第43話


 博道に支えられた頼光に義晃は近づく。

「と、父さん・・・」

「・・・頼光。」

 義晃は息子の顔を見て目を細め、おもむろにその頬を打ち据えた。

 ぱんっと乾いた音が響いた。

「義晃さん?」

「バカ者! これはスポーツの試合でもゲームでも無い! もっと慎重に行動せんかっ!」

 頼光は打たれたままの格好で視線を落とした。

「ごめん・・・父さん。」

「だが・・・よく頑張ったな。偉かったぞ。」

 義晃は頼光の頭を自分の胸板に抱きすくめた。

「それに、香澄ちゃん。」

「は、はい。」

 香澄はビクリと身を固くした。

「頼光とは長く友達でいてくれて感謝しているよ。頼光はこんな世界に引き込まずに普通の生活をしてもらいたかったんだが・・・御覧の通りのコトになってしまった。」

 ゆっくりと首を振る義晃の後ろに、足元に視線を落とす頼光の顔が見えた。

「こうなっては、もう・・・」

「あ、あのっ。」

 香澄は義晃の言葉を遮り一歩前に踏み出すと、一度ぐっと口角を引き締めた。

「ライコ・・・頼光くんは、私の大切な人です。どんな事が起こっていても、初めて会って境内で遊んだ日からそれはずっと変わりませんっ・・・だから、だからぁ・・・」

「香澄・・・」

 頼光は顔を上げて香澄の瞳を見つめた。


 にわかに教会の周囲に人の気配が増えたのが感じられた。

 多くの人の足音が教会を取り囲むようにぐるりと響く。

 パトカーのサイレンの音も聞こえ始め、一同は周囲を見回した。

 しかし、教会の入り口や塀越しには誰の姿も現れない。

「デーゲンハルトのヤツ、精神障壁を再び展開したな。義晃さんの『八雷神』と『黄泉落とし』は破壊力と音が桁違いだからな。」

「ああ、我ながら隠密行動には向いていないと思うよ。世間様は何か爆発事故が起きたと思うんだろうな。」

 サイレンの音は周囲を回るように移動している。

「とにかく、博通くん。君の『不知火』の力で頼光の治療を頼む。それが済むまで私は・・・」

 義晃はおもむろに片膝を突いて右手を地面に当てた。


「・・・土御神槌(つちみかづち)!」


 右腕に絡みついていた龍がパッと光を放ち、地中に潜り込んだ。

 次の瞬間、テント広場の外れで花火が炸裂するような光が上がった。

 その閃光が走った地点から人影が高く宙に舞った。

 月明かりに浮かんだ人影は、大きく弧を描いてこちらに『飛んで』来ている。


 優雅に体を反転させ、その頭のシルクハットを右手で軽く押さえながら軽やかに着地をして見せた。

 革のブーツの音が響く。

 シルクハットをついと起こして、その青年はにっこりと笑った。

「いや~久しぶりだね義晃。最後に会ったのは・・・七年前だったかな? 相変わらずの術の威力だ。さっきのは、ちょっとヤバかったよ。」

 月光がシルクハットのゴーグルにキラリと反射した。

「鴨川童子か。傀儡が絡んでいるので、もしかしてと思ってはいたが。」

「御期待に沿えたようで何よりだよ。」

 鴨川童子は短く整えた顎髭を軽く撫でた。


 博通は左腕の斑石のブレスレットを外し、頼光の頭の上に置いた。

「頼くん、少しの間じっとしていてくれ。」

 博通は包み込むように、そっと両手をかざした。


『ちはやふる玉依の姫の御こころに 穢れ傷(そこな)へ流し清めむ』


 呪歌を唱えると斑石はぼうっと青く光り、小さなエイの姿に変化した。

 そのエイは左右のヒレをぴちぴちと羽ばたかせると腹の下から光る繊維を吹き出し、あっという間に頼光を包んだ。

「うわっ?」

 ミイラ巻きにされた頼光は驚いて身悶えした。

「頼くん、霊的治療を施すからじっとしててくれ。」

 義晃は博通の方をちらりと見てから鴨川童子に向き直った。

「わざわざ姿を現したんだ、お得意の紅茶を片手に観戦という訳ではあるまい。私らに何か用があるんじゃないのか?」

「まあね。これからちょいと大がかりな引っ越しを頼まれてね。この地下施設を丸ごと空間移送させるのさ。施設と土砂を置き換える置換転移術ってヤツでいつものより力がいるんだ。」

 鴨川童子は大きく伸びをして、いたずらっぽくこちらに視線を向けた。

「君達の迅速な行動からして、どうせ伊勢はまだ動いていないんだろ? 取引と行こうじゃないか。」

「聞こう。」

「そこの蜘蛛のお嬢さんから指摘されてね。あれから帰ってよく考えた結果、告訴次第では僕に『協定違反』の責を喰らう可能性が出て来た。」

 鴨川童子は顎先をとんとんと叩きながらちょっと斜め上に視線を投げた。

「そこでだ。君達が再度報告を上げる時に、物証を見つけられなかったとして、取り下げ・・・いや、保留案件としてくれるなら、僕の移送術でここに居る君達全員を大鳥居の前に移送しようじゃないか。悪い話じゃないだろ?」

 鴨川童子は人差し指をぴんと立てて、にっこりと笑った。

 義晃は皆の方を振り向いた。

 光の包帯がしゅるしゅると解かれて行く頼光と、それを心配そうに見つめる香澄、術に集中する博通、辺りを警戒している露の真剣な顔。

 それらを確認して義晃は、ふぅと息をついた。

「ああ。もう私は検非違使の師団長でもないし、捜査に主導権も無い。全員を無事に帰してくれるならその条件で手を打とう。」

「ありがとう。物分かりの良いニンゲンは好きだよ。それじゃ、白鳳の治療も済んだみたいだし、そこに集まってくれるかい?」

 鴨川童子は頼光の居る場所を指して義晃にウインクした。


 露と義晃が集まるのを確認した鴨川童子は満足そうに頷いた。

「それじゃ、移送を始めるよ。あ、一つ言っておくけど、約定を反故にしたら全力で報復に行くからね。」

「心配するな。七年前の時もそんな事はしなかっただろ? 信用してくれて良い。」

「確かに、君には実績があるからね。では、楽にしてくれ。ああ、そこの人間のお嬢ちゃん。ちょっと亜空間酔いすると思うけど勘弁してくれ。」

 そう言うと、鴨川童子は姿勢を正して右手を高く掲げた。

 パチンと指を鳴らすと彼の背後から、小さな金色の歯車が雲霞の如く現れた。

 歯車の群れはあっという間に頼光達の周囲を取り囲み、それぞれがくるくると回り始めた。

「それじゃ、元気でね~。」

 おどけたような鴨川童子の声がして、歯車の壁が一斉に輝いた。

 光が収まると、そこにはただの広場の夜景がひろがってた。

「さて、次のお仕事。」

 鴨川童子はシルクハットのブリムをひょいと弾き上げて教会の方を眺めた。


 歯車の煌めきがすうっと引いて、頼光達の目の前には源綴宮の大鳥居が月光を受けてグレーに輝いていた。

 顔をしかめて少し嘔吐(えず)いた頼光の体を義晃が支えた。

「二度目の移送だけど慣れないわね。」

 眉間にシワを刻んだ露が軽く頭を振る。

 その腕にはぐったりとした香澄が抱えられていた。

「やっぱり訓練を受けていない一般人はこうなるわよね。」

 露が香澄の寝顔を見て苦笑した。

「あ、露さん。ありがとうございます。本来なら僕が支えなきゃならないのに。」

「けが人が余計なコトまで気を回さなくても良いの。でも、義晃さん。これで良かったのかしら?」

 露は不安そうに義晃を見た。

「さあな。治安維持の観点ではとても褒められた幕引きとは言えないな。だが、真正面からぶつかったとしても、この手勢では明らかに不利だ。もう私は仲間や大切な人をこれ以上失いたくは無い・・・」

 八雷神の術を解いてしんみりと話す義晃は、薄雲から覗いた月を見上げた。

「父さん・・・」

「それじゃ、そろそろ行こうか。兄貴も心配している。」

 博通は大鳥居の石段を指さした。

「あ、そうだ、お疲れの所申し訳ないんですが博通さん。」

「何だい? 頼くん。」

「香澄が神父の火炎の幻術をもろに喰らってまで僕を助けてくれたんです。外傷とかは無いみたいなんですけど大丈夫でしょうか?」

「何、デーゲンハルトの幻術を?! それはマスい、強力な催眠暗示は体に多大な影響を与える場合が多い。すぐに治療しないと。」

 博通は斑石のブレスレットを外して、寝かせた香澄の胸の上にそっと乗せた。


 呪歌で呼び出された光の包帯が香澄を青く包み、光の繭が蛍のように淡く輝く。

 その時、公園の木立ちと建物の隙間から閃光が走り、地鳴りのような衝撃と爆発音が響いて来た。

「?!」

「・・・柳町の方角からか。まさか・・・」

 博通は閃光が射した方向を睨んだ。

「証拠隠滅か。鴨川童子・・・いや、デーゲンハルトの策だな。」

 義晃は少し口を歪めた。


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