映画「LUCY ルーシー」

暗雲が垂直落下したような空気の漂う商店街を、背に太陽を抱えて走り去る。もちろん、そういうイメージだ。実際には、走ってしまうと通行人の注意を引く恐れがあるから、なるべく急ぎながら歩いていく。まだ、日の出ている時間だ。まさか私が、バッグの中にこんなものを忍ばせているなんて、誰も思うまい。バレたとしても、偽装は完璧なのだが。とある売人から、無言で取引する関係性。レシートなど貰わない。足がつくからだ。粉末状の中毒性。これだけ言えば分かるだろう。手を出したのは1年前。当時、私は仕事で初めて部下を持ったのだけど、これが本当に社会人かと思うほどの問題児で、毎日胃に穴が開くほどのストレスを感じていた。その結果、暴飲暴食に走り、手を出してしまった、というわけだ。商店街を通りながら、回想に浸る。視線が合うたびに、慌てて逸らし、心臓が締め付けられるのを想像する。商店街を通り抜ければ、自宅はすぐそこだ。しかし、難関がある。手前の大通りに、交番があるのだ。そこを通り抜けなければ、自宅にはたどり着けない。回り道をする、という手もあるのだが、結局は見回りの為に近くをうろついているから、あんまり意味はない。職務質問を受けてしまうと、バッグの中身まで見られる可能性がある。見回りの方が仕事モードになっているだろうから、交番の前を何食わぬ顔で通り抜ける方が、かえって危険は少ないだろう。交番の中を横目で確かめる。中には誰もいなかった。チャンスだ、と思った。家までの距離は、二つほど前の角を曲がったところだ。私は、走った。今まで走ることを抑え、我慢していたせいか、硬直から解き放たれ、おせんべいの袋を開ける時のようなバリバリとした音の感覚が頭を突き抜けた。

「君、ちょっと」

後ろから声がした。しまった。交番の中を見て、途端に逃げ出したのを、警官に見られたのだ。あの角を曲がりさえすれば、撒けるはず。振り返らずに、逃げ切ることだけを考える。肩で息をしながら、アパートの前までたどり着いた。呼吸を整えながら、脳に酸素を送る。警官の足音はまだ、聞こえる。すぐに家の中には入らずに、道路から死角になっている階段部で、息をひた隠し、身を潜めた。新緑の葉の間を、風が縫うようにして繋ぎ合わせる音がする。どうやら、通り過ぎたらしい。危なかった。震える手で家の鍵を開け、布団に倒れこむ。もう、寝てしまいたい。でも、その前にご褒美だ。私は、バッグの中からハッピーターンの袋を取り出して、口に放り込んで言った。

「運び屋ごっこは楽しいなあ」

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