はずっと凡人のままです」


 人類の無差別変異現象、通称「インタポレーション」が起こったのは今から十年ほど前のことだ。

 白花が中学校に通っていた頃、日本人の肌はペールオレンジ、髪は概ね黒、もちろん角も翼も爪も誰にもなかった。当時は少し肌の色が違う程度のことが身体的な多様性だと誰もが思っていたし、白花だって蛆虫とは無縁の生活を送っていた。


 しかし、ある日の深夜にそれが一変した。

 住処も年齢も性別も何もかも関係なく、完全に無差別に人々が変態したのだ。ある人には角が、ある人には翼が、ある人には爪が生えた。

 当時の混乱を白花はよく覚えている。皆がひとしきり驚いて困惑したあと、ありとあらゆる推測がSNSを駆け巡った。放射能説に人類進化説にイルミナティ陰謀説、組み合わせやバリエーションを含めれば一夜で流通した説は千や二千では追い付かないだろう。

 SNSでの情報収集のおかげで状況が把握されるのも早かった。その日の正午頃に流れたニュースによれば、変態した人はだいたい全人口の半数程度、変態の内容は人によって千差万別であるらしい。

 変態の無差別性が判明したことで、「神の選別説」を有力視するコンセンサスが出来上がりつつあった。人類のうち半分程度が神に選ばれ、存在のネクストステージに進んだという説だ。ある人は泣き、ある人は歓喜し、ある人は祈った。


 ところが、その熱狂は三日も持続しなかった。

 何故なら、意外と社会や生活への影響がないということに皆が気付き始めたからだ。変態したとはいっても、せいぜいカラーリングが変わったり、身体パーツが付け加わる程度なのだ。

 翼が生えたところでサラリーマンは会社に行くし、角が生えたところで学生は学校に行く。ほとんどの人の暮らしには大きな影響がなく、変態以上のイベントも特に何も起きなかった。変態した人たちが基本的には二足歩行の人間であることは概ね保たれていて、アメーバになって水道を流れたりバオバブになって庭に根を張ったりした人の話はあまり聞いたことがない。

 白い一本角を生やした当時の内閣総理大臣が「国民の皆さんは外見にこだわらずに今まで通りの生活を送ってください」と声明を出し、実際その通りになった。驚くべきことに、二週間も経つ頃には元の社会生活がほとんど復旧していた。変態に固執する選別説の信者たちの方が白い目を向けられるくらいだった。

 かくして、人類史を塗り替えたはずの突然変異現象、インタポレーションはあっさりと収束した。


「悩みを抱えた引きこもりと話す仕事をしているからこそうんざりなんです。骨の髄までくだらない連中ばかりですよ。ありがちなのが、変態した身体に悩んでウジウジウジウジしてるパターンです。そんなもん考えても仕方ないんだから、開き直って斬新な使い道を探した方が良いに決まってるじゃないですか。その点、蛆が湧いた弁当を食べられることに気付いて、しかもすぐ仕事をやめてゴミを漁って生きることにした先輩はかなり冴えてます。問題があるとすれば、あまりにも自己完結していて社会を変革しないところですね。くだらなくはないけど、決定力に欠けるというか」

「その線でいくと、吸血鬼なのに公務員になった椿ちゃんもわりとくだらないことになりそうだけど」

「先輩の癖に痛いところ付いてきますね。ええそうですよ、私もくだらない連中の中の一人ですよ。まったく、インタポレーションなんてちょっと豪華なアバターごっこですよ!」


 ヒートアップした椿は一気にアクセルを踏み込んだ。制限速度を優に20キロ超えて都心の片側三車線を爆走していく。

 椿のテンションが車の速度を上げ、車の速度が椿のテンションを上げる。果てしない正のフィードバックループが成立する。


「うおっ!」


 しかし、それは突然の急ブレーキで中断された。

 暗く黄色い肌に黒茶の斑を持つ男が飛び出してきたからだ。見た目からすると「チーター」か何かだろうか。

 今では、ほとんどの人たちが便宜のために身体的な特徴に即した動物などの通称を持つようになっている。とはいえ、インタポレーション自体が人類を動物に変える現象だったというよりは、人類が勝手に動物の名前を当てはめていると言った方が実情に近い。

 実際、何とも言い当てにくい特徴を持っているために、適当な生物の名前を無理に捻って使わざるをえない人も少なくない。白花もその一人だ。蛆虫を湧かせはするが、白花自身は蛆の特徴を持たないので、「蛆憑き」などというよくわからない通称になる。

 車が急停止して二人揃って前に勢いよくつんのめる。白花はダッシュボードに思い切り額をぶつけた。


「ああクソ、フリークスめ!」


 椿の口から飛び出る罵声は、ここ十年のうちにいわゆる「Fワード」の仲間入りをした表現である。公共の場で発すればかなり強い侮蔑表現か、際どいブラックジョークとみなされる類のものだ。隣に座っているのが白花で良かったが、もしこれが車外にまで聞こえていたら減俸処分は間違いない。

 いまどき、インタポレーションで変態した人々を指して「人外」とか「元人間」という表現を使うことすらかなりまずい。そういう「人間」中心主義的な表現は既に是正された。人々の身体の在り方が一気に多様化したことでリベラルな人権意識が急速に高まり、僅かでも差別的なニュアンスのある言葉や表現を使うのは好ましくないとされている。

 例えば、インタポレーションから一ヶ月ほど経った頃、ペット用食品専門メーカーが犬耳のあるブラウ女優を広告に起用して大炎上した。「犬耳の女性」は決して「犬」ではないからだ。そのメーカーはすぐに株価が急落して潰れ、今では企業向けのコンプライアンスガイドラインで最も有名な失敗例として語り継がれている。


 今のところ、変態した人々を指す呼称としてはドイツ語で青を表す「ブラウ」が最もニュートラルな表現ということになっている。変態していない人々、すなわち人間の方は赤を意味する「ロット」だ。

 前に誰かがインターネット上で使い始めた呼び方だが、今では政府によって公式に推奨されている。あえて馴染みの薄い外国語を使うことで無用なコノテーションを避けられるほか、色を示す単語を用いることで区別の視認性を確保できる。例えば、ブラウに対する何らかの配慮をアピールしたい製品は青色を使うことが多い。


 椿は無言でハンドルを叩くとアクセルを踏み直した。気分転換にBGMをラジオに切り替え、車内にニュースが流れる。


「本日午前11時頃、歌舞伎町二丁目の雑居ビルで小規模な火災が発生しました。火は既に鎮火され、今は怪我人の救急活動が行われています」

「うわー、すぐそこでついさっきだね」

「これ嘘ですよ。最近この辺で半グレのブラウ同士の抗争が盛り上がってるんですけど、それは公表できないから事件が起きたら火を付けて火災ってことで処理してるんです。その辺は当事者に聞いてください、今から会えますから」

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