第37話


 そう何分も経たないうちに頼光は教会の屋根の上に降り立ち、星空の夜景をバックに、頼光は敷地内を見渡した。

「地下の一室とか言ってたな。侵入するには教会の落とし穴かグループホームのリネン室・・・どう潜り込むか。」

 独り言をつぶやいて、ふわりと教会のステンドグラス側の庭に降り立った。

 室内のライトを受けて荘厳に聖母子モチーフが輝いている。

 壁から回廊越しにそっとうかがうと、一階のほとんどの明かりが消えている二階建ての建物が見えた。

 二階の窓には時折動く影が映り、教会関係者の居住スペースであろうと推察できた。

「一階はグループホームだったな。午後七時にはもう消灯なのか? おちおちニュースも見られないな。」

 誰に言うとなく頼光はつぶやいた。

 一番奥の大きなガラス壁に緑色のカーテンが掛かっている。

 そこには薄っすら光が灯り、誰か居るように見える。

「リネン室から出た時、あの辺りでテレビの音がしていたな。リビングというところかな。」

「正解だ。そこで『介護日誌』をつけている時間だな。」

 すぐ隣で男の声がささやいた。

 頼光は驚いて大爪を繰り出した。

 その右腕に白い絹布がぐるぐると巻き付き、爪ごと繭状に包み込む。

 頼光の隣で、バックステップを踏んだ人影が月の光に浮かんだ。

「よお、また会えたな、天狗。」

「げ、玄昭さん? 無事だったんですか?」

 軽く手を上げて挨拶する玄昭に頼光は目を丸くした。

「ああ、ちょっとヤバかったけどな。このリングが無かったら今頃はコウモリの餌になっていたさ。」

 玄昭は右手中指の大ぶりな銀の指輪をかざした。

 筒状の指輪の縦方向に一本、縁取りされた溝があり全体にエキゾチックな植物模様が彫り込まれている。

「これは?」

「西洋の魔族・・・いや術者から交易して手に入れたものだ。このリングの眼に憶えさせた場所へ空間移送出来るアイテムだ。もしもの際に装備していて助かったよ。」

 頼光がその指輪を覗き込むと指輪の縦の溝がゆっくりと開き、中から緑色の瞳がきょろりと覗いた。

「うわ、生きてる?」

「東洋の呪術とは違う理論で出来ているから、その辺は何とも言えないな。こいつも『白鳳』が珍しいのかもな。」

 玄昭は、かざしている右手をひょいと下ろして空中に印を切った。

 頼光の右腕に巻き付いていた布はしゅるしゅると集まって狩衣の姿となった。

「で、上手く逃げ仰せられた君が、また何でここに独りで居るんだ?」

「・・・大切な人が捕まった。助けなくちゃならない。」

頼光は真剣な顔で呟いた。

「おや、あのキレイなお嬢ちゃんは俺が移送したはずだが。」

「美幸ちゃんのことじゃないですよ。あ、そうだ。玄昭さん、美幸ちゃんを京都に飛ばしましたよね。何してくれてるんですか。」

 頼光は腰に手を当てて睨みつけ、玄昭はあさっての方向に視線をやって頭を掻いた。

「あ・・・いや、済まない。神社のイメージが貴船になっちまったんだ。まぁ、あそこなら関係者が多いから路頭に迷う事は無かろう? 無事に帰って来られるさ。」

 玄昭は肩をすくめておどけて見せた。

「話を戻そうか。それで、そのさらわれた女の子の居る場所の目星は付いているのか?」

 頼光はぴくりと眉を動かして眉間にシワを刻んだ。

「教会の地下施設のどこかという事しか・・・玄昭さん、地下に行くにはどのルートが良いと思いますか?」

 玄昭は腕を組んで軽く目を閉じた。

「祭壇の落とし穴からの潜入は無理だろう。開け方が分からんし、神父に発見される確率が高い。リネン室から行こうにも、夜勤の者が一晩中起きているから気付かれずに潜り込むのは至難の業だな。」

「・・・どうせ気付かれるなら正面突破を・・・」

 頼光は両腕の大爪を胸の前で構えた。

『ちょっと、頼光くん。何突っ走っているのよ。』

「え? 露さん?」

「どこだ?」

 不意に響いて来た声に二人は辺りを伺った。

『義晃さんから聞いたわよ。崇弘も久しぶりに慌てていたわ。今どきスタンドプレーは流行らないわよ。』

「すみません、でも、すぐにでも助けたいんです。」

 頼光はその声の出処を探して辺りを見回す。

 すると、背の高い草の間に張られた蜘蛛の巣が微細に揺れているのが視界に入った。

『今、声だけをそちらに飛ばしているの。義晃さんや博通さん、崇弘の準備が出来次第、私も一緒に向かうからあまり無茶しないでちょうだい。』

「露さん、この施設の地下に通じている所は分かりますか?」

『話聞いてる? ・・・でも言わなきゃ正面突破するつもりね。』

「正解。」

『ふう・・・仕方無いわね。教えるけど騒ぎは起こさないでよ。』

 頼光の肩に銀色の小さな蜘蛛が、つすうっと糸を引いて肩の上へ降りて来た。

『その子が場所を教えてくれるわ。』

 銀の小蜘蛛は前脚を伸ばして左斜め前を指し示した。

 その方向にはキューブ状の建築物のシルエットがあった。

「確か、あそこは納骨堂・・・」

『その子の指示に従って行って。こちらも急いでそっちに向かうから。』

「ありがとうございます。助かります。」

 二人はそっとキューブ状の白い建物に近づいた。

 凱旋門のような凝った彫刻で装飾された正面は二段スライド式の扉を備え、三メートル弱のものならばそのまま通過できそうに見えた。

「いろんな知り合いが居るんだな。」

 玄昭は頼光の肩の蜘蛛を見つめた。

「ええ、崇弘さんの式神だそうです。頼りになります。」

 納骨堂の正面に立つと、肩の上で小蜘蛛が、建物の右側面を指し示した。

 促されるままに歩みを進めると建物の右後方の人工大理石の白い壁の前にたどり着いた。

「ここかい?」

 不思議そうに頼光は小蜘蛛にささやいた。

 小蜘蛛はぴょんと壁に取り付いて、腰の高さにある真鍮色の飾りビスの上をトントンと叩いて顔を上げた。

「押せって言っているみたいだな。」

 玄昭は目配せをして指さした。

「はいはい、分かりましたよ。」

 ビスの頭は奥にまで埋まり、カチリと機械的な感触を頼光の指に伝えた。

 しかし何も起こらない。

 銀の小蜘蛛は前四本の脚を大きく振りかぶって、とすとすと壁を叩いた。

「・・・壁を押せって事かい?」

 頼光はそのまま人工大理石の白い壁に手を掛けて、重心を預けた。

 カチンと金属質な手応えと共に、五センチ程壁が向こうへと沈み、音もなくそのピッチの壁が右へスライドした。

「うわ、RPGの隠し扉みたいだ。」

 小蜘蛛はぴょんと肩に飛び乗り、得意げに後ろ脚をこすり合わせた。

 扉から中を覗くと真っ暗だ。

 夜目に慣れてはいても光源が無ければ何も見えない。

「ちょっと待ってな。今明かりを出す。」

 カチリと音がして足元が小さな光で照らし出された。


 扉の中は高さ二メートル、幅一メートルの空間になっており、全体にコンクリート打ち放しの仕上げになっている。左側の壁には真鍮の配管が規則的に走っていて、どこかで見たことのある雰囲気を漂わせていた。

「このデザイン、地下室で見ました。」

「なるほど、核心部分と言うところだな。そうだ、俺が預けたメノウの呪符は持っているかい?」

「あ、今は部屋に置いてます。『鬼喰い』に直に押し当てたんでその中に移動してくれたはずです。これが終わったらお返しします。・・・報酬の件は忘れないでくださいよ。」

「ああ、分かっているさ。」

ぶ っきらぼうに玄昭は答えると、ライトを肩の高さに構えて頼光の前を進んで行った。

 正面の壁に突き当たると、そこから右に急勾配な階段が地下に向かって伸びていた。

 光源の無い階段は精神的な圧迫感を募らされる。二人は足音を殺しながら階段を下って行った。


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