小説「太陽は気を失う」
初夏の季節、夫と別れシングルマザーとなった静子は夏休みの間、埼玉にある実家に帰省してきていた。
「お父さん、お母さん、ただいま。ほら龍斗も挨拶して」
不機嫌そうに龍斗は挨拶をした。
「ごめんなさい、最近反抗期で……」
「いいからいいから、早く上がりなさい。甘いものも用意してあるわよ」
花世は数年振りに孫の姿が見れたことが嬉しいのか微塵も気にならないという様子で、少し浮き足立っているようにも見えた。
「待ってて、お茶入れてくるわね」
花世と一緒に達治も立ち上がろうとしたが
「達治さんは座っててください」と台所へ消えていった。
「お父さん、体調はどうなの?」
達治は数年前に倒れて以来、医者から激しい運動は控えるように言われていた。以前は剣道場の館長をしており、近所の中でも知らぬ人はいないというほどの実力者だった。倒れた時には、太陽も気を失うと近所で噂になったらしい。引退してからも日課と称して陰で続けている。
「なに、もうすっかり良くなった。まだ若いもんには負けんよ」
「そう、ならいいけど。無理しないでよ、歳なんだから」
「アンタこそどうなのよ。別れてから。まだ引きずってるんじゃ無いでしょうね」
花世が割って入ってくる。
「アタシはもう新しい生活にも慣れてきたところ。でも龍斗が最近おかしいのよ。学校に呼び出されることも増えてきて……」
そう言いながら龍斗に視線を向けようとするが部屋を見渡してもどこにもいなかった。
「あれ、龍斗は?どこいったのかしら」
「ワシがちょっくら探してくるよ」
「お父さんありがとう。お母さん、アタシどうしたらいいかしら……」
「女は女。男は男で、話すとしよう」
そう言って立ち上がると、今はもう閉館した道場から足音が聞こえてきた。
たどり着いた時には、丁度小学生用の竹刀を手にしていた。
「おじいちゃん、昔剣道やってたんだよね?勝負しようよ」
龍斗は不敵にも言ってのける。達治も同様に竹刀を手に取った。
「好きなだけ打ってきなさい」
達治は軽々と往なして見せた。
力の差は歴然で、いくら衰えてるとはいえ有段者に素人が勝てるわけがない。ましてや小学生だ。
龍斗はこのままでは通用しないと悟ったのか、竹刀を相手に対して真っ直ぐに構え、そのまま突き出した。それは剣道では禁じ手とされている行為だった。
剣先が達治目掛けて飛んでいく。
しかし、達治が目を見開いた次の瞬間、龍斗の竹刀が地面に落下する音がした。
「こら、突きはいかんぞ」
達治にしてみれば当然の行為であったが、おそらく剣道を始めてやるであろう龍斗にとっては知らなくても不思議ではない。龍斗はやる気を無くし、床に座り込んでしまった。
「そういうの後から言わないでよ。いっつもそう。イジメられたらやり返せって言うくせにやり返したらやり過ぎだって言う。もううんざりなんだ、そういうの」
思い当たる節が達治にはあった。小さい頃から通ってきた道。周囲とぶつかった事は一度や二度では無かった。
「言われなくなる方法はある。首元に突きつけるんじゃ。真剣を。ようは遊びって見抜かれとる。真剣勝負なら、後からとか言い訳なんて通用しない。ま、言うは易しじゃな。詫びがてらお手本を見せてやろう。龍斗。」
龍斗は黙って立ち上がり、そして構えた。
「先に打ってこい。それが合図じゃ」
両手を振り上げ、いざ踏み込もうとした瞬間、龍斗の動きは止まった。
首元に剣が見えたからだった。
汗のはじける音が聞こえそうなほどの静寂の中で、やまびこのように竹刀が落下する。
「……負けました」
下を向いたまま龍斗が告げる。
「僕にも教えてください。剣道も、真剣も」
顔を上げたそれは、およそ負けた者の顔つきではなかった。
もう引退したから、歳だから、そういった言い訳が喉から落ち、胃袋に包み込まれ、消化されていく時間があったかのように沈黙が流れた。そして一言だけ。わかった、と達治は言った。
どこからか、夕飯が出来たと呼ぶ声がする。
「どうしたのよ、龍斗。ニヤニヤして」
「ワシはのう、殺されたんじゃ」
「縁起でもないこと言わないでよ。お父さん」
そこには見つめ合って笑う、二人の姿があった。
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