第3話 暴力の使い方
「ごめんね、待たせちゃった?」
「さっきからちょっとワガママな女気取るのマジでキモいからやめろや!!!」
「あっうん……ほら、どっからでもかかってこいよ」
「そこにいる女は先輩の連れっすか~~?? 彼女さんにカッコ悪いとこ見せなきゃいいっすねぇ~~!!」
「……? なんでもいいからさっさとかかってこいよ」
デカブツが取り巻きの二人の背中を勢い良く押す。取り巻きは驚いた顔をしてデカブツを見るが、顎で行ってこいと命令するだけだ。
取り巻きはビビっていた。イキりにイキっていたのはデカブツがいるからだ。100kgオーバーの巨体は、それだけで有無を言わさない強さがある。常人であるなら──体重差が30kgもあれば、それだけで勝ち目はほとんどない。全ての技は重量によってねじ伏せられるだけである。無情だが、それが真実だ。
だからこそ虎の威を借る狐が如く、強者に媚び諂い、誇りもプライドもなく、みっともない様を晒す。
デカブツ──、名を
少なくとも噂を信じている者がいるという事実。
それをまず、確かめなければならない。故に周りをうろちょろする雑魚を差し出す。お手並拝見というわけだ。
「来ないんだったらこっちから行っちゃおうかな」
取り巻き二人は健二郎から1mほど前にいる。その取り巻きから5mほどの距離に、蒼はいる。ゆっくりとした足取りでこちらに歩いてくる。
健二郎は生唾を飲み込んだ。空気が異様だった。決定的に何かが変わった。鬱蒼としたジメジメした空間が、熱を帯びていっている気がするのだ。4m。
蒼は歩いてくる。残り3m。
取り巻きの一人が震えだした。3対1……いや2対1だ。数の有利は取れている。だが、しかし、不敵に笑みを浮かべる蒼が恐ろしくて堪らない。静かな狂気がそこにはあった。
「う、うおおおおおおおおおお!!」
残り2mとなった瞬間、取り巻きAが殴りかかる。無理矢理当てるために大股で、しかも大振りだ。そんな不細工な打撃など、当たるはずもなく──、蒼の頬に直撃した。
「0点」
微動だにしなかった。取り巻きAは岩でも殴ったのかと思った。蒼は左腕で殴りかかった腕の手首を掴んだ。
「腰が入ってない。今から殴ります!って動きで殴りかかるやつがあるかよ。殴ったんだったらさっさと拳引けよ。バカか?」
手首を掴んで捻り、右手を添えて弧を描くように左足を引く。直後、取り巻きAは体が反転した。枯れ葉のクッションに仰向けで転ばされた。体が勝手に動かされた。体の右側面に蒼がいる。何が起こったのか全くわからなかった。
蒼は振り返る。
「て、てめえ!」
「顔しか狙えねえのかよ」
取り巻きBのパンチを寸前で避けると、その腕の肘を制服の上から掴む。右足を斜め前に出し、同時に相手の掴んだ腕の脇に右腕を滑り込ませる。
そのまま転ばされたやつのいる方を向いて屈む。
「ぐへぇ!」
「いでぇ!」
取り巻きABが積み重なった。蒼は腕を離した。
「見てもしょーもなかったろ」
「いや……アンタ、アマレス上がりか?」
「だとしたら? 意味ねえだろそれ」
「……ああ」
蒼の耳は潰れてはいなかった。
少なくとも──2種類の格闘技や武道の類を蒼は習得している(アマレスはスポーツだが、格闘技として扱うこととする)。
1つは健二郎の言った通り、アマチュアレスリング。袖や襟を掴まずに投げるのは、シングレットを着るレスリング流の投げだ。最も、アマレスでは肘を掴み、もう片腕は首に回しバランスを崩す首投げが主流だが。
それがわかるということは、健二郎はアマレス経験者か……あるいは間近で見たことがある、といったところか。
経験者ならば120kg級の健二郎はグレコローマン(下半身への攻めが禁止されているルール)中心だろう。スーパーヘビー級ともなると投げ技も珍しくなってくる。
閑話休題。
片方はアマレス、もう片方は不明。
技を見せるということは自身の技術体系を明かすということ。それがわかっていると技や行動パターン、戦略の組み立て方がある程度把握できるのだ。
それでも意味がないと蒼は答えた。
健二郎は、本気だ。本気で潰そうとしている。身長187cm、体重110kgの恵まれた肉体をもって、蒼を潰す。
対する蒼は身長165cm、体重は──69.6kg。今朝方計った新鮮な体重だ。身長に対してで考えれば重い。が、1.5倍以上ある相手が相手だ。ガタイの差など歴然。
蒼はもう笑っていない。その表情には落胆が混じっている。
「デカイ、太れる。それがどんだけ恵まれたことか、わからないのはもったいねえ」
「うるせえ」
「真面目にやれとか言う気はない、ただただ勿体ない。少なくともそれだけのアドバンテージがあれば全国クラスは軽いだろうに」
「うるせえ、うるせえ!! テメエに何がわかんだドチビがよぉ!!!」
「お前はそのチビに負けんだよ!!!」
健二郎はこちらの服を掴もうとする。わかってるやつの行動だ。逃げられない状況こそ相手の最善。おそらく捕まえられると拳を振り下ろして攻撃してくるだろう。
体重差があるならわざわざパンチなんてしなくていい。する側も痛いし。距離が近すぎる相手にするものでもない。
ただ拳を振り下ろすだけで破壊力が生まれる。無論、ダメージは落ちるが、それを補って余りある体重差、体格差。
本来なら拳を振り下ろして殴るという攻撃方法は、マウントを取った状態で行うものだ。ハンマーのようにして相手の顔面をぶちのめす。一方的タコ殴りチャンス。拳を痛めるので普通には殴らない。そういう状況で行う。
蒼が取るべきは、引くか、避けるか。
二択。
否、そんな消極的なものは解決にならない。
捕まるのではなく、捕まえるのだ。
「ッ!」
「指の一本は、大目に見てくれよなァ!」
掴もうとするが故、左の掌を開いていた健二郎はその指を掴まれた。
小指。致命的だ。
即座に引き抜こうとするもびくともしない。なんという握力!
直後、バキッ!と音が鳴った。健二郎の小指を握っていた拳は小指球の方にあズレていた。
根元からいった。小指の第三関節脱臼だ。骨折も併発している可能性もある。
なお、小指は簡単に脱臼や骨折が起こる。筆者も同様の怪我を負ったこともあるし、第二関節を脱臼してバ◯みたいな状態になったこともある(小指 脱臼で検索すると状態がわかりやすい。微グロ)。気をつけてほしい。
「ッイィ! ッッテ、メェ!!」
「後で直してやるって」
掴んだら折る。小指の怪我は致命的だ。何せ、拳が握れない、掴めない。もはや腕ごと振り回すことしかできないのと同じだ。
実質、片腕は死んだに等しい。
健二郎に残された手は精々が髪を掴むくらい。故にこそ次の一手は……一足は読める。
丸太のように太い足だ。まともに喰らえば流石に蒼でもきつい。だったら蹴らせなければ良い。
小指を折った次の瞬間にはすでに行動に起こしている。相手の体の内に入る。よほど股関節が柔らかくなければ蹴ることができない位置取りだ。
しかしその位置は自ら懐に入っていくことだ。残った腕の振り下ろしが来る。
「こンッッの!」
「ッ!!」
遠心力をもって加速した拳が、蒼の背中を襲う。殴られる度に、全身に振動が伝搬する。だが、大したダメージには、ならない。
もしこれが腎臓の裏……肋骨で守られていない辺りだったりすると不味かった。流石にそこは鍛えようがない。殴られたのは脊柱起立筋付近、背骨ど真ん中、ならば耐えられる。
衝撃で姿勢が崩れた。若干の修正。
両腕共に背中に回すつもりだったが変更。左腕を股下へ、腰から回した右手とクラッチする。
「せぇのッッ!」
それは変形タックルの派生、といえばいいか。タックルで相手を持ち上げるなら相手の重心──腰を肩に乗せて掬い上げるイメージだが、これは手と手を紐と見做して持ち上げて相手を浮かす。格好としてはタックルだが、その実、相手の体を腰に乗せて──自分の重心に乗せて浮かせているわけで、理屈としてはバックドロップに近い。
何にせよ鍛え抜かれた脊柱起立筋がモノをいう技だ。健二郎は即座にバーピーで手を切らねばならなかった。加えて、がぶった状態(相手の頭を抑えた有利な姿勢)なら、ネルソンや寝技に移行できた可能性があった。アマレスのルールの話だが。
浮かされた健二郎は、恐怖した。
自分は持ち上げる側であり、持ち上げられる側ではないのだから。
蒼は体を右側に捻りながら、更に腕を持ち上げる。倒れ込むように斜め後ろに健二郎を放り投げる。
「グッアッッ……!」
「はい勝ちィ!」
マウントの体勢──に近い。仰向けから起きるには腸腰筋が必要になるため下腹部あたりに乗るのが常だが、蒼との身長差では顔に届かなくなる。ので、胸筋部あたりに乗っている。
よってこの姿勢、すぐに逃げることができる。
なので言い終わるかどうかのあたりで、即座に顔を殴打し始める。何も考えることができないように、拳を振り下ろす。一方的に、暴力的に、破壊的に。
鼻血が拳に付着した。鼻の周りは溢れてくる鼻血で真っ赤になっている。
「いだっいやめっでっ」
「お前俺のこと2回チビっつったよなあ」
ゴスッ。殴る。ゴスッ。殴る。ゴスッ。殴る。
「良い機会だろ。お前殴られ慣れてないだろうし」
殴打殴打。血。飛。付。殴打殴打。殴打殴打殴打、血飛。
「謝ったら辞めてやるよ!」
「ごぼっごべんっ!ざぁぼひゅっいっ!」
「なんてぇ?」
「おっれぁわぶひゅかっあぁ」
「ハッ聞こえねえわ」
「お、おいこっちみろ!!!」
「──あ?」
後ろの方から声がした。
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