小説「パッとしない子」
「小説はどうやったら書けるようになるのでしょうか」
私は先生に問いかけた。
「書けないのかい?」
先生は、右頬だけを引き締めて笑う、いつもの癖をして、見透かすような目でこちらを見た。
「書きたいものはあるはずだ。そのきっかけが掴めないだけなんだよ」
書きたいもの……。ぼんやりとしたものはあるが、あるというような気がするだけだ。地球と同じような星がどこかにある、というのに似ている。
「小説を書きたい。という思いはありますが、じゃあ具体的に何?と言われるとわからなくなってしまいます」
私は正直に答えた。
「そうか。じゃあトレーニングをしてみよう。あの時、こう言えばよかったなと思うことはないかい?」
「しょっちゅうです。簡単な挨拶にしても、その後、気の利いた一言が言えたのに、と思うことばかりで」
寝る前に布団の中で頭を抱えるのは、もう日課みたいなものだ。
「その中で一番感情が動いた経験はなんだい?」
一番感情が動いた経験……。
「……恋人と別れたときのことです」
「言える範囲で教えてくれるかな?」
「はい。私がインドア派だったんです。二人でいる時も、いつも家を好んでいて、ある日、言われたんです。つまらないって。じゃあ、他の人と行けばいいじゃんって返したんです。私は本当にそう思ったんです。一緒に心から楽しめる、友達と行けばいいじゃないかって。でも、違う風に捉えたんでしょうね。大きなため息をついて、そのまま何も言わずに、出ていってしまいました。その後、別れを告げられました。会ったのはそれが最後です」
「そうか……。では、その時なんて言えばよかったと思う?」
「今なら、一緒にどこかへ遊びに行こう、と言えると思います」
「そうじゃないんだよ」と先生が言うのを聞いて、私は急に胃の中が引き締まる思いをした。
「小説を書くならね、その時どう思っていたかを重視したほうがいいんだ。君は他の人と行けばいいじゃん、と言った。それを相手に伝わるように言い換えることを考えた方がいいんだ。仮に、どこかへ遊びに行こうと言って、その後、二人はどうなるんだい?」
「機嫌を直してくれて、出かけると思います」
「それから?」
「それから……」
言葉に詰まってしまった。
「最後はどうなる?」
「……分かりません」
「続かなくなるのは無理をしているからだ。正直になって、その時どう思ってたか、何が言いたいのか、というのを考えていくと自然と形になってくると思うよ。頭の中で何百回も繰り返された言葉の応酬。それが小説になるんだよ」
別れてから、必死に探し始めたデートスポット。でも、あれから行ったことは一度もなかった。
「家でじっくりと、考えてみるといい。」
先生の朴訥とした声が終わり告げ、余韻がどこかで、後ろ髪をなびく。小説はもう、私の中で胎動している。それは、学生時代のパッとしない子が、有名人になったと、ある日突然、聞かされた時のように。
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