第36話


 帰宅する頃には夕日も暮れて、金星が明るく瞬いていた。

 大鳥居の昇り階段は両脇の林に囲まれて薄暗く、外灯の無い場所は段差が見えづらい。

「年末年始に設置するLEDの灯篭、常設したら足元危なく無くなるかな。」

 大きな独り言を口にして、携帯電話をポケットから取り出す。

「香澄から連絡無いな。いつもならメールか何か入ってるのに。」

 家の居間には大きめのケージが組み立てられて、その中に大きな目をした三毛猫がクッションの上で香箱を組んでこちらを見ていた。

「あら、おかえりなさい。さっきこの子をケージに入れた所なの。」

 私服姿の美智子が両膝をついた格好で振り返った。

 傍らには保昌が下げていたキャリーケースが置いてある。

「帰りました。美智子さん、なんだか手慣れてますね。それとこの檻は美智子さんが持ってきてくれたんですか?」

「ええ、小さいころから猫飼っていたから。このキャリーは使ってくれって禎茂さんが置いていったの。獣医さんに連れて行く時使いましょう。」

「どこか悪いの?」

「保護したら健康診断してもらうのが良いのよ。さっき便宜的にミケコちゃんて呼んでいたんだけど名前はどうするの?」

「あ、ミケコが良いですね。」

「あら、採用ね。それじゃ、社務所のお父さんに報告して帰らせてもらうわ。」

「仕事後にやってくれたんですか。すみません。」

「いいのよ、この子可愛いし。じゃ、この子にごはんあげて可愛がってあげてね。」

「はい、美智子さんありがとうございます。」

 食器棚からお皿を出してきて、買って来たレトルトフード『いなばCIAO』を盛ってケージの中に入れるとミケコははくはくと音を立てて頬張った。

「おいしいかい? 良かった。」


 頼光が三毛色の背中を撫でていると、玄関をノックする音が聞こえた。

「誰だろう?」

 チャイムを鳴らさない訪問者に訝しがりながら頼光はドアを開けた。

 デニムのショートパンツにボーダーのタイツ、ボートネックのロングTシャツ姿の香澄がそこに立っていた。

「お、香澄。どうしたんだ? 郵便配達でも二度ベルを鳴らすんだぞ。」

「・・・ちょっと来てくれる?」

「あ、ああ。」

 サンダルを引っ掛けて、頼光は香澄の後に続いた。

 朱の鳥居を右手に見る位置まで出て来ると、ぴたりと香澄は歩を止めた。

「どうしたんだ香澄?」

 不思議そうに声を掛ける頼光に、香澄はくるりと振り向いた。


 香澄の下唇から顎にかけてのパーツがスライドし、一気に顔面が観音開きに開いた。

 内蔵された丸い鏡が青白く輝き、ストロボのような光を放つ。

 光を浴びた頼光は硬直し、その首めがけて顔面を開いたままの傀儡が両手を伸ばす。

 頼光の首に両手が掛かる。

 が、その手は首を通り抜け、傀儡はバランスを欠いて前のめりになった。

 目の前の頼光の姿が、霧が晴れるように崩れた。

 ターゲットを見失ったその傀儡は機械的に首を動かし、鏡の脇から赤いレーザーの光が前方を探った。


 その一瞬後、その首は宙に舞った。


 後ろの風景が人の形に透明度を落とし、じんわりと大爪を真横に振り抜いた頼光の姿が現れた。

 軽くスパークを起こした傀儡の体は直立の姿勢のままガチャリと地面に倒れ伏した。

「おお! 素晴らしい。」

 朱の鳥居の上からパチパチと拍手が響く。

 鳥居の笠木の上に、山伏装束を着て鷹色の羽を広げた人物がこちらを見下ろしていた。

 栗色の逆立った髪が夜風になびき、赤い瞳がルビーのように光る。

「ますます出来るようになったな。」

「赤いヤツか!」

「叢雲だよ、判っていて言っているだろ・・・すごいな、『隠れ蓑』を瞬時に発動できるとは。しかし、どの時点でこれが君のガールフレンドじゃないと気付いたんだい?」

 叢雲は腕を組んで身を乗り出した。

「香澄とはノリが全然違ったからな。それに香澄は薄手のTシャツを着る時は、厚みのあるブラを付けるんだ。」

「そうか、そこまでの嗜好は反映出来なかったな。素直に身ぐるみ剥いで着せておけば良かったよ。」

「どういう意味だ。」

「言葉通りさ。」

 叢雲は腰に下げた袋から手のひら大の銅鏡を取り出して月の光を地面に反射させた。

「まあ、そこを見てみろ。」

 光を受けた地面は映画館のスクリーンのように映像を浮き上がらせた。

「香澄!」

 中世ヨーロッパの貴族が使っているような凝った造りのベッドの上に、下着姿の香澄が寝かされている。

 その両手・両脚には黒い革の拘束帯が巻かれてベッドの四隅に突き出している支柱に固定されている。

 白い大理石風の床と、傍らで香澄を覗き込むシスターの姿がちらりと映った。

 床をカツカツと叩くヒールの音も聞こえてくる。

「香澄に何をした?!」

「とりあえずは着衣を脱がせてその傀儡に着せ付けた。そのシスターが下着を脱がす楽しみを奪うなとごねたので、後はそのままにしてあるのさ。」

 叢雲は笠木の上から地面のスクリーンを指さした。

 シスターは香澄の白い腕や胸元を、人差し指でつつうと一通り撫でて画面から姿を消した。

 カツカツと響くヒールの音の後にパタンと扉の閉まる音がした。

「香澄っ・・・叢雲、貴様ぁっ。」

 頼光の体が一瞬青白く光る。

 光が消えると、白磁のように白い体をした一角の妖が翼を広げて立っていた。

「おっと、一つ言っておくが、さらったのは俺じゃないぞ、今日お前さんが大立ち回りをした鴨川童子だ。」

「それを利用したお前も同罪だ。」

 頼光は両腕の大爪を月光に煌めかせて身構えた。

 翼の根本は裂けた背中からの血で赤く染まっている。

「ふっ、やるかい?」

 不敵に笑った叢雲は右腕を真横に伸ばす。

 掌から黄色い光が煌めき、金属音と共に三叉鈷が先端に付いた錫杖が現れた。

「来な! ちょいとばかり遊んでやるよ。」

 笠木の上から槍のように錫杖を構えた。

 錫杖の先端に火球が灯り、高速で獲物に向けて撃ち出された。

 地面で炎が弾けた。


 その炎が消える前に、白い妖の姿が叢雲の横に現れた。

「!」

 至近距離の回し蹴りを錫杖で受け止めた叢雲は翼を広げて宙に舞う。

 笠木上の頼光の姿が消え、すぐ頭上に大爪を構えた白い妖が姿を現す。

 大爪の一撃を錫杖で弾くとそのまま回転させて相手の左脇腹を狙う。

 下段払いで錫杖を弾いた頼光は左の大爪を引っ掛けたまま体をねじって右蹴込みを叢雲の胸にねじ込んだ。


 落下して地面に転がった叢雲の目前に、宙に居たはずの頼光の姿が現れた。

 片膝を付いて起き上がりかけた叢雲に目掛けて、頼光は右の大爪を突き立てる。

 白の刃が高周波音の唸り声を立てて目前の胸板を貫く。


 と、叢雲の姿がぱぁっと霧散した。

 目前の光景に驚いた頼光の左肩が、突然炎に包まれた。

 頼光は数メートル飛び退き上下の構えに身構えた。


 肉の焦げる匂いが漂う。


「ふっ、『隠れ蓑』が使えるのはお前さんだけじゃないってことさ。」

 朱の鳥居の前の風景がぼうっと透明度を落とし、錫杖を構えた叢雲が姿を現した。

「しかし驚いた。まさか連続で空間跳躍を行えるとはな。これ以上脅威になられる前に始末を付けた方が・・・ふんっ!」

 叢雲は何かに驚いたように錫杖を朱の鳥居の前の地面に突き立てた。

 鳥居の奥から紫色の稲妻がほとばしり、地面に突き刺さった錫杖に命中した。錫杖は赤い火花を散らし、焦げた金属の匂いが立ち込めた。

 次の瞬間、錫杖は切り砕かれ、鋭く青い光が叢雲をかすめる。

 叢雲はトンボを切って距離を取り身構えた。

 山伏装束の胸元が刀傷にはらりと垂れ下がる。

「私の息子にまだちょっかいを出そうと言うのか。」

 刀身の長い、古代の矛のような武器を携えた義晃は頼光の前に立ち、その石突を地面に打ち鳴らして叢雲を睨みつけた。


 義晃の頭部・胸部・腹部・下腹部・両手・両脚に龍のようなものが八体絡みつき、それぞれが不規則に光を放ちながら鎌首をもたげて獲物を見据える。

「と、父さん・・・」

「くっ、冗談ではない。『黄泉の矛槍』と『黄泉津八雷神』を纏ったヤツとまともにやり合っては命が幾つあっても足りぬ。」

「待て! 香澄をどこへやった!」

 宙に舞い上がった叢雲に頼光は叫んだ。

「教会の地下の一室さ。そう広くは無いから自分で探してみるんだな。あの子が生きている間に。」

 地面のスクリーンから香澄の声が聞こえてきた。

『うう・・・こ、ここは? え、何? 何これ! 何でわたしこんな格好してるの? ここどこよっ!』

 拘束帯のきしむ音と香澄の泣きそうな声が響く。

「香澄っ!」

 映像に駆け寄ってその地面を叩き、頼光は上空を睨みつけた。

 そこにはもう誰も居らず、木立からは月の明かりが射している。その光もさぁっと雲が遮り、それと同時に地面の映像も消えてしまった。

 頼光は空を見上げ、背中の翼を大きく広げた。

「待て、頼光。今独りでの行動はリスクが大きい。こちらの態勢が整うまで待つんだ。」

 義晃は頼光の白い肩をぽんと掴み、振り向いた頼光の紅い瞳を見つめた。

「そんな悠長な事を言っていたら香澄が危ない。父さんは香澄が心配じゃないの?」

「勿論心配だ、だが息子をむざむざ危険にさらす事は出来ん。」

「父さん・・・」

 全身に纏い付いていた八体の龍はすぅっとその姿を消し、義晃は手にした矛を握り直した。

「相手は先の戦いの中核メンバーの一人だ。こちらもそれなりの準備が無いと返り討ちにされてしまう。香澄ちゃんが心配なのは良く解る。だが、これはスポーツの試合とは訳が違うのだ。判断一つで命が危うくなる事など珍しくない。」

「・・・父さん。」

 力無くつぶやくと頼光は背中の翼を畳んだ。

「解ってくれ。お前に何かあったら紅葉に・・・母さんに申し訳が立たん。」

 義晃はうなだれる頼光の肩に手を伸ばした。

 肩に掛けたその手はそのまま頼光の体の中を素通りし、義晃は思わずつんのめった。

 うなだれた様子の頼光は霧が晴れるように姿を散らせた。

「・・・ふふ。やるようになったな。」

 義晃は苦笑いを浮かべながら、夜空を飛ぶ大きな鳥のような影を眺めた。


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