第41話


 夜陰に紛れて人影が三つ、納骨堂のキューブ状の建物から現れた。

 建物の壁に身を寄せながら慎重に歩みを進めて行く。

「で、どこへ向かうね? ギリシア人。」

 先を行っていた玄昭は、シーツをトーガのように身に纏った頼光とシスターの装束を着た香澄の方へ振り向いた。

「そ、それよりも、ちょっと聞かせてもらって良い? アレは何だったの? あのシスター、ロボット?」

 少し冷静さを取り戻した香澄が頼光のトーガの裾を引っ張った。

「あ、あれは・・・え~と・・・」

「俺が答えよう。アレは傀儡という機械人形だ。元来、諜報活動や最前線の偵察に使用されている。機密事項の一つでね、一般には存在は伏せられているモノだ。お嬢ちゃんを襲ったヤツはそれを悪用した輩という訳だ。」

 玄昭は説明を終えると右耳に手をやって短く頷き、少しニヤリと口角を上げた。

「どうしました?」

「いや、こっちの用だ。別件の仲間が上手く出来たと連絡があってな。」

 不思議そうに覗き込む頼光に、玄昭は両手を擦り合わせてその顔を見つめた。

 その時、頼光の肩に乗っていた銀色の小蜘蛛が、ぴょんと傍らの植え込みへ飛び移り、あっという間に蜘蛛の巣を張り終えた。

『頼光くん。』

「え? 誰?」

 突然の声に香澄は頼光にしがみ付いた。

「露さん、どうしました?」

 香澄の肩を軽く抱いて頼光は声のする植え込みの方に顔を向けた。

『困ったことが起きたわ。神父の幻術でそちらへ向かう道が見つからないの。私だけでも上からそちらに向かおうと思うの。』

「こちらは香澄を保護出来ました。」

『そう、騒ぎは起こしていないわよね。』

「あ・・・傀儡を一体、破壊しました。」

『え? それじゃ、あんまりのんびり出来ないわね。なるべく急ぐからそれまで大人しくしていてちょうだい。』

「わかりました。」

 交信が終わると小蜘蛛はぴょんと頼光の肩に飛び乗った。

「今の声・・・誰?」

 植え込みと頼光を交互に見ながら、香澄は不思議そうにささやいた。

「露さんと言って、崇弘さんの知り合い。助けに来てくれるそうだ。」

「上から、とか言ってたけど?」

「ま、まあ、細かい事は気にしなくて良いよ。とにかく助けが来るまでこの辺りで大人しく隠れていよう。それで良いですか、玄昭さん?」

「ん、ああ。俺は全く構わんよ。まあ、頼みにしてるよ、君んとこの知り合いを。」

 玄昭はぽんぽんと頼光の腰の辺りを叩いて、立膝に腰を下ろして辺りをうかがった。

 頼光もそれに倣って納骨堂の壁際に腰を下ろし、香澄は頼光の隣に立って、壁にもたれかかった。

 雲間から月明かりが射して、三人を照らし出す。

 小柄の香澄には瑠美のシスター服は大きく、胸元にブカブカとしたシワが入り、地面を擦りそうな裾を気にして左手でスカート部分をたくし上げていた。

「ねえ、ライコウ。私の手錠のバンドを切ったナイフとかあるんだよね? ちょっとこの裾、切ってくれないかな? 引っ掛かったり、踏んだりして鬱陶しいの。」

 香澄は自身のスカートを持ち上げた。

「あ、ああ。じゃ、ちょっと他所向いててくれる?」

「何で?」

「う~んと、とにかく頼むよ。」

「そんなに言うなら・・・変なの。」

 香澄は腑に落ちない顔のまま近くの植え込みの方に視線を向けた。

 頼光は右手の甲から大爪を飛び出させて、さくさくとその生地を切裂き、膝上丈に裾を切り揃えた。

「こんな感じで良いでしょうか? お客様。」

「うん、ありがと、仕立て屋さん。」

 頼光はハギレを丸めて花壇の草むらの中に突っ込んだ。


 その時、香澄のスカートの裾が何かに引っ張られる感じがして、香澄は小さく唸って振り返った。

「ん、何?  ひぃぃっ・・・」

 香澄の声にならない悲鳴に、頼光は振り向いた。

 顔面蒼白になって固まる香澄のスカートを、ロココ調の衣装を着たフランス人形が掴んで引っ張っていた。

「カスミチャアン・・・ドコイクノ?」

「いっ、いやああ!」

 香澄はスカートの裾を振り切って頼光にしがみ付いた。

 一度倒れた人形は、むくりと機械的に起き上がり、口のパーツをパクパクと動かした。

「ニガサナイワヨ。」

 人形はそう喋ると、くわっと口を開いた。

 納骨堂の縦長い引き戸が静かにスライドする音が聞こえ、周りの下生えの草がかさかさと音を立て始める。

 夜目に慣れた目に、体長四〇センチ~五〇センチぐらいの西洋人形がガラス質の目を輝かせて下草を踏み分けて来る姿が見えた。

 薄墨の夜景のあちこちに二十数個の光が、かさかさと揺れている。速さは無いが、じわじわと網が絞られて行くような感覚に戦慄が走る。


「こいつはまずいな。白桔梗っ。」

 玄昭は右拳を左掌に打ち付けた。目の前に細い布がしゅるしゅると現れ、それは集まって白い狩衣へと姿を変えた。

「え、え? な、何?」

 初めて見る式神に驚いて香澄は頼光の顔を覗き込んだ。

「ここは俺が引き受ける。お前さんはその子を連れて行きな。」

 玄昭は独鈷を構えて姿勢を低くした。

「分かりました。玄昭さんも気を付けて。」

 頼光は香澄の手を引いてテント広場の方へ駆け出した。

 その途端下生えを踏む音が早まり、逃げる二人に迫った。

 白い布が音のする下草を薙ぎ払い、二体の西洋人形を宙に舞わせる。


『おんばざらさとばあく うん!』


 速真言を唱えて左掌をその人形に向ける。途端に人形はぱあっと紅蓮に包まれ落下した。

「え、何? どうなってるのよお!」

「説明は後っ。とにかく逃げるぞ。」

 振り返ってパニックになる香澄を引っ張って、頼光は広場へと走る。

 テントが並ぶ広場に出ると、二人は手近なテントに見を潜めた。

 テントの中は簡易机とパイプ椅子が並んでいて、盗難防止の為か資材は撤収されてあった。

「ねえライコウ、一体何が起こってるのよ?」

「ああ、ちょっとばかり厄介なことが・・・」

 頼光が説明をしようと香澄を正面から見据えた時、タイヤが地面をゆっくりと進む音が近づいて来た。

「! 人が来る。」

 その音の主が月明かりに照らされる。

 車イスに乗った小柄な老婆が姿を現し、二人の潜んでいるテントの前をじんわりと進んで行った。

 少し進んでは止まって手拍子を執り、また進んでは止まって拍子を執っている。

「誰? ここの施設の人?」

 香澄が訝し気にささやいた。

「今朝受付で座っていた利用者さんだ。施設はロックされているはずなのにどうやって出て来たんだ?」

「それは、私が出したからよ。」

 不意にテントの布越しに声が響き、二人はその場から飛び退いた。

 銀色の小蜘蛛もぴょんと肩から飛び降りて、そのままテントの足元の方へと駆けて行った。

 頼光がテントから飛び出すと垂れ布の影からエプロン姿で丸顔の女性がゆらりと姿を現した。

 エプロンの胸には『北本』と書かれた白い布が縫い付けられている。

「見た所、教本通りの介護職員だな。」

「そうよ、ここの施設長をやってるの。あなたを神父様の所に連れて行くように仰せつかってるの。来てくれるわね。」

「答えは聞く必要があるかい?」

「いいえ。あなたに選択権は無いの。」

 この丸顔の女性はにやりと笑った。

「ライコウ! 後ろっ!」

テ ントの影から香澄の叫ぶ声が聞こえた。振り向くと、先ほどの車イスの老婆が宙を舞うように飛び掛かって来る姿が目に映った。

「うわあ!」

 頼光は地面を転がって攻撃をかわす。

 老婆は片膝を付いて着地すると、間髪入れずに頼光の方へ向かって来た。

「ちっ、車イス要らねえな。」

 頼光は手刀構えを執り、掴みかかって来る老婆の右腕を払って、こめかみに裏拳を叩き込んだ。

 地面に倒れた老婆はすぐにむくりと起き上がると、首だけを真後ろに回して頼光の方を見た。

「傀儡か。」

 頼光はテントから遠ざかる方へとバックステップして身構えた。

「物知りね。良い事教えてあげるわ。グループホームの利用者さんは1ユニット九名で構成しているの。」

 北本の名札を付けたこの女性はポニーテールを揺らして微笑んだ。

「きゃーっ、ライコウ!」

 テントの中から香澄の悲鳴が上がった。細長い体型の老人が香澄の腕をがっしりと掴んでいた。

「かあっ! 大人しくせんかっ。わしは帝国陸軍軍曹・浦上であるっ。軍人の命令に逆らうかっ! この非国民めっ。」

 口汚く騒ぎ立てながら浦上を名乗るこの老人は香澄を外に引きずり出した。

「面会の際に違和感無いように、個人の性格、言動パターンをインプットしてあるの。」

「香澄っ!」

 頼光が駆け寄ろうと一歩踏み出した時、後ろから老婆姿の傀儡が全身でしがみついてきた。

「・・・三段ボックスの棚が歪んだのよ。あんた直してくれんかね。」

 しゃがれ声が耳元でささやく。傀儡の四肢はぎりぎりと頼光の体を締め上げてきた。

「う・・・おおおっ。じゃま・・・するなぁ!」

 頼光の体の表面が青白く光り、その体表面の空間に揺らぎが起きる。

 その揺らぎがぱんっと元に戻ると同時に、大太鼓を一撃するような衝撃波が響いた。

 絡みついていた傀儡がばらばらと地面に散らばり、施設長を名乗る女性は顔の前に手をかざした格好で後ずさった。

 頼光は低く身構えると空間跳躍で一気に香澄の傍へと移動する。

 いきなり現れた頼光に香澄が短い悲鳴を上げる中、傀儡の腕を大爪で切断した。

 左腕にぶら下がる傀儡の腕に驚く香澄を背後に隠し、頼光は両腕に出現させた大爪を振り抜いた。


 音叉の共鳴音のような、高い音が響く。


「きっきさま・・・て・帝国りっく・・・はむか・・・う・・・くらは・・あ・・・」

 音声を途切れ途切れに発しながら目の前の機械人形はばらばらと崩れ落ちた。

「香澄っケガはないか?」

「え? 何? なにがどうなってんのよっ!」

「香澄、落ち着いてくれ!」

「どう落ち着けっていうの? もう、何がなんだか解らないよっ!」

 頭を抱えて香澄はその場にうずくまった。

 大爪を収納した頼光は、そのまま香澄を抱えあげた。

「香澄! しっかり掴ってろよ。」

 頼光の首に腕を絡めた香澄に、後ろの景色がぐにゃりと歪んで行く様子が目に入って来た。

 ぱんっと泡が弾けるように景色が元に戻ると同時に、物凄い加速感が香澄を襲った。

 周りの景色が残像のように長く尾を引く。

「うぅ!」

 一瞬でテント広場の端に着いた事に香澄は目を見張った。

「え? なに?」

「しゃべるな、舌噛むぞ!」

 今度は足元付近の景色が歪む。

 ぐるんと様子が元に戻ると今度は浮遊感が襲って来た。

 目を凝らして見ると、眼下には教会の塀が見えた。

 まさに二人が塀を越えようとした時、どんと鈍い衝撃が走り、ピンポン球のように敷地内へと弾き戻されてしまった。

「な、何だ今のは?」

 驚く頼光に、パジャマ姿の太めの老人が飛び掛かって来た。

「わしはおねしょなんかしておらん! これは寝汗じゃあ!」

 振り回される拳を空間跳躍でかわし、頼光は香澄を抱えたまま腰を落とす。

「元気な爺さんだ。」

 老人が一歩踏み込んだ脚のくるぶしを目掛けて蹴たぐりを引っ掛けた。

 大きく前方に体勢を崩した対象の胸元目掛けて蹴込みを放ち、地面に転がす。

「きゃあ、後ろっ!」

 耳元で香澄が叫ぶ。

 すぐ近くからじゃりっと砂を踏む音がする。

 振り向かずにそのまま前に駆け抜けた頼光のすぐ後ろでぶんと空を切る音がした。

 建物の壁を背に体勢を整え直すと、むくりと起き上がる老人と、四つ股の杖を構えた白髪頭の老婆の姿が視界に入った。

「うわ、次々と・・・なあ、香澄。」

「え、なに?」

「僕が・・・化け物だったらどう思う?」

「この状況でそんな事言えるのが只者じゃないと思う。」

 どんどん間合いを詰めてくる傀儡に後ずさりして、頼光は香澄をそっと地面に立たせた。

「巻き込んで済まなかった。どうなっても香澄は、香澄だけは守るから。」

 今まで見たことも無い思い詰めた頼光の顔に、香澄は息を飲んだ。

 香澄の盾になるように立った頼光は両拳を握りしめて両脇に引き付ける。

 深く息を吐き出す音と共に、頼光の周りの空気が青白く揺らめき始め、栗色の髪の毛がざわざわと逆立ち始めた。


「はい! そこまで、頼光くん!」

 上空から声がすると香澄のすぐ傍に、セミロングヘアの女性がふわりと降り立った。

 プラチナブロンドの髪が月光に輝く。

 その肩には小さな銀色の蜘蛛が乗っていた。

「お待たせ。無茶するなって言ったのに言う事聞かない子ね、まったくっ。」

「きゃ、だ、誰?」

「露さん、良いタイミングですね。助かります。」

 露の出現が合図のように二体の傀儡が一斉に飛び掛かって来た。

「はあっ!」

 気合と共に露は駆けだして両腕を大きく水平に振り抜く。

 露の両腕から月光にキラキラと絹糸のような繊維の束が輝き、その光の糸は二体の傀儡に絡みついた。

 その間を駆け抜けた露が胸の前に両腕を交差した格好で、姿勢を低くして振り返る。

 その両手には傀儡と繋がる糸の束が握られていた。

 露の方に傀儡が振り向くと同時に絡んでいた糸が白く輝き、傀儡の関節部から火花が飛び散った。

「ふう。雷帝ほどじゃ無いけど、電撃は使えるのよ。」

 地に伏した傀儡越しに、頼光の方へウインクして笑う露の表情がにわかに厳しいものに変わった。

「まだまだ集まって来ているわね。キリが無さそう。」

 頼光が周りを見回すが、先ほどまでいた丸顔の介護職員の姿は消え、不気味に静まっている。

「ライコウ・・・なによ、この人たち・・・」

 香澄は頼光の纏っているシーツのトーガをぎゅっと掴んだ。

「? 誰も居なくなってるけど・・・」

「いや、いっぱい居るし。ほらなんかゾンビ映画みたいにゾロゾロっ!」

 視線の先で、露が蜘蛛糸を周囲にめぐらして防獣ネットのようなものを展開している。

「これは・・・まさか。」

 しがみつく香澄を軽く抱きしめて周囲の気配を探る。

(全くの静寂・・・納骨堂の方からの音や気配も無い。)

「どこだ! 神父、出てこい!」

 突然大声で叫んだ頼光にびくっとなった香澄は不思議そうに頼光の横顔を見つめた。

 するとお約束の含み笑いが響いてきた。

『ふふふ・・・妖魔の類にも効くのに、やはり君には私の術が効かないね。』

 その声が響くと同時に、露と香澄は周囲をきょろきょろとうかがった。

「え? 消えた・・・・?」

「・・・幻術。」

『やれやれ、君のせいで本来、こちらに干渉しないはずの伊勢に動きが出て来たよ。おかげで引っ越しを検討するはめになってしまった。』

「そういうのを日本の言い方で『自業自得』と言うんだ!」

 頼光は辺りをうかがいながら声を張った。

 不意に気配と足音が響いて来た。

 足音は教会の方から一定のリズムを刻んで近づいて来る。

 薄明りに長身の男性のシルエットが浮かび上がった。

 タイトな黒づくめの衣装に衿元の白いカラーが映える。

 さあっと風が吹き抜け、ブロンドの髪がキラリと輝いた。

「やあ、また会えたね。頼光くん。それに、アラクネーか。君とは確か・・・十七年ぶりになるかな。マスターを変えた気分はどうだい?」

 長身の男性は顎髭を撫でながら頼光達に笑いかけた。

 白い歯がちらりと光る。

「やっぱりデーゲンハルトなのね。しばらく見ないうちに若くなったわね。」

 露が険しい表情で、吐き捨てるように言った。

「露さん? ミハイル神父・・・じゃ?」

「彼は、エクソシスト退魔団の指揮官の一人よ。本名はデーゲンハルト・フォン・バイルシュタイン。あなたのご両親と一緒に、先の大戦で封魔達と戦った人物よ。」

「ああ、頼光君。君の事を調べてみて驚いたよ。あのヨシアキとクレハの子供だったとは、いや、世間は狭いものだね。」

 神父は肩をそびやかした。

「わざわざ姿を現したんだ、何か言う事があるんじゃないのか?」

「ふむ。父親譲りに勘が良いね。まあ、これを見てもらおうか。」

 神父は舞台役者のように大きく腕を振った。


 建物の屋上から黒い塊が降って来て、神父の隣に着地した。

 ぐったりとした男性を機械感丸出しの傀儡が羽交い絞めにし、上下逆さまになった傀儡がさらに後ろから抱きしめる格好で十字架を作り、そのオブジェを左右からもう二体の傀儡が支えて立っている。

 その黒い金属骨格剥き出しのボディが冷たく月光を反射していた。

「玄昭さん?!」

「この男は君が言っていたクラマの者だね。この男と君のマナートの胸飾り・・・メノウの円盤を交換ではどうだろう?」

「あいにくだが、今は持っていない。香澄を助けるのにこの身ひとつで来たからな。」

 頼光は大きく両手を広げた。

「いや、そんなことは無いよ。この男から君が持っていると言質は取ってある。」

「そう言われても、無いものは・・・」

 頼光はシーツのトーガをパンパンと叩いた。

その時、腰巻の辺りに何か違和感を覚えた。

(何だ? 何かあるぞ。)

 頼光は体をねじってシーツのヒダの中を探る。コツリと硬い塊が手に触れ、それを引っ張り出す。

 それは若草色の絹布にくるまれた手のひら大の物であった。

「! 何で部屋に置いて来たものがここにあるんだ?」

 絹布を解いて中身を確認した頼光は声を上げ、その隣で香澄は不思議そうに頼光を見つめた。

「そうだ、それだ。それを持ってゆっくりとこちらへ来い。」

 神父は西洋風の手招きをしながらニヤリと笑った。

 何かおかしいとは思いながらも、他の選択肢も思いつかないので頼光は香澄を露に預けて神父の方へと歩みを進めた。

 メノウの円盤を高く掲げてゆっくりと歩いてくる様子を神父は満面の笑みを浮かべて見つめていた。

 メノウの円盤を差し出しながら、約一メートルの間合いに近づく。

 頼光はちらりと玄昭のほうへと視線をやって、彼の様子を確認した。ぐったりとしたままうなだれて、昏倒しているように見えた。

「それでは、いただこうか。」

 静かに、力強く神父の声がした。神父の手が頼光の方へと伸びる。

 その時、玄昭を十字架に固めている逆さになった傀儡の背後から歌舞伎の「蜘蛛糸」のように黒髪が吹き出した。

 それは頼光を素通りして、その後方1メートルの空間に巻き付いた。

 途端に頼光の姿が霧のようにぼやけて、やがて消えてしまった。

 そして黒髪が巻き付いている空間に簀巻きにされてもがいている頼光の姿が現れた。

「うふふ。やっと捕まえたわよ。このわんぱく坊や。」

 逆さまに貼り付いていた傀儡は、ひょいと体を翻して神父の隣に並んだ。傀儡の背中から黒髪のカツラが這いずるように上がって来て、白い能面の頭部に落ち着いた。

 じんわりと能面の顔が丹精な女性の顔に変化して、やがてそれは、あの玲子の顔になった。

「頼光くん!」

「ライコウ!」

 露と香澄が口々に叫ぶ。

 露は身構えて地面を蹴った。

 露の目前で火柱が吹き出し、それはカーテンの様に広がりその行く手を阻んだ。 

 トンボを切って着地した露の左腕に火傷の痛みが走った。

「くっ!」

「頼光君、君は空間圧縮の技を使うそうだね。確か、今の技はカクレミノとか言う投影術だろ? 実際に見たのは君の母親に次いで二人目だよ。」

 余裕綽々といった様子で、神父は腕を組んで頼光の様子を眺めた。

「そうそう、地下室の大立ち回りで、君が玲子の髪を引きちぎってくれたのを覚えているかい? あの時の君の血液から上質のオド、つまり生命エネルギーを大量に見つけてね。それを彼女が大変気に入ったんだ。」

「そうよ、あの時死んだふりしてて良かったわ。鬼が居なくなってから、じっくりとあなたの血を楽しませてもらったの。とっても美味しかったわ。おかげで、ちまちま老人の枯れかけたオドをすすっていた頃よりも元気になったのよ。」

 黒い金属骨格をなめらかに動かして、玲子は前髪をくるくるといじった。


 露は、炎のカーテンを避けながら突進を試みるもことごとく火柱に行く手を阻まれ、目の前の光景を苦々しく睨んだ。


 一層黒髪の束が頼光に巻き付き、締め上げる。

「ぐう・・・ただのテクノロジーじゃ、こんな芸当は出来ないよな。あんた妖怪の類か?」

 神父は自由の利かない頼光の手からメノウの円盤をむしり取った。

「彼女をバケモノ扱いするのは止めておくれ。彼女は私を失脚させようとした派閥の犠牲になってしまった可哀想な人なんだよ。」

 神父は玲子の隣に立ち、その金属の肩にそっと手を置いた。

「バラバラになった彼女の体が塵になって消える前に、私の術で魂を留めて縫い付けたんだ。この頭皮にね。」

 神父は愛おしそうに玲子の髪を撫でた。

「おかげで私は死なずに済んだの。それどころか、今はこんな若い頃を再現した肉体も貰えて、愛しい息子ともこうやって恋人のように居られるのよ。」

 玲子は神父の肩に頭をもたれかけ、艶めかしい笑顔で神父を見つめた。

 二人は軽いキスを交わし、黒髪を振りほどこうともがく頼光を見つめた。

「私としては、このマナートの胸飾りが手に戻れば何の心残りも無い。ただ、転居先でしばらく身を隠さなくてはならなくなったのでね、彼女の栄養をストックさせてもらおう。」

「うふふ、頼光くんだったわね。ごちそうになるわよ。」

 黒髪がぐいと波打って、毛束の先が無数の鎌首をもたげた。

 狙いを定めたそれは頼光の体に突き立った。

「ぐあああっ!」

「ライコウ!」

 苦悶の声を上げる頼光に向かって、香澄が駆け出した。

「危ない! 香澄ちゃん!」

 露は香澄の体を横っ飛びに抱え上げる。

 その場所に火柱が上がり、香澄はすねに火傷の痛みを感じた。

「ぐおおおっ。」

 唸り声と共に頼光の体が白く輝き始めた。

 しかし、その時、いくつかの毛束の先が頼光の体を貫通して飛び出した。

「がはっ・・・」

 吹き出す血液が、月の光に鈍く光る。

「さっき傀儡を衝撃波で破壊したの見てたのよ。同じ手は喰わないわよ。まぁ、溢れだした分はもったいないけど。」

 玲子は金属の指を頬に当て、首を傾げて笑った。

「いやーっ! ライコウ! 離してっ、ライコウが死んじゃうっ!」

 半狂乱に叫んで暴れる香澄を抱き止めて、露はテントの影に身を潜めた。

「落ち着いてっ、今あなたが飛び込んだからって、あの炎には勝てないわ。たとえあれが、デーゲンハルトの幻術と解っていてもいても!」

「・・・・幻術?」

「そうよ、ヤツはイリュージョニスト。超一流のね。ヤツの幻は感覚にまで訴えることが出来るの。ヤツの火に触れれば熱さを感じるし、水に浸かれば息が出来ない。」

「本当に炎があるわけじゃないんだ?」

「事実としての炎は無くても痛みはあるわ。幻の刃で斬られても、その痛みでショック死する事だってあるのよ。」

「じゃ、このままライコウが死ぬのを見てろって言うの? そんなのイヤ!」

 香澄は足元に散らばっている傀儡の腕を掴んで一気に駆け出した。

「か、香澄ちゃん?」

 驚いて後を追う露の目の前に再び火柱が上がる。

 数メートルダッシュした香澄の目の前に火柱が上がった。

 香澄はバスケのオフェンスの体さばきでかわしてさらに前進する。


「ほう、頼光君、見えるかね? 君のガールフレンドはなかなか良い動きをする。君には判らないと思うから説明すると、痛みを伴う幻の炎を彼女に仕掛けているのだよ。幻とはいえ、まともに食らって無事でいられるかな。」

 神父は嬉しそうに口元を歪めた。

「か・・・かすみ・・・来るんじゃ・・・ない。」

 かすれ声で呟いたその時、頼光の胸骨の辺りの皮膚がぼこぼこと盛り上がり、その皮膚を破って赤紫色の細い触手が数本飛び出した。

 飛び出した触手は正面の傀儡の体に巻き付いた。

「! 何これ?」

 玲子が驚き身構える。

 が、その触手は数秒程絡んで、しゅるしゅると戻ってしまった。

「ふん、何を仕掛けてたのかしら?」

 玲子は少し拍子抜けした様子で肩をそびやかせた。


 香澄は目前の火柱を横っ飛びにかわして、あと一メートルの距離に迫った。

 不敵な笑みを浮かべた神父はパチリと指を鳴らした。突然、神父と香澄の間に壁状の炎が吹き上がる。

「きゃあああっ!」

 鋭い悲鳴が聞こえて、神父は視線を外した。

 そしておもむろに炎の壁の方に右手をかざした。

 ばしっと何かのぶつかる音がした。

 神父の右手には、拳大の金属パーツが受け止められていた。


「ま、何か飛び道具があるとは予想が付く、がっ!」

 神父は上空から振り下ろされた傀儡の腕を頭部に受けてそのままゆっくりと地面に倒れた。

 そこには肩で息をしながら傀儡の腕を握りしめて立っている香澄の姿があった。

 その体は痛みに震えながらも気丈に神父を睨み据えていた。

「ミハイル?!」

 玲子は慌てて神父を抱き起した。

 神父の頭部からは金属板と配線コードが覗き、短い周期で黄色い火花が散っている。

「う・・・わああっ! あんたっライコウ放しなさいよっ!」

 香澄は無茶苦茶に手にした得物を振り回した。

 その剣幕に玲子がたじろいだ時、大太鼓を打ち鳴らすような衝撃音が響いた。

「ぎゃあっ!」

 自身を引きちぎられた苦痛に、玲子は悲鳴を上げて、神父を抱えたまま飛び退いた。

『玲子、一度引くぞ。マナートの胸飾りを持って地下室に来てくれ。』

 神父の声が響くと、玲子はメノウの円盤を握り締め、玄昭を絡め取っていた傀儡と共に屋根へと跳躍して姿を消した。


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