映画「わたしに××しなさい!」
トントントンと包丁の小気味のいい音が聞こえてくる。
「ご飯できたわよ」
ママが家族を呼ぶ声がする。アタシはTVを消してテーブルに向かった。テーブルにはお父さんが既に座っていてビールを飲み始めている。ママは四人分のご飯を配膳しているところだった。
「スグルはまだか?ユナ、呼んで来てくれないか?」
「わかりました」
咄嗟に敬語が出てしまい、しまった、と思った。去り際になんとか笑顔を取り繕ってみたりして、ぎこちなさを胸の奥にしまい直した。ママとお父さんという呼び方からわかるかもしれないけど、二人は再婚したのだ。しかも、両方子連れの。ママはアタシを、お父さんはスグルを連れて一緒に暮らし始めた。二階にあるスグルの部屋までたどり着いたアタシはノックをしてから声を掛ける。
「ご飯できたってよ」
返事は無かった。寝てるのかな、と思いながらも恐る恐る入ってみるとヘッドホンをしながら勉強机に向かっているのが見えた。スグルは成績優秀でスポーツだって平気でこなせる。遺伝の影響ってやっぱりあるのかな、なんて考えてしまって首を横にブンブン振って、意を決してスグルの元へ歩み寄った。後ろから肩をツンと突いてみるとスグルは驚いてヘッドホンを外した。
「うわ、びっくりした。ノックくらいしろよな」
「したってば。気付かないのが悪いんじゃん。ご飯できたってよ」
スグルは少し納得がいかない様子だったが、集中が途切れたせいか空腹が襲ってきたらしい。その日はアタシの好きなハンバーグだった。
「そういえば二人とも、そろそろ試験が近づいてるんじゃない?スグルくんは大丈夫だと思うけど、ユナはどうなの?」
ギクッとした。たちまちハンバーグも味を失っていくようだった。
「アタシはえーと……うん、なんとかなるよ!」
「その表情、ダメみたいね。スグルくん、ユナに勉強教えてあげてくれない?」
「いいですよ。とは言っても、効果があるかわかりませんが。赤点を回避できるくらいには頑張ってみます」
「アンタねえ、アタシだってやるときはやるんだから」
「そうなのよ、ユナが小学生の頃に運動会でね……」
いかん。そのエピソードは誇らしくもあるけど、むず痒いやつだ。
「ごちそうさま。スグル、早く勉強教えてよ」
半ば強引に話を終わらせて、アタシ達はスグルの部屋で勉強することにした。
実力テストと称して問題を解かされて、その場でスグルが採点をしてくれている。冷静に考えると、アタシは今男の子の部屋にいる。それも兄弟だけど恋愛オーケーな思春期の男の子。結婚したタイミングで新しい家に引っ越して来たというのもあって、アタシ達は二人一緒に転校してきた。ただでさえ、転校生は珍しがられるのに再婚で同じ屋根の下で暮らすことになりました、なんて漫画みたいな展開だけあって、からかわれることが多かった。でも、結婚おめでとうとか新婚生活どうですか、なんて言われるたびに心のどこかでまんざらではない自分がいちゃったりしちゃってた。今回みたいに、なんだかんだ助けてくれることが多くて、そりゃアタシだって嬉しくもなる。スグルはどう思ってるんだろう。答案にたまたま二回連続で丸がついたことが嬉しくて、フフンと息が漏れてしまった。スグルと目が合って、慌てて逸らす。
「全然ダメ。テスト近いってのに毎日なにしてるんだよ」
「勉強。……しようとは思ってるけど、ついつい映画とか見ちゃうよね」
みんなしてるんだよっていう感じで言ってみる。
「はぁ?……どんな映画見るんだよ」
「え?今日はわたしに××しなさい!って映画……」
怒られて終わりだと思っていたのに話題を続けてくれたことに少しびっくり。心なしかスグルが少し照れ臭そうにしているように見える。
「へ、へえ……」
音楽を掛けず勉強をしていたことを後悔する数秒が流れる。
「擬似恋愛……する映画」
恋愛というワードを口に出してみる。
「それでね、女の子が男の子に命令するの。××しなさいって」
「そうなんだ」
さっきからスグルは教材に目を通したまま一度もアタシを見ようとしない。
「ミッション1……スグル、アタシに勉強を教えなさい」
急に言い出してみる。
「もう教えてんだろーが」
鼻で笑った後、スグルはそう言った。
「ミッション2……」
そう言いかけたところで、スグルが急に飛び上がる。
「ちょ、ちょっと、待てって。今日はもう終わり!……早く帰って」
スグルはこれ以上続くのが耐えられないといった表情で急に勉強道具を片付けて、アタシは追い出されるようにして背中を押される。
「今日はもう来んなよ」
バタンとドアを閉められてアタシは部屋の前で立ち尽くす。背中に触れられた感触が溶け出すように胸の中まで広がってきて、ドクンドクンと心臓をノックしているのが誰なのか、アタシはこの時、はっきりと分かった。
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