小説「最後の医者は桜を見上げて君を想う」

「よお、目覚めちまったか」

目の前に映る黒いフード。その奥には、どこか優しげで、物憂げな印象を秘めていた。

「あなたは……だれ?」

そう聞くと、目をまん丸く見開いた。

「俺か?俺は死神。魂を刈り取るのが仕事の、最低な奴だ」

そう言うと、死神は、鎌で小突くような仕草を見せた。

「そんなことない。あなたは優しい顔をしているもの」

そう言われると、慌てて、死神はフードを深く被り直した。そして、横に腰掛けてから言った。

「これでも、怖い顔で有名なんだけどな」

死神の代わりに、目の前に映ったのは、はるか遠くまで続く、トンネルの中のような光景だった。それと、無機質に響く機械音。そして。

「ここは……どこなの?」

「ここは、ベルトコンベアの上だ。まあ、これは分からんでもいい。とにかく、製造されたおもちゃを人間共の元へ届ける最中ってわけだ。人間っていうのは、おもちゃと共に生きる奴のことだ」

「おもちゃ?」

「おっと、それは説明してなかったな。ぬいぐるみや、ロボットのプラモデルや、お前みたいなブリキの人形も、まとめてそう呼ばれてる」

「こんなにたくさんのおもちゃがいるのに、どうやって人間は僕を見分けるの?」

「名前をつけるんだ。名前ってのは、そいつだけに定められた、特別な呼び方のことだ」

「人間は頭が良いんだね。僕には、考えもつかなかったや。ねえ、僕にも名前をつけてよ」

死神は、銀色に輝く鎌を地面に下ろし、しばらく佇んでいた。てっきり名前を考えてくれているのかと思ったけど、違うようだった。

「今こうして喋っているのは、俺とお前だけなんだから、名前なんていらねえよ。死神とブリキ。それでいいじゃねえか」

「それもそうだね。死神さん」

少し寂しい思いもしたけど、死神さんが考えてくれた末の結論なのだから、大事にしようと思った。

「でも、どうして彼らは喋らないの?」

周りにいるおもちゃ達を、手で指し示すと、カタカタという音が鳴った。

「喋るってのは案外難しいんだ。いくつかの条件がある。まず、魂が宿ってること。それから、心と心が通ってること。この二つの条件をクリアして、初めて喋ることができるんだ」

「じゃあ、彼らと心を通い合わせれば、僕と喋れるようになるんだ」

心、というのが何か分からなかったけど、嬉しい気持ちになった。

「いや、あいつらに魂は宿ってないから、無理だな」

「どうして?どうやったら、魂は宿るの?」

「それは俺にも分からない。お前には、おもちゃの素質があるのかもな」

「じゃあ、心の通わせ方は?いつか、魂が宿ったおもちゃがいたら、喋ってみたいんだ」

「すまねえな。心の通わせ方だって、俺には分からないんだ。分かっているのは、心は初めはゼロだってこと。篝火を分け与えるように、他の奴から貰わないと、生まれないんだ。実を言うと、俺が喋ることのできたおもちゃは、お前が初めてなんだぜ」

「僕は、死神さんから心を貰ったんだね」

胸の奥の、じんわりしたところに手を触れてみる。温かい。

「俺のも、貰いもんだけどな。知ってるか? 長い間、心を通わせないでいると、段々と消えていくんだぜ」

「死神さんと僕が隣にいれば、何の心配もいらないね」

その時だった。凄まじい轟音がベルトコンベア内に響く。

「死神0492。死神0492。業務を実行せよ。業務を実行せよ」

「ついに、バレちまったか」

死神が小さく呟いた。

「どういうことなの、死神さん」

「本当はな。人間の手に辿り着くまで、心はおろか、魂さえ宿っちゃいけないんだ。それは、人間とおもちゃで、長い時間をかけて、育むものらしい。俺の仕事はな、お前みたいな、何らかの異変が起きて、魂が宿っちまったおもちゃを、元に戻すことなんだ」

死神は鎌を手にとって、大きく振り上げた。僕は小さな体をプルプルと震わせて、その時を待った。

「……どうして、何も言わねえんだよ」

「どうしてって。それが死神さんのお仕事なんでしょう? 僕はこうして死神さんと喋れただけで充分なんだ。仕事の邪魔するわけにはいかないよ」

僕は嘘をついた。本当は、心というものが、魂というものが、無くなるまで、死神さんの隣にいたかった。でも、それを伝えても、困らせるだけだ。

カランカランと鎌の落ちる音がして、死神が膝から崩れ落ちた。

「……どうして、あいつと同じことを言うんだ。もう、あんな思いをしない為に、転職したっていうのによ」

「死神さん、泣いてるの?」

「涙なんて、出るようには出来ちゃいねえよ」

その声は、震えていた。

「僕と一緒だね。僕たちが同じ気持ちだということは、心でわかるよ」

赤いランプが点灯し始めて、ベルトコンベアが止まった。なのに体は、どこか遠くに連れ去られるような感覚がした。

「二人で逃げてみるか。案外、遠くまで行けば、追いかけてこないかもしれねえぞ」

「それはダメだよ。それよりもさ、僕の最後のお願い、聞いてくれないかな」

死神さんは、何も言わなかった。それでも僕は、続けて言う。

「名前を、つけてほしいんだ」

「……ダメだ」

いつの間にか、死神さんを掴んでいた。

「ねえ、お願い。僕が、人間の元へ行ったら、名前をつけられて、特別になるんだろう? それじゃあ、名前が無かった時が、ダメみたいじゃないか! そんなの嫌なんだ。僕は、死神さんと過ごした時間を、特別にしたいんだ!」

振り回すように揺らした腕が、ギシギシと音を立てる。

「……ヘス。お前はヘスだ」

その言葉を聞いた途端、嬉しくなって、思わず抱きついた。死神が、恥ずかしそうな笑みを浮かべている。

「ありがとう。死神さん。もう、悔いはないよ」

一瞬の出来事だった。置かれている鎌の先端目掛けて、ブリキの人形が倒れこむ。コツンという音を最後に、動かなくなった。最後に、死神の目に映ったのは、操るように鎌に手を伸ばす、ブリキの人形のシルエットだった。


「よお、目覚めちまったか」

目の前に映る、優しげで、物憂げな印象が、喋る。

「あなたは……だれ?」

それは、少しの間、考える素振りを見せて、こう答えた。

「俺か?俺はな、ガリレオっていうんだ」

「それが本物の名前なんだね、死神さん」

「お前、なんでそれを」

驚いた様子でこちらを見る。僕は笑って答える。

「僕に死神の素質は、無いみたいだ。それに、名前で呼んでよ。ガリレオさん」

「さん、はいらないよ。ヘス」

前回はここがどこだか、聞いた気がする。でも、もう、ここがどこかは、どうでもよかった。優しく燃えるような温かさが、こんなにも近くに、あるのだから。

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