第42話


「ライコウ!」

 得物を放り出した香澄は、片膝を突いてうずくまる頼光に駆け寄り抱き起こした。

「ライコウ! 生きてる? 死んじゃヤだーっ!」

「あ・・・かすみ・・・。無茶しやがって・・・女の子が・・・顔にキズでも付いたら・・・どうするつもりだ・・・」

「わたしの事よりっ、ひどい血。なんとかしないと。」

 香澄は膝に頼光を横たえて、赤く染まった頼光の体を撫でまわした。

「香澄ちゃん、私に任せて。」

 隣に駆け寄って来た露は、香澄に抱かせたまま頼光の体を探り始めた。

 体に突き刺さっている毛束を掴み、躊躇無く引き抜く。

「ぐううっ。」

 痛みの声を漏らす頼光と心配で蒼ざめた香澄を尻目に、全ての毛束を取り除いた露は掌に、淡い青色をした小さな糸の玉を出現させた。

 その糸玉を傷口に宛(あて)がう。

 その糸玉はぼんやりと光りながら傷口を覆って行く。

 その処置を数度繰り返し、露は自分の仕事を確かめる様に頼光の体を見て回った。

「これで良し。出血はこれで止まるはずよ。頼光くん、がんばったわね。」

「ありがとうございます・・・露さん。」

 香澄に抱えられるように横たわっていた頼光は、笑顔を作って少し身を起こした。

「あ、あの、これって?」

 香澄はおずおずと露の顔を覗き込んだ。

「珍しい? 実際、蜘蛛糸を血止めに使う地域もあるのよ。オーストラリアだったかな。」

 露はぱんぱんと手を打ち払う動作をしてにっこりと笑った。

「いや、そうじゃなくて。これって・・・夢? でも、火傷の痛みはするし・・・?」

 混乱している香澄の頭を軽く撫でて、ふらつきながらも頼光は倒れている玄昭の下へと近づいた。

「・・・何のつもりですか? 玄昭さん、いや、叢雲さん。」

 その言葉に、ぐったりと横たわっていた玄昭は、むくりと起きて半騎座になり、だるそうに頭を掻いた。

「やれやれ、バレてたのかい? 君も人が悪いな。」

「何企んでるのか興味がありましてね。」

「ちなみに、どの辺りで気が付いた? マナートの胸飾りを寺で渡した時は大丈夫だと思うんだが。」

 玄昭は服の埃をぱんぱんと叩きながら立ち上がった。

「そうだ、結局あのメノウは何だったんです? 鬼喰いは?」

「ああ、あれは『マナートの胸飾り』と言う中近東の魔術具だ。イスラム教以前の古代神との契約を仲介する物で、デーゲンハルトが長いコト所有していた物だ。だからヤツはそれを欲しがったのさ。ヤツを失脚させたエクソシスト達に復讐するために。」

 玄昭は大きく伸びをして腕を組んだ。

「だからあのメノウには『鬼喰い』を封じる効力なんて無いのさ。『胸飾り』をお前さんに持たせたのは、『鬼喰い』の前にお前さんを引っ張り出して始末してもらうためさ。目の前にエサをぶら下げれば神父も容赦無くなると思ってね。ま、鬼喰いがどこかへ消えてしまったのは想定外だったが。」

 苦笑いを浮かべた玄昭の姿がぼうっと赤く光る。

 髪の毛が逆立ち、瞳が赤く染まる。

 背中から漆黒の翼が張り出し、軽く羽ばたいた。


「ふむ。やっぱり『変化の術』を解いたほうが、気分が良いな。で、今度はこちらの番だ。いつ気付いた?」

「今夜この教会で再会した時に香澄のこと『さらわれた女の子』と言っただろ? 誰を探しに来たのかまだ告げていない時に。あの時点で知ってるのは映像を見せつけた叢雲、お前ぐらいだ。」

「ふふ。お前さんがこちらの計画通りに動いてくれているので、ちょいと油断したみたいだな。反省するよ。」

 頭をぽりぽりと掻いて苦笑いを浮かべた叢雲は、そのままの姿勢で鋭い視線を向けて来た。

「で、どうするつもりだい?」

「伊勢が動いている。逃げられないぞ。参考人として出頭してもらう。」

「ふん! 嫌なこった。こっちも『マナートの胸飾り』をタダ取りされたんだ。これ以上失態を重ねる気は無いね。それに・・・」

 叢雲は重心が安定せず、ふらふらと揺れている頼光を見て口元を歪めた。

「それに、今なら楽にお前を仕留められそうだ。白鳳よ。」

「頼光くん、下がって!」

 露が叫んで掌から糸束を打ち出す。

 叢雲は低く腰を落として歌舞伎のように両手をかざして身構えた。

 途端に糸束の先端が炎に包まれ、糸伝いに火炎が露の方に伸びて来た。

「くっ!」

 露は糸を切って、身をかわす。

「ははは、神父のとは違って、幻じゃないぞ。火炎術は一番の得意技でな。」

 叢雲が大きく腕を振るう。

 叢雲と頼光をぐるりと囲むように鬼火が出現し、ゆらゆらと漂った。

 露が突進を試みるとその鬼火は行く手を阻み、大きな炎を吹きつけて来る。

「さあ来な、死に損ない。『変化』して掛かって来るかい? 人間のカノジョに正体を見られたく無いかい? どっちでも俺は構わんよ。」

 シャリーンと言う金属音と共に錫杖が出現し、叢雲はそれを身構えた。

 頼光はちらりと香澄の方に目をやると、後屈立ちになって左手刀構えを執った。


 叢雲は槍のように錫杖の切っ先を突き出す。

 頼光はその錫杖の軸を、前に構えた右手で軽く弾き、右脚で首元目掛けて蹴込みを放つ。

 叢雲は左手首を返して得物を引き戻し、その蹴込みを受け止める。

 そのまま左腕を押し込んで錫杖の石付きで頼光の顎先を狙う。

 頼光は左手を突いて地面に倒れる。

 錫杖が空を切る。

 そのまま頼光は叢雲の左脚の膝裏に、右踵を叩き込んだ。


 錫杖の遠心力も手伝い、大きく体勢を崩した叢雲は、翼を広げて頼光と距離を取った。

「やるねぇ。そんな状態で体術を繰り出せるんだ。」

 頼光は跳ね起きて構えを執ったが、息が荒く、体も微妙に揺れている。

 視界の端が紅蓮に光る。

 露が何度か叢雲の鬼火の群れを突破しようとしているようだ。

 空中に燃え飛ぶ糸の束が揺らめいている。

「どうした? そんな中途半端な状態じゃ、俺に勝てないぜ。人間の格好にこだわり過ぎだ。大体『人間との共生』なんて考え方ヌルいんだよ。後発種族はそれらしく、俺達に従っていればいいだけなんだよ。」

 錫杖の石突きを地面にどんと突いた叢雲は、かざした右手の上にソフトボール大の火球を灯した。

「追尾する鬼火からどれだけ逃げられるかなっ?」

 叢雲が投げつけた火球は、地面を転がって身を翻した頼光に向かって、大きな弧を描きながらも正確に向かって襲ってくる。

「ちっ、飛礫(つぶて)っ!」

 頼光が身をかわして、指先をその火球に向けた。

 足元の地面から砂が巻き上がり、火球にぶつかった。

 火球は電球が割れるように四散して消えた。

「おお?」

「火を消すには砂で蓋するのも有効なんだ・・・うえっ!」

 ふらふらと立ち上がった頼光は口を押えて吐き気を殺した。

「ふん、脅かしやがって。砂礫を飛ばした程度でその衰弱か。それじゃ、小細工無しにトドメをくれてやる。」

 叢雲は錫杖を水平に掲げると、軸を捻って仕込まれている直剣を引き抜いた。

 頼光も両腕に大爪を生やして身構える。

 叢雲は鞘の部位を放り投げて姿勢を低く構えた。

「観念しな! 死に損な」

 そこまで叫んだ時、叢雲の周りの空間が激しく震えた。


「鳴御神槌(なるみかづち)!」


 大太鼓を打ち鳴らすような衝撃が走り、叢雲は二~三メートル程後方に吹き飛んだ。衝撃波は叢雲の敷いた鬼火の火炎陣をもかき消した。

「がは・・・な、なんだ?」

 叢雲は咳き込みながら体を起こす。


「大御神槌(おほみかづち)!」


 声が響くとにわかに頭上に黒雲が湧き、そこから一直線に白紫色の稲妻が打ち降りて来た。

 叢雲は飛翔してその場をかわす。

 落雷地点には焦げて弾けた地面。

 それにオゾンの臭いが漂っている。


「この力は黄泉津八雷神・・・雷帝か!」

 叢雲が顔を上げると、義晃が矛槍を構えて彼の息子の前に立っていた。

 頭・胸・腹・下腹部・両腕・両脚に八体の光る龍を纏わせた彼は鋭い眼光を叢雲に向けた。

「ちっ、デーゲンハルトの奴、精神障壁を解きやがったなっ。」


「裂御神槌(さくみかづち)!」


 下腹部に巻き付いていた龍が光を纏い叢雲へと飛ぶ。

 それは空と地面をけたたましく裂きながら迫る。

「ちいっ! おんばざらさとばあく うん!」

 叢雲は空中にその身を翻して刃と化した龍をかわし、左掌からバスケットボール大の火球を打ち出した。


「火御神槌(ほのみかづち)!」


 義晃の胸の龍が紅蓮に輝き、火炎をうねらせながら飛び出した。

 炎の龍は火球を難なく砕いて叢雲をかすめる。

 叢雲は火の付いた装束を剥ぎ取り、建物の壁を蹴ってさらに上空に舞う。

 義晃は右足をだんと踏み鳴らした。


「伏御神槌(ふせみかづち)!」


 右脚に巻き付いていた龍は稲妻となり、近くの木立ちに飛び、テントへ飛び、建物の壁に飛び、そこから叢雲に向かって飛び掛かった。

 ぱん! と火花が弾ける音と共に叢雲が地面へと落ちる。

「ぐ・・・ああ・・・。これは・・・マズい・・・」

 電気で痺れる体を起こして顔を上げる。

 腹部の龍が吐き出す黒雲を身に纏い、氷上を滑るように義晃が迫って来る。

 義晃の手にした矛槍が月光に煌めいた。


「掛けまくも畏き 伊邪那美の大神 生き死にの ことわりによりて その比良坂へ・・・」


 義晃が呪歌を唱えると、すいと振りかぶった矛槍が紫の光の煙を纏う。

 煙は渦を巻き、口を開けた複数の頭骸骨を浮かび上がらせた。


「・・・かの者を送る」


「ト、トランスポートっ!」

 義晃が矛槍を振り下ろす直前に叢雲は右手を広げた。

 右手中指の指輪が鈍く光る。

 指輪の溝が開き、きょろりと緑色の瞳が覗いた。

 それは数度まばたきをすると、ライム色に輝き、叢雲の体が指輪と同じ色に光る。

 振り下ろされた矛槍は地面をクレーター状に穿ち、紫色の煙を四散させた。


 地響きと共に、風穴の音とも獣の鳴声ともつかない『をおぉぉん』と言う声が響いた。

「む・・・逃げおったか・・・」

 短く呟くと義晃は矛槍の石突きを打ち鳴らし、踵を返した。


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