第4話 二人の少女 四

高い高い場所から、再びの『お姫様抱っこ』で

無事に降りてきた姫巫女と真白。


草原、と呼ぶには狭いが、

山、森の中としては、開けた場所である。



ありがとうと、どういたしましてを伝え合い、

にこやかに視線を交わす。


さて、では真白の目的地でもあり、

姫巫女の住む場所である、

伊の国、城下町、サトウの町へ向かおうかという時、


「?どうしたのじゃ?真白」


ふと、真白が真剣な表情で、

周囲を伺いはじめた。


左右の木々、前後の岩山、

または頭上の空間さえも、

じっと見据える真白。


姫巫女は首を傾げたまま、

彼女の言葉を待った。


「…この山に入ってから、

ずっと気になってたんだけど、

やっぱり、ちょっとおかしい、かなって」


「おかしい?山が?」


「うん」


そう頷き、真白が言葉を続ける。


「ここは、私が住んでいた山とは違うから、

当然、私はよそ者なのね。


だから、山の『ヌシ』に、

通らせてください、出来ればすこーし、

食べ物分けてくださいって、

お願いしようと思ってたの」



考えてみれば、

あれ程の身体能力を持ち、

薬草のことも詳しい彼女だ。


山の中で暮らしていたのならば、

その場で食料を調達するなど、

そう難しいことではないはずである。


だから、空腹で倒れていたのか。


なんとも、律儀なことである。

それほど、真白にとっては大事なことだったのだろう。



そう納得した姫巫女に、


「だってさ、勝手に漁るわけにいかないじゃない?

だから、ずうっと、ヌシの気配を探ってたんだけど、

全然感じなくってさ」


姫巫女の心を感じたか、

真白は照れ臭そうに、肩をすぼめてそう言った。


「ヌシどのか…そういった存在があることは、

姫も知っておるけど、今まで会ったことないのじゃ」


「山の神様、ううん、山そのものともいえるもの。

滅多に人前には出てこないからね」


真白いわく、


山ごとにヌシは存在し、

それぞれ、そこに住む獣達から選ばれるという。


獣だけでなく、植物や、そこに積もる土、流れる水に至るまで、

山すべての調和を司るのだという。


「私が住んでいた山のヌシは大きな亀だったなあ。

一回だけ会ったことがあるの」


「ほお、それはすごいの」


「もちろん、私よりもずっと小さいんだけど、

こう、見つめられてると、何か大きな力に包まれるようでね。


だから、この山にもいるはずなんだけど、

探っても、呼びかけても、全然見つからないし、


逆に変な雰囲気まで感じてきて、

まいっちゃった」


「変な…雰囲気」


そうつぶやいた姫巫女、

小さな口元に手を当てて、

何やら思案顔だ。


「姫ちゃん、どうかした?」


不思議そうに、顔を覗き込む真白に、

姫巫女は真剣な眼差しのまま、


「真白。ヌシどのと関係あるか知れぬが、

少し探ってみるの」


と、伝えた。


「え?」


「すこーし、待っててたもれ」



そう言うと、

姫巫女は周囲を軽く見まわしたのちに、

両手を胸の前で組み、そっと瞳を閉じる。


一瞬の静寂。


そして、姫巫女の長い髪が、

ふわりとなびいたかと思うと、


「?!」


彼女の身体から、

薄衣のような優しい気配が広がり、

そばにいた真白をすり抜けていった。


「な、なに?!」


戸惑う真白に答えることなく、

姫巫女はじっと目をつむったまま動かない。


姫巫女から広がったものは、

彼女の精錬した『霊力』の波。


神に通じる力であれば神力、神気。

魔に通じる力であれば魔力、邪気。


そのどちらでもない、

人の身でありながら行使する、

不思議な術の源となっているのが、

この霊力である。


それを活用し、

あるものは炎を地に走らせ、

あるものは雷を空に飛ばす。


その姿は、おいおいお目にかけるとしよう。


今、姫巫女が行ったものは、

そんな危なっかしいものではなく、

自らの意識を霊力の波と化して、

全方位に拡散したものである。


彼女を中心として、

まるで水面を滑る波紋のように、

姫巫女の意識が広がっていく。


木々をすり抜け進む波が、

その場所にいた、あるものへと触れた。


「!!」


ハッと息をのみ、目を開いた姫巫女は、

その背筋に冷たいものがはしる。


素肌に泥土をなでつけたような、

ざらりとした感覚。


これはまさしく、


「邪気、じゃと?」


「どうしたの?姫ちゃん?」


「何か…いやなものがいる。

しかも、こちらに向かってきているようじゃ」


その言葉の意味を頭で理解する前に、



ウオオオオォォォォォォ!!!



腹の底を揺るがすような、

悍ましい遠吠えの声が辺りを震わせた。


そして、聞こえてくる大きな足音。

へし折られる、木々の音。


何かが来る。


真白は腰の白鞘を左手に持つと、

右手を柄にそえて、姫巫女の前に構えた。


背後の姫巫女も、身体を固くしながら、

身構える。



ザワザワ…! バキバキ…!!


前方の茂みから聞こえてくる音が、

だんだんと大きくなってくる。


「来るよ!」


真白の声と同時に、

それは現れた。


息をのむ二人の目の前に現れたのは、

一匹の黒い狼。


いや、狼と言っていいのだろうか?


その体躯は、まるで熊のように大きく、

伸びる体毛が、

まるで黒い靄のように揺れているのだ。


二人をにらみつける目は赤黒く光り、

唸り声とともに、鋭い歯がむき出しにされる。


その歯の隙間から、黒い涎が地に落ち、

不思議に白い煙をあげた。


生き物の姿ではない。


「これは一体なに?!」


構えたまま、振り向かず尋ねる真白の背中に、

姫巫女が語る。


「邪気にあてられ、魔物化した獣じゃろう」


「邪気?」


「この世の中に生じる、

人や動物、自然に害をなす危険な力じゃ」


「そんなの、初めて聞いたよ…」


「あまり、見聞きして気持ちのいいものでないでの。

その方が幸せじゃが…運悪く会ってしまったの」


「運悪くって…」


「これをこのままにしておくと、

ほかの獣を襲い、その獣も同じように魔物としてしまう。

邪気をまとった体に触れた木々も、

生気を失い枯れはててしまうのじゃ。


やっかいじゃろ?」


不思議だ。


背後から聞こえてくる姫巫女の声に、

まったく悲観の色がない。


こんな恐ろし気な存在を前にして、

信じられないことだ。


「姫ちゃん、怖くないの?」


「…慣れておるでの。真白」


「なに?」


「これを片付けるでの。

手伝ってたもれ」


お茶碗片付けるの手伝って♪


そんな軽さすら感じる口調で、

真白は人生初の魔物退治を頼まれた。


でも、なんだろう?

妙な安心感がある。


ぶるりと身体を震わせたこれは、

まぎれもなく武者震いだ。


眼光鋭く唸り声をあげる魔物は、

左右にわずかに動くだけで、

襲い掛かってくる様子はまだない。


それを睨みながら、

真白は、ふう、と短く息を吐いた。


「…いいよ、姫ちゃん。どうすればいい?」


「ちょっとだけ、お顔を貸してたも?」


そんな姫巫女の声は、

意外にも、耳元から聞こえてきた。


いつのまに?


声のするほうに顔を向けた瞬間、


「…ん」


可愛らしい声とともに、真白の額に、

何か柔らかいものが押し当てられた。


白くか細い手が、

真白の顔をそっと包んでいる。



白木の太刀を構える少女の額への、

朱の色鮮やかな装束に身を包んだ巫女の少女の口づけ。



恐ろしい魔物と対峙する二人。

それとは真逆といえる、可憐な一場面であった。


≪続≫









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