第5話 保健室は良い感じのベッド
状況は治まった。だが、愛羅は恐怖で顔が歪みそうだった。自分の常識と掛け離れた暴力が一瞬にして彼女を襲ったからだ。
嵐の如くそれは、今度は自分へと歩みを勧めている。
歩くごとに血が数滴落ちていく。
蒼のあらゆることが怖かった。
三人を相手にしても笑ってかかっていったこと。
自分より遥かに大きい相手を一瞬で組み伏せたこと。
ひたすらに暴力的だったこと。
血に塗れても殴ることをやめなかったこと。
ナイフを向けられた愛羅に意を解さなかったこと。
ナイフを持った相手にも恐怖しなかったこと。
切りつけられてもそれに対するアクションはなかったこと。
戦意を失った相手でも容赦無く危害を加えること。
それが、オグマの蒼であること。
「い、や──」
「お前、怪我は? 立てんのか」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい──」
「おい 」
パァン!
蒼は愛羅の目の前で柏手を打つ。掌から流れた血が舞って、愛羅の顔に付いた。
愛羅は、びっくりして少しだけ正気に戻った。
「(やっべ)」
「血、流れてる……」
「これくらい何ともねえよ」
「い、嫌よ。これ、つ、使って」
愛羅はポケットからハンカチを取り出して蒼に押し付けた。素材や装飾を見るにお高い感じがする。だがそんなことを考えている余裕は愛羅にはない。
「ありがたく使わせてもらう」
そう言って、蒼はハンカチを持った手を愛羅の顔に近づける。予想だにしない行動に、愛羅は恐怖で心臓が高鳴ったが、ハンカチが彼女の頬を撫でると、自分の家の柔軟剤の匂いが香って、落ち着いた。
「(取れん)、保健室行くけどお前歩ける? てか誰?」
血を拭き取るのを諦めた蒼はハンカチをナイフで切られた側の手で握り込んだ。血が染み出していく。
「歩けない……私は、愛羅。愛羅・ブリリアント・常安」
「じゃあ担ぐか。ネクタイ……学年一緒? 初めて聞いたな。名前長いな」
愛羅・ブリリアント・常安は名前のインパクトといいその美しさからオグマ高校では良い意味で有名だ。悪い意味を含めると、オグマで知らない者はいない蒼がいるので知名度的には負けている。
ある筋によると、昨年度全女子生徒で誰が可愛いか選挙が男子生徒行われたときに3位だったという。
多少きつい物言いだが裏表のない快活な性格は多くの人から愛されている。学業も優秀で素行も良く、教師陣からの信頼も厚い優等生である。
「よいしょっと」
蒼は愛羅に血が付かないように小脇に抱えた。
「ちょ、ちょっと、もうちょっとマシな運び方があるでしょ!?」
「肩に乗せる?」
「丸太か!」
「これが楽だもの」
「離して! こんな運ばれ方私のプライド許せない!」
「んなこと知らないよ」
健二郎たちを放って、蒼はうるさい荷物と共に保健室へと歩みを進めた。保健室は校舎1階にあり、体育館とグラウンドのどちらからも大体同じ距離、かつ近いところにある。
保健室勤務の教諭は性格に少し難があるが(蒼視点)、知識と経験はあるため蒼は信頼をしている。これまで散々迷惑かけたしね。
「シバセンおる?」
保健室は医薬品の独特な臭いがした。開口一番、保健室勤務の教諭である
「なんだ華桐、また厄介ごとか」
芝居は白衣を着ており、中性的な見た目をしている。一見柔らかそうな物腰と知的さを感じる話し方から女生徒からの人気が高い。
芝居は椅子に座っていて、こちらの方にくるりと向き直った。
「俺が毎度厄介ごと持ってくるみたいな認識だな」
「そうだろうお前、面倒臭いことばっかお前……何やったお前?」
「とりあえず空いてるベッド」
「おう」
蒼は小脇に抱えた愛羅をベッドに腰掛けられるように降した。
「腰抜かしたんだと」
「ふむ、確か常安君だったな。大丈夫だ、交通事故の過失割合は歩行者が有利だ」
「あの、芝居先生、何のお話でしょうか……?」
愛羅はきょとんとしたが、芝居の認識としては華桐と関わることは交通事故に遭ったことと同義らしい。
「華桐、お前との付き合いも長かったが、これでさよならだ……やったぜ」
「残念だがシバセン、こいつはほとんど無関係で、巻き込まれた哀れな被害者だ」
「…………そっか」
「まだまだアンタのこと頼ってやるからな。いやあシバセンは生徒に慕われて教師の鑑だなぁ。だからそんな残念そうな顔はやめたほうがいいぜ」
「芝居先生は真面目な方だと思っていましたが……」
「待て待て待て華桐からの評価はどうでもいいけど常安君のような優等生から評価が下がると私としても真面目にならざるを得ない」
「最初からそうすれば良かったんだよ。それと……あっそう、ナイフで切られた。見てくれ」
「それを先に言え! とりあえず傷口見せろ」
「うん」
ひとまず処置が先となった。保健室のベッド側には消毒液等の医薬品は置いていないので、事務側に移る。
蒼はハンカチが握られた手を差し出す。芝居はハンカチをゆっくりと剥がしていく。血が固まりつつあったためか、ハンカチが傷口に引っ付きかけていた。
「お前は面と手の皮が厚いからあまり深く切れていないだけだからなきっと。先に洗浄だ」
「面関係なくね」
芝居は慣れた手つきで処置を施していく。洗浄して汚れを取り、傷口を再確認する。消毒液をかけて滅菌ガーゼを傷口に当てて、ガーゼをテーピング止め。それから包帯で巻いてズレないようにした。
「ガーゼは止血するまでで良い。帰りにもう1回ここに寄るように」
「へいよー」
「ったく……何をしたらこんな傷……いやナイフって言ったな。クソ、余計な仕事が増える気配がする」
「それじゃ経緯を説明しよか」
再びベッドの方へ移動した。愛羅は先ほどと同じ姿勢で待っていた。
愛羅の隣のベッドに蒼は寝っ転がった。
「華桐、話終わったら教室に戻れよ」
「おけおけ」
「今回は何あったんだ?」
「ド厄介ごとだ」
芝居は深いため息を吐いた。
「今年の1年は血気盛んらしいな。わざわざ俺のところに乗り込んできて喧嘩売ってきたんだよ」
蒼はポケットから折り畳まれた2つのナイフを取り出してベッド横の物置台に置いた。片方には血が付着している。
「……学校にまでこんなもん持ってきて何考えてるんだ」
「俺のじゃないから。最初からそれ使ったわけじゃない。1年の、でかいのいるだろ」
「そういうこと言ったんじゃないが……
「あれの取り巻きが持ってた。健二郎は持ってない」
「……なるほど。3人がお前に喧嘩売って、お前がバカだから買っちゃって、ぶっ倒したからナイフを持ち出したってわけか。常安君はどこに出てくるんだ?」
「なんか居たんだよ。交通事故ってのはあながち間違いじゃないな。不慮の事故の類だ」
「常安君、よければ話を聞かせてもらえないだろうか?」
「(先生、あんな巨体相手でも華桐君が勝つってわかってたんだ……)、はい。えと、華桐君が来る前に、私呼び出されて」
「小田達にか?」
「いえ、2年の
「あのパッとしない奴か。どーせ告白とかだろう」
「そう、です。それで、告白されて断った後に華桐君が来て」
「そして木盛は逃げ出した、と」
「はい」
「腰を抜かしたのはその時かな?」
こくり、と愛羅は頷いた。
「華桐が素人相手に素直に切られるとは思えない。形としては華桐が常安君を庇った、ということで良いのかな」
「…………」
その言葉を愛羅は受け止めて、俯いた。
愛羅を庇ったことで、蒼は血を流した。自分のせいで蒼を傷つけてしまったのだから。
「言葉で言っても仕方ないのだが、華桐が怪我を負ったことに君が責任を感じる必要はないよ」
「俺が未熟だったからな。キッチリと潰しておくべきだったか」
「そういう話ではない。刃物を人に向けるということが問題だ」
とはいえ、蒼が取り巻きをキッチリ潰していたならば、この問題は表面化することはなかった。怪我の功名というわけではないが、後に大きな問題となりそうなものを未然に防ぐことにはなったかもしれない。
「誰が悪いのか、で言えば刃物を持ち出したやつが全部悪い。だから必要以上に自分を責める必要はないし、もっとぶっちゃけると華桐にそういう感情を向けるのは限りなく無駄だ」
「教師と発言とは思えねー」
「お前の行動が私にそう思わせるのだが?」
「てへ」
「……常安君も少しは華桐の喧嘩を見ただろう。コイツは他者に暴力を振るうことを厭わない。状況によっては更に無闇に力を振るう。そういう人物だと認識しておいてほしい」
あえて芝居は口にしなかったが、蒼は自分が傷つくことも構わないのである。
もちろんそれが自己犠牲的な精神の発露であるはずもない。
「……はい」
愛羅は気が少しだけ楽になった。精神的な疲労が取り除かれた。芝居は理屈を積み重ねて話す。それが──常識をぶっ壊して自分勝手に振る舞う者より、遥かに理論的で身近なものだったから。
「他に何かあるか?」
「3人とも放置してきちゃった。あと健二郎の指多分折っちゃった」
「……ハァ」
「んじゃ俺そろそろ戻るわ」
「放課後、忘れるなよ」
「へいよー」
蒼は何でもない方の手をひらひらと振りながら保健室から出て行った。
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