第7話 放課後天国

「お疲れ蒼」

「ただいまガミー」

「それ……手、大丈夫?」

「大丈夫じゃないから困るんだなー。そうそう、内緒話だけど、近々抜き打ちの持ち物検査やると思うから気をつけてね」

「厄介ごとだったんだな」

「うん……今日どうしようかな、この手で練習はできないこともないけど」

「朝から死にそうだったし今日明日くらい休んでいいんじゃない?」

「そういうことにしよっか!」


 蒼は自分の席に着くと、次の授業の準備を始めた。ちょうど予鈴が鳴ったタイミングだ。

 加賀美は蒼の機嫌が良くなっていることに気づいた。厄介ごとを差し引いても、少しは気が晴れたということだろう。それが何を意味しているのか、加賀美はわかっている。


「次の授業なんだっけ」

「現国」

「ノートのコピーもらうかもしれん」

「おけ」


 蒼は包帯を少しめくってガーゼを見た。血が滲んでいる。しかし、先ほどよりは出血は治まっているようだ。

 芝居の言葉を無視すれば今日も帰って練習だが、芝居には色々と頭が上がらないし、明日蒼の様子を確認しにくるだろう。練習を休んでいなかったことくらいあの教師は見抜いてくるので今日はやはり大人しくしたほうがいいか。


 5限目開始のチャイムが鳴った。蒼は考えるのがめんどくさくなって寝た。









 帰りのホームルームが終わり放課後となった。今日は学校に来て寝て飯を食って喧嘩して寝ただけだったことを振り返った。

 そういう日もあるよ。

 今日使った教科書の類を個人ロッカーに収納していると、加賀美が話しかけてきた。


「新しい噂流れてるらしいぞ蒼」

「誰の?」

「蒼の」

「どんなん?」

「愛羅・ブリリアント・常安さんわかる? あの綺麗だけどちょっと性格きつめの人」


 蒼は昼休みに出会った喧しい女のことを思い出した。そういえばそんな感じの、なんか長い名前をしていたはずだ。


「ああ、いたな」

「常安さんを1年と取り合ったって噂が流れてる」

「は? なんだそりゃ……いやちょっと待って……あー、そう見えるのか」

「どういうことだった?」

「俺と健二郎──1年のやつな、が体育館裏行く前に、常安が告白されてて、喧嘩終わった後常安と保健室行った」

「つまり蒼と1年が喧嘩しに行くところと、蒼と常安さんが一緒に出てきたところだけ見られて、経緯がわからない人が勝手に吹聴してる感じか」

「だろうよ。ほっとけばそのうち収まるだろ」


 噂に対する諦観である。かつて、問題を起こした時に事実無根な噂も一緒に流れたことがあった。それの火消しなんぞバカらしくてやっていられないことをその時に学んだ。

 どうせあることないこと言ってるのだから、好きなだけ言わせておけばいい。そんなことで自分の価値は揺らぎはしないのだから。


「そうだといいけど。前もそう言った時の噂残ってるよね」

「暴力団と繋がってるとかいうやつだろ。あれ本当に根も葉もないからさっさと消滅してほしい」

「常安さん、誰から告られてたんだ?」

「誰だっけ。なんかパッとしないやつ」

「木盛かなー。アイツ最近常安さん可愛い可愛いってうるさかったから」

「ふーん。興味ね」

「木盛にか? それとも常安さん?」

「木盛とかいう奴には微塵も興味ねぇ」

「へぇ~~」

「なんだよ」

「いや、常安さんには興味あるんだと思って」

「興味……いや、そういうのじゃないな。悪いことしたって思ってる」

「おっと藪蛇だったか。すまん」

「俺が何も話さないのが悪い」

「おセンチになってるね」

「冷静になったらなんかな。ガミ部活行かなくていいのか?」

「そうだった。また明日なー」

「おう……保健室行くか」


 加賀美は顔が良く、スポーツもできる。サッカー部のエースだ。一見、蒼とは連まないタイプのように思えるが、あれはあれで腹の中に一物を抱えている。

 その正体に蒼は薄々気づいているが、興味はなかった。

 蒼はリュックを背負うと保健室へと歩を進めた。
















「入るぞシバセン」


 保健室のドアを開ける。するとすぐに芝居がいた。


「華桐君、ノックをちゃんとしてくれないかな?」

「──うっかりしてたわ。ごめんごめん」

「次は気をつけて入ってきてくれればいいよ」


 開幕から気持ち悪かった。外面……というか普通の生徒・先生向けの口調だ。評判の良い芝居モードだ。つまり、まともの生徒が保健室に来ているのだろう。

 蒼と愛羅がいた時のあの口調が素である。愛羅は残念なことにまともな生徒なのに素口調側に入ってしまった。


「きもっ」

「何か言ったかな、華桐君」

「なんもー」


 保健室に入ると、ベッド側からキャピキャピとした声がしてきいた。愛羅の友人達らしい。それらがこっちを向くと、静かになった。

 オグマの蒼にビビったか、噂の渦中の人物だからか。両者であろう。


「血は止まったよ」

「まだ流れていたら病気を疑わないといけなくなるね」

「取っちゃっていいだろこれ」

「構わないよ」


 包帯を外し、ガーゼのテープを剥ぐ。ガーゼには血が一線入っていた。


「そ、そろそろ帰ろうよ愛羅」

「もう大丈夫なんでしょ?」

「うん、けど今日は大事を取って親に迎えに来てもらうことにした」

「そっか、それなら安心だね!」

「ありがと、2人とも」

「んーん。これくらい、どうってことないって!」

「それじゃ、私たち行くね。バイバイ愛羅」

「バイバーイ」

「また明日ね」


 愛羅の2人の友人がベッド側から出てきた。芝居に一言声をかけて、そして保健室から出て行った。芝居に声をかけてから、2人は蒼のことを睨みっぱなしだったが、蒼は全く気にも止めていなかった。


 噂を鵜呑みにしたなら、愛羅を賭けの対象にしたのだから、当然はたからの印象は悪いだろう。

 愛羅は先程起きたばかりで、2人は愛羅の鞄を持ってきてくれた。優しい子たちであり、愛羅を大切に思っている。

 それ故に、噂のことを『大変だったね』くらいしか話さなかった。愛羅も知っていることだと2人は考えていたからだ。


「シバセン、ランニングは良いよな」

「汗が滲みて痛くなっても知らんぞ」

「それは別に」

「じゃあ構わん。走り終えたら洗って消毒すること。寝るときは付けても外しても良い」

「わかった。巻く時は同じように巻けば良いんだろ?」

「ああ」

「ナイフのことは?」

「さっき会議で言ってきた。しばらく忙しくなるからお前しばらくは問題起こすなよ」

「片隅にくらいは覚えてく。じゃ、帰るよ」

「もう来なくていいぞ」

「本当にそれでいいの?」

「……ダメだな。せめてお前が起こす問題くらいは把握しとかないと胃痛で死んでしまう」


 蒼は席を立った。と、同時に愛羅は蒼に声をかける。


「待ちなさいよ」

「俺か?」

「そうよ。癪だけど助けてもらったことには変わりないから、その……ありがとう」

「要らない要らない。俺が謝る側なのに」

「私が腰を抜かしてなきゃ、私は巻き込まれなかったもの。だからよ」

「ケジメね」

「そう。ケジメよ」

「じゃあハンカチとトントンだ。そういやハンカチ……」

「華桐」


 昼休み、手を洗う前にとったハンカチの存在を忘れていた。すると、芝居は蒼に向かって何かが入ったレジ袋を投げた。


「血がついてるからな。袋にいれておいた」

「助かるシバセン。これ、クリーニング出して返却か、弁償しようか考えてるんだけど」

「クリーニングでいいわ。結構高いし」

「良く貸してくれたな」

「別に、それくらい当然でしょ」


 あの時は考える余裕はなかったが、愛羅からすればナイフが自分に、しかもMPBF(Max Pretty Beautiful Face)を切っていたかもしれなかった。それと比べればハンカチなど安いものである。

 そんな打算的なことを考えてるとはつゆ知れず、蒼はこの愛羅という女の子の善性を好ましく思った。


「先生、私もそろそろ帰ります」

「親御さんには連絡を取ったのか?」

「いえ、父も母も働いているので自分で帰ります」

「さっき親が来るって言ってなかったか?」

「あれは2人を帰らせるための嘘よ。理由はわからないけど、華桐君が来たら2人とも怖い顔してたから」

「なるだろうな」

「どうしてそうなるのよ」

「噂の話聞かなかったのか?」

「噂? 何よそれ」


 愛羅はきょとんと首を傾げた。


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