第16話 稽古

 刻蔭道場リング場にて。蒼ともう一人、刻蔭流の門下生である豊田がリング場に上がっている。

 豊田よとだは身長173cm、体重75kg、蒼より一回り大きい。階級で言うなら二人ともスーパーミドル級になる。


 手につけているのはボクシング用グローブではなく、フィストガードの類。

 一定のリズムで軽くフットワークをしているスタイルの豊田とは対照的に、あまり動きがない蒼。


 先に動いたのは──豊田。

 ボクシング経験者の豊田のジャブは鋭い。牽制だとしても十分な威力を持つ。ジャブを難なく蒼は避ける。

 それから数回のジャブ、ローキック。いなされた。

 様子見、隙を探す、攻略の糸口を見つける。どの言い方でも構わないが、体格さで有利な豊田側がそうしている。


 最も意識しているのは距離を保つことだ。少なくとも一歩は踏み込まなければ攻撃は当てられない距離。


「ッ」

「シッ!」


 蒼が動いた。極真空手由来の三日月蹴り。前蹴りと回し蹴りの中間の軌道。豊田の左肝臓を狙った蹴りだ。

 速い。一歩踏み込んでの後ろ足の蹴りだと言うのに。寸前で脇を固めてガードする。受けた腕が痺れる。

 三日月蹴りは親指の付け根の中足骨で肝臓を狙う蹴りだが、ヒットすれば大きくスタミナを奪うことができる。しかし、ガードされた場合、足の甲が相手の肘に当たり逆に蹴った側が負傷する可能性も存在する。


 速いだけでなく、正確な蹴りだった。

 そのまま蒼は右足を前に置き接近する。と、同時に顎を狙った掌底を放つ。


「こッッの!」


 豊田はそれを思わず顔を右に背けて避ける。即座に体制を立て直さなければならない。バックかサイドか、距離を取らなければ。


 しかし、それを許す蒼ではなかった。距離を詰めたのなら多少の身長さは無視できる。また先ほどのように絶妙な加減で一方的な状況を作られるのは気に食わない。


 蒼は掌底を打った右腕を引っ込めず、そのまま豊田の首に回す。捕える。


 豊田は右腕でボディーブローを打つ。蒼に掴まられたのなら、自分は逃げることはできない。ならば、その先を見据えた攻撃をするだけだ。


 一発、二発、三──発目、ブローが入ったと同時に手首を掴まれた。元より無理な姿勢でのボディブロー。既に姿勢を正せる状態でなかった。

 ここまでは読める。ただし、自分の実力では覆すことはできなかった。


 瞬間、右腕を引っ張られ、首を押され、豊田のバランスが更に崩れる。そして空転する。本来は肘を掴んで投げる、首投げである。よほどの膂力がなければ投げることはできない。


 豊田の体がリングに叩きつけられる。背中が衝撃に襲われるが、慣れたものだ。すぐに復帰しようと体を蒼の背中側に回そうとして、眼前に拳があった。蒼の拳だ。


「──っ」

「終わり」

「だな……」


 投げられた時点で勝敗は決する。とどめを刺すことができる余裕を見せればそれは自明だ。


「あー悔し。首取られたの完全にアウトだなー」

「それはそうだが、もっとダメなところがある」

「えっまじ? ボディ殴るのとか?」

「それは豊田の選んだ戦略だろう。タイミングとしてはそのあたりだが」

「んー、んー? わからん」

「首を取られた後、左腕を遊ばせてるところ。脇の下から手を潜り込ませてないんだから死んでないだろ」

「あっ……殴ることばっか集中してた」

「最低でも同じように俺の首を取りに行くべきだった。何もしなかったからあそこから俺有利で進めることができたからな」

「なるほど……他に、俺何できたかな?」

「そうだな、蟹挟みで俺を倒す、首の手を切って後ろに回る、あたりが無難。投げられたくないなら腰を落とす、とか」

「腰を落とす、か。そうだな、それだと首の手もついでに切れるな」

「ああ。俺の方は……序盤何もしてないことか」

「まあ、そうだけど。蒼の方がリーチ短いから距離を取らせちゃダメだな。近寄られた方が身長差で戦いづらいし」

「次ははちゃめちゃに攻め立てよう」

「こわい」


 門下生とのスパーリングは毎日行う練習の一環だ。蒼を門下生が次々に挑む時もあれば、こうやってお互いに感想を言い合う時間を設ける時もある。


 オグマの刻蔭流、3位の実力者は刻蔭流でありながらもその枠に収まらない。ボクサー、総合格闘家、ムエタイ、サンボ、レスリング、柔道、その他諸々、凡ゆる技術体系を会得していっている。

 刻蔭流は全ての技術体系に対して対抗策をもって戦うカウンター型の流派だ。

 対して蒼は多くの技術体系を内包し、その中から瞬間瞬間の最適解を、時には長期的な最善を導き出す戦い方をしている。


 全てを制するが故に、全てを拒絶するか。

 全てを制するが故に、全てに通ずるか。


 現当主、前当主は前者であり、蒼は後者であった。

 だからこそ、刻蔭流としての蒼は3位なのである。











 夜道を走る。同じくジョギングや走っている人がぽつりぽつりといるだけで、ほとんど人はいない道だ。蒼は毎日、この時間になると走っている。およそ20km、欠かさず。

 先週ナイフで切られた時も傷が癒えぬまま走っていた。転けたりしない限り汚れが付くことがないから走った。


 総距離は中学生の頃から変わっていないが、時間は短くなったと記憶している。

 門下生たちからはオーバーワークすぎると言われるが、蒼にとっては練習で疲労した状態から動くことができるかを鍛えられるので必須だと思っている。


 誰もがいつでも万全の状態で闘えるわけではない。いざ勝負が始まれば緊張に襲われるし相手からの攻撃を受ければスタミナが削られる。自分のしたい動きもできなくなっていく。

 だからこそ蒼はバッドコンディションとどう向き合っていくかを大切に考える。

 追い込まれた状況下でどこまで足掻けるか。

 どのような戦略を取るか。


 答えはその時にならないとわからない。

 ひたすらに準備し、頭を回しやすくするだけだ。

 如何なる状況下であっても勝つために。

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