第35話


 頼光が社務所から出ると、参門をくぐって来る保昌の姿が目に入った。

「あ、禎茂さん、こんにちは。」

「やあ、頼光くん、久しぶり。」

 小ぶりな布製のキャリーケースを下げた保昌はにっこりとほほ笑んだ。

「禎茂さん、これは・・・猫ですか?」

「ああ、そうだよ。猫は好きかい?」

「ええ。どうしたんです?」

「ちょっと仕事で縁があってね。崇弘は居るかい?」

「今、露さんといちゃいちゃしてる頃だと思います。」

 頼光はしれっとした顔で親指を社務所の方に向けた。

「おや、それじゃしばらくは邪魔出来ないな。繭玉にされちまう。」

ニヤリと笑って保昌はキャリーケースの中を覗いた。

メッシュの覗き窓越しに大きな目をした三毛猫が、なつっこい声で一回鳴いた。

「え? 禎茂さんは露さんが何者か知ってるんですか?」

驚いたように見上げる頼光を保昌は驚いた表情で返した。

「え? 頼光くん、彼女の正体を知っているんだ。いつ?」

「あ・・・実はついさっきまで・・・」

 頼光は事のあらましを掻い摘んで話した。

「何、傀儡が? それにコウモリ男(バット・マン)を使い魔にしている奴・・・デーゲンハルトか・・・」

 保昌は真剣な顔で静かに唸った。


 再びキャリーケースの中で三毛猫が鳴いた。

「頼光くん、僕の連絡先は崇弘から受け取ったかい?」

「はい。この携帯に登録してあります。」

「良かった。何か有ったら・・・いや、何か有るだろうから、その時は連絡してくれ。で、頼光君は今、急ぎかい?」

「五時半に博通さんが美幸ちゃん・・・玄昭さんがなぜか京都に移送した美幸ちゃんを送ってくれるので迎えに行ってきます。」

「そうか、彼女も安心することだろう。二人とも、ひどい目にあったがよく頑張ったな。ご苦労さん。」

「ありがとうございます。それじゃ、準備して出かけてきます。」

「あ、そうだ頼光くん。」

「はい?」

 保昌に呼び止められた頼光は駆け足を止めて振り返った。

「神社に三毛猫って似合うと思わないかい?」

「僕は全然かまわないですけど、飼うかどうかは父さんに聞いてみてくださいね。」



 鴻池駅の自動改札口で、頼光は構内の様子を覗きながらうろうろしていた。

 帰宅ラッシュには少しばかり早い時間なので見通しは良いがまだ待ち人は現れない。

 何度目かの到着を知らせる『瀬戸の花嫁』のベルが聞こえてしばらく、がっちりとした体格の男性と並んで歩いてくる髪の長い女の子が、ホームの階段から姿を現した。

 頼光が大きく手を振ると、隣の男性に促された女の子は頼光の方に駆け出して来た。

「皆本くん!」

「美幸ちゃん!」

『ピコーンピコーン!』

自動改札に止められた美幸は、真っ赤になって切符を投入して頼光の下へと駆け寄った。

「無事で良かったぁ。」

 美幸は人目もはばからずに頼光に抱き付いた。

「心配してくれてありがと。美幸ちゃんも、ケガとか無くて良かった。」

 頼光もそのままの格好で美幸の頭をやさしく撫でた。

「あ~、感動のご対面も良いんだが、あまりやってるとギャラリーが集まって来るぞ。」

 頭の上から男性の声が遠慮がちに響いて来た。

「きゃ。」

「あ・・・」

 顔を赤らめた二人は、あわてて微妙な距離を取って目を伏せた。

「博通さん、ありがとうございます。お陰で助かりました。」

 頼光は深々と頭を下げた。

「いやいや、うまい具合に貴船で仕事があって良かったよ。しかしいつの間にこんな美人なカノジョを作ったんだ? なかなか隅に置けないな。」

 博通はばんばんと頼光の肩を叩いて愉快そうに笑った。

「あ・・・カノジョだなんて・・・」

 美幸は小さく呟いて、ちらりと頼光の方を見た。頼光は強く肩を叩かれて身を屈めていた。

「俺はこれから帰って兄貴と話しを進めるつもりだ。頼くんはどうするね?」

「僕は美幸ちゃんを送ってきます。少し遅くなった事もお家の人に謝らないと。」

「え、気を使わなくても良いのに。」

 美幸はひらひらと手を振った。

「無事に家まで送りたいんだ。行かせて。」

 真っ直ぐこちらを見る頼光に美幸は赤くなって目を伏せた。

「それじゃナイトさん、姫さまを頼むよ。何かあったら連絡をくれ。」

 博通は高く手を振ると中央出口に向かって歩いて行った。

「博通さん? 皆本くんの所の神主さんなの?」

「うん。禰宜の崇弘さんと兄弟でウチに勤めてくれているんだ。僕の生まれた頃からずっと一緒だから二人とも兄さんみたいな感じだよ。」

 二人は在来線の切符売り場へと向かった。

 駅構内はだんだんと人波が多くなってきて、歩きスマホをする人を避けながら歩みを進める。

 帰宅やらこれから街に繰り出す人やらでごった返してきたので、頼光は美幸の手を握って誘った。

「あ・・・」

 少しひんやりとした手の感触に、美幸は指をもじもじとさせた。


 約十分電車で揺られて『天神橋』駅で下車した二人は英会話スクール前を住宅地の方向へと歩いて行った。

 自動改札で離れてしまった右手に物足りなさを感じながらも、美幸はにこやかに頼光と話しをして行った。

「この辺だったら中学はどこになるの?」

「私は碧山中なの。ほら、緑とベージュのタータンチェック柄のスカートの制服。」

「ああ、駅前の表町商店街でも良く見かける。僕の緑川中のは紺と緑だったから女子は文句言ってたな、可愛くないって。」

「あ、分かる。小中って基本、学校選べないからどんな制服着せられるかは運次第な所あるもの。」

「高校は選べる?」

「制服で志望する子って結構多いんじゃない? 椎名もそんな事言ってたし。」

「美幸ちゃんも制服で?」

「う~ん、明芳学園って県下公立五校に並ぶ進学校じゃない? 同じ条件で制服が可愛いんなら、そこは志望するわね。皆本くんは?」

 美幸は歩幅を合わせて並んで歩く頼光の顔を覗き込んだ。

「僕は家から近いから。」

「それだけ?」

「そう言われると弱いな。他は、中学からは西崎高校のスポーツ推薦とかも言われたけど。」

 頼光は頭をぽりぽりと掻いた。

「皆本くんは空手で実績があるものね。私も実は西崎を薦められてたの。」

 ちょっと誇らし気に、美幸は胸を張った。

「美幸ちゃんテニス上手いから。どうして蹴ったの?」

「テニスは楽しみたいもの。アスリートは勝負に命懸けなところ有るでしょ、西崎高校は地区優勝当たり前な感じの校風だし・・・私はそこがちょっと違うかなって。そういえば、皆本くんは部活やらないの?」

 美幸は頼光の顔を覗き込んだ。

「うん、僕は高校卒業したら伊勢の神学校に行って神職の資格を取るんだ。だからアスリートばりばりじゃなくて『普通の高校生』な感じを送りたいなって思ってね。」

「そうなんだ。皆本くん、もう将来の事決めてるんだね。私はまだ何にも考えてないや。」


(三重県の大学ってどんなところがあるかしら)


 二人は住宅街に入って行った。少し年期の入った住宅が並んでいるエリアで、昭和な雰囲気が漂っている。

 初夏の日は長く、午後六時近くになってようやく夕焼けが深まって行く。

 オレンジと紺色がグラデーションを作って、フローライトの宝石のように見える。

 少しくすんだ白い壁に青い屋根の家が見えて来た。

 一階の台所と思われる部屋に明かりが点いて、換気扇からはシチューの香りが漂って来た。

「あ、ここが家なの。」

 レンガタイルの門柱に『有松』と表札が埋め込まれている。

 コンクリートで整地された庭にカーポートが設置されていて塀側にはママチャリと小さめの自転車が止めてある。

「あれ、ちいさな子が居るの?」

「うん。小六の妹が居るの。さすがにもう帰ってる時間よね。」

 美幸はチャイムを鳴らしてインターホンに叫んだ。

「ただいまー。」

 しばらくしてインターホンのスピーカーからカチャカチャと音がして女の子の声が聞こえてきた。

『あ、お姉ちゃんおかえりー。』

 玄関が開いて、セミロングヘアの女の子が顔を覗かせた。

 美幸の妹というだけあって、目鼻立ちが良く似ている。

「あ、お客さん?」

 この女の子はタレ目気味の大きな目で頼光を見上げた。

「こんばんは。美幸ちゃんと同じ学校の皆本と言います。今日はお姉さん長く借りちゃったからお詫びも兼ねて送って来たんだ。」

「ふ~ん。」

 女の子は美幸と頼光を交互に眺めて、にっこりと笑っておじぎをした。

「いつも姉がお世話になってます。私、妹の幸蘭(ゆら)です。姉のことよろしくおねがいします。」

「ちょっと、ゆらっ。」

 幸蘭はけらけらと笑いながら赤くなった美幸をそっちのけに台所に走って行った。

「しっかりした妹さんだね。」

 頼光は美幸に笑いかけた。

「最近おませになってきてるの。ごめんなさいね。」

「ううん、一人っ子の僕からしたらうらやましいよ。それに美幸ちゃんとそっくりだね。将来美人さんになるよ。」

「あ、ありがとう。幸蘭も喜ぶわ。」

 すると奥から幸蘭に伴われてエプロン姿の母親が、いそいそと姿を現した。

「まぁ、わざわざごめんなさい。まだ明るいからそんなに気を遣わなくても良かったのに。」

 長い髪をシニョンでまとめたこの女性は両手を前で組んで軽く頭を下げた。

 見事にグラデーションの一家三人の顔に頼光は感嘆した。

「いえ、朝から長い時間連れ回しちゃったので、病み上がりなのに疲れさせちゃって申し訳ないです。」

「そんな、とんでもない。この子ったら嬉しそうに買って来たお洋服見せたり、サンドイッチ作ったりしてて。お礼を言うのはこっちの方よ。」

「ちょっと、お母さん!」

 耳まで赤くして叫ぶ美幸の様子を妹の幸蘭は楽しそうに眺めていた。

「でも、帰って来たかと思ったらいつの間にか外出していたのね。母さん気が付かなかったわ。」

 母親は頬に手を当てて階段の方に目をやった。

「え、どう言う事?」

「どう言うって、四時前ぐらいに帰って来て、ちょっと疲れたから横になるって言って部屋に上がったじゃない?」

 それを聞いて頼光の表情が変わった。

「すみません、お母さん。その時妙な感じはしませんでした?」

「あら、男の子からお母さんて呼ばれるのって新鮮ね。私もパートから帰ったぐらいだったからあんまり観察はしてなかったわ。どうしたの、怖い顔して?」

「ちょっと上がらせてもらって良いですか?」

 頼光の真剣な顔に、母親は承諾して階段の方を指差した。

「美幸ちゃん、下がっていて。」

 美幸の部屋の引き戸前に立って、一緒に上がって来た美幸を少し廊下の方へ下がらせた。

 階段下から母親と幸蘭が不思議そうに眺める。

 一気に引き戸を開き、頼光は身構える。

 美幸も頼光の肩越しに部屋の中を覗いた。


「きゃあ! 私が居るっ?」

「くっ!」

 頼光には、半透明のシリコンにコートされた機械人形『傀儡』の姿がはっきりと見えた。

 頭部は能面の『泥眼』の上にぼんやりと美幸の顔が浮かんでいる。

「はあっ!」

 頼光は気合と共に右腕に大爪を出現させて部屋に飛び込んだ。

 が、同じ勢いで部屋から弾き出された。

 部屋にはパリパリと青白い光が満ち、部屋の中央で傀儡は余裕の様子で腕を組んだ。

「あ痛・・・そうか、四神の結界か。」

 正面の壁に貼ってある朱雀の札を見て、崇弘の言葉を思い出した。


『この四神の結界の中には大抵の妖は入ってこられない。』


(僕も妖ってことだな)

「大丈夫? 皆本くん。」

 美幸が尻もちをついた頼光を抱き起す。

 頼光は右腕の鎧籠手を隠すように左腕を被せた。

 階下の二人は、このやりとりを不思議そうに眺め、幸蘭がとてとてと階段を上がって来た。

 傀儡は腕を組んだまま見下すように顎を上げて、窓のレースカーテンを開き窓のカギを開けた。

「え? お姉ちゃんが二人?」

 頼光と美幸の影から部屋を覗き込んだ幸蘭が驚きの声を上げる中、傀儡は余裕の様子でこちらに手を振ると窓をカラカラと開けて足をかけた。

「ちっ、逃げられる。」

 窓から傀儡がぴょんとその身を躍らせると同時に、階下から大きな腕が三本現れた。

 その腕は傀儡の頭と胴をがっちりと掴むと、もがく傀儡を窓の下へと引き込んだ。

 そして春一番程の突風が部屋に吹き込むと、水を打ったように静かになった。

「な、なに?」

「美幸ちゃん、悪いんだけど、様子を見てもらって良いかな? 僕は入れないから。」

「? 変に気を遣わなくても良いのに。じゃ、行ってくるわ。」

 美幸は部屋に入り窓から下を覗き込んだ。

 窓からはいつも通りの風景が広がり、階下の庇(ひさし)も普段どおりの様子でそこにあった。

「何もいないわ。何だったのかしら。」


 夕食を誘われた頼光は丁寧に断って帰途に就いた。

 鴻池駅に向かう電車を待ちながら保昌の電話番号をスクロールして発信を入れた。

『はい、禎茂探偵事務所です。』

「もしもし、皆本頼光です。禎茂保昌さんですか?」

『ああ、そうだよ。頼光くん、何か用かい?』

「さっき傀儡を捕まえたのはナナツですよね。」

『ああ。護衛がてらにナナツに君の後をつけさせたんだ。』

「禎茂さんの読み通りですね。」

『お陰で良い資料が手に入った。これで伊勢も重い腰を上げるだろうよ。』

「そういえば、教会で僕の顔をした傀儡も居たんですが、ウチに襲来してませんでした?」

『いや、そんな話は聞いてないな。まぁ、用心に越したことは無いから警戒するように伝えておくよ。』

「ありがとうございます。後、僕に何かできる事はありませんか?」

『そうだな。キャットフードを買ってきてもらえるかな。』

「え?」

『あの三毛猫、神社で面倒みてもらえることになったんだ。名前とかも考えてあげてくれよ。』


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