第17話 タランチュラ

「華桐先輩」


 持ち物検査の次の日の放課後、蒼は聞き覚えのある声の生徒に呼び止めれられた。身長180cmオーバーの巨体である健二郎の声だ。


「健二郎じゃねえか。指の調子はどうだ?」

「俺は然程ッス。ただあいつらは……」


 取り巻きの2人、太一の方は上腕骨折、もう一人は肋骨を骨折した。


「骨が折れるくらいで蹴ったからな」

「ッス……先輩は、手、大丈夫なんすか?」

「問題ない。それよかあの馬鹿どもは反省したか?」

「それは大丈夫ッス。太一はもちろん、もう1人も」

「ならいい。用件はそれだけじゃないだろ?」

「太一が、あの金髪の人に謝りたいって言ってて」

「んなもん勝手にすりゃ──いや、ああ。俺も付き添うか」

「ありがとうございます!」


 健二郎は頭を下げる。ブンッと音が立つほどの勢いだった。


「それとッスね……」

「なんだ」

「俺に、稽古をつけてください!」

「嫌だけど」

「そんな!?」

「たりめーだろが。そもそも取るべき戦略が違うから大したこと教えられん。それでもと言うなら、俺の稽古は有料だ」

「お、お金……っすか」

「刻陰流の道場に入るかって話だ。興味があるなら来い。喧嘩が強くなりたいだけだったら死ぬほど喧嘩してろ」

「う、ウッス……」

「つってもお前に刻陰流は合わないから──やっぱやめとけ。稽古は無理だが、喧嘩になら付き合ってやる」

「先輩……!」

「俺からも質問があるんだがいいか?」

「大丈夫っす」


 蒼はこの1週間を振り返る。健二郎からの喧嘩、愛羅とデート、ちょっとサボり、お相撲さんとの特訓、稽古、稽古、稽古、持ち物検査、あと昨日のよく分からないアレ。


 それだけではない。合間合間にであるが、オグマ校の1年から喧嘩を売られている。どいつもこいつも健二郎にすら遠く及ばない、大したことがないカスばかりだったが、それを踏まえて質問を行う。


「うちの高校はそんな治安良くないが、今年の一年は特に荒れてんのか?」

「そうっすね……あんま上級生のことはわかんないっすけど、先輩のクラスと比べた感じ、二年生よりは荒れてそうっす」

「そうか。実はこの後シバセンに呼ばれてるんだが、お前も来い」

「俺もっすか?」

「俺の直感がそう言ってる」

「ウッス。ついて行きます」


 漠然とだが蒼は悪い予感がある。

 蒼から芝居に話がある時は厄介事がほとんどだが、芝居から蒼に話がある時はもっと厄介であることが多い。あらかじめ情報を渡しておくことで、突発的に蒼が行動するのを避けるためだ。


「愛羅のは明日の昼休みで良いよな。俺はすぐにシバセンのところ行くが、お前は?」

「俺も行けます」












「シバセン、来てやったぞ」

「ウッス、失礼します」

「遅いぞ華桐と──小田か。連れてきたのか?」

「ああ。良いだろ?」

「ふむ……まあ、良くないが良いだろう」

「えぇ……」

「どうせ今週中には内容はある程度伏せて周知されるものだ」


 保健室特有の薬品の匂いが鼻につく。蒼はちらりとベッドの方を見ると、誰もいないことを確認した。すぐに話はできるだろう。


「用件は?」

「そう急くな。まずは持ち物検査の話からだ。知っての通り、先週華桐によって1年生がナイフを持っていることが判明したため、他の生徒も持ち込んでいるかの検査を行った」

「他に見つかったのか?」

「1年は合計14人。ああ、小田の連れの2人を除いてな。まだ入院中だろう?」

「明日から復帰って聞いてます」

「ふーん。2年は?」

「2年生は2人、3年生は6人」

「多いな。全員しばき倒してやるか」

「私としてはそれで良いんだがね。教育者としてはダメだ。全く、口だけで指導して意識が変わると本気で思ってるんだろうか」

「サツ呼んで指導すれば良いだろ。良いからさっさと本題話せよ」


 合計22人(24人)、オグマ高校の総生徒数721人なのでおよそ3%が所持している事になる。普通は0人だ。異常な人数が所持している。


「前提としてこの情報を共有する必要があるんだ。この22人の生徒のうち、半数がこれを所持していた」


 芝居は机の上に並べられていた、青い液体の入った小瓶の1つを蒼に手渡した。


「これは──」

「ナイフ未所持者でこれを持っていたのは14人。合計25人がこれを所持していた。ナイフもこれも、1年が最も所有率が高い結果だ」

「その瓶、俺のダチが持っていたのを見たことが」


 健二郎は腰を屈めて蒼が手にしている小瓶を見る。青い透明な液体が小瓶の中で小さな波を起こしている。瓶の蓋を見ると蜘蛛のマークが印刷されている。


「健二郎」

「ッス……」


 健二郎は蒼の声から、太一がナイフを持ち出した時と同じか、それ以上の怒気が含まれているのを感じ取った。


「これは麻薬だ」

「えっ!?」

「まだ確証はないが、私もそう考えている」

「えっと……俺にはすごい体に悪そうな液体、としかわかんないんすけど……」

「何年か前に麻薬密売組織の『タランチュラ』が壊滅したって話、聞いたことあるだろ?」


 タランチュラ。このオグマ地区のみならず、隣接するワセノ湾岸区、ヤマト地区、リンキ地区、シカバ地区に蔓延っていた麻薬カルテルだ。高校生・大学生を中心に密売を行なっていたタランチュラは、数年前に突如として壊滅したのである。


「まあ、ここらで売ってたって聞いたんで覚えてます」

「タランチュラの売ってた麻薬には、これと同じような蜘蛛のマークが刻印されていた」

「それって」

「待て待て、模倣してこのマークを入れた可能性を考慮しろ。タランチュラはリキッドドラッグは取り扱っていなかった」

「そんなもん考える必要はあるかシバセン? とっ捕まえてぶちのめせば良いだけの話だろ」

「抑えろ華桐。この件は既に警察にも情報が入っている。お前の出る幕じゃない」

「関係ねえよ。話は終わりだ」


 華桐は小瓶の写真を撮ってから芝居に返し、保健室から出て行った。

 芝居と健二郎が保健室に残された。

 健二郎はなんとなく、蚊帳の外にいた気になっていたが、この小瓶が3人の中で最も身近にあった人物だ。蒼の態度から、これから蒼はタランチュラ残党と目される連中を探し出すつもりだろうが、現状で蒼の取れる行動としては健二郎に話を聞くのが最適解であった。

 それに気づかないほど蒼は荒れている。


「すまないな小田。お前の連れは、持っていなかったか?」

「ッス。太一たちにはヤクは絶対にするなって前々から言ってましたんで」

「そうか。なら、私の知る限りを話しておこう。華桐が麻薬嫌いなことを」

「それは、なんつーか、当然だと思うんすけど」

「まあ聞け。タランチュラの麻薬『SH《スパイダーハック》』が流行っていた頃の話だ。

「えっマジっすか」

「大マジだ。アイツの家にその常習者が盗みに入ったところを華桐は出くわしたらしい。とはいえ、私も怪我をした華桐を見てやった程度で、内情を詳しくは知らん」


 健二郎は驚愕する。タランチュラの壊滅より早い時期、つまり蒼が中学1,2年の頃の話だ。ラリった相手に蒼が怪我を負わされるとは思いもしない。


 実際のところ、スパイダーハックには頭がクリアになり、意識が高揚し、中枢神経の興奮作用、過剰に自信を得た状態になる効果がある。効果中の相手をするのは骨が折れる。

 または、極度の中毒症状により錯乱した状態だったかもしれない。なりふりかまっていられない時、人はどんなことでも行えてしまう。

 蒼が相対したのはどちらかわからないが、危険な相手であったことに間違いない。


「それと、ナイフ嫌いもこの事件が原点かもしれない」

「大怪我って、まさか」

あった。何ヶ所かは致命的な部位に達しそうだったが、アイツ昔から鍛え方だけは尋常じゃなかったからな。あの時は本当によく生きてるなと思った」


 開いた口が塞がらないとはこのことだと、健二郎は思った。同時に、先週の自分たちの行動が如何に蛮勇であったかと思い至る。

 途端に背筋が震えた。


「あの、俺、どうすれば良いスかね……」

「どうもこうも。先生の立場から言えば、蒼に関わるな、友人で手を出そうとしてる奴がいれば殴ってでも止めろ。としか言えん」

「本当に関わらせたくなかったら、話聞かせないッスよね」

「悪い大人でごめんな」

「いえ……」

「華桐が、1人で突っ込もうとしたら言ってくれ」

「ッス」


 健二郎は考える。

 華桐蒼はイカれてる。一体何が蒼の背中を押しているというのだろうか。過去に死にかけた経験があるのに、それにまつわることに向かっていくのはまるで──。


 過去の歯車は刻々と噛み合い出していく。




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