第33話


 ヒノキの芳しい香りに気が付いた美幸は薄っすらとその目を開けた。

 板張りの天井と回りを囲むように立てられている几帳が視界に入って来た。

「ん・・・」

 体を起こしてみると軽い頭痛とめまい、吐き気が襲い、美幸は両手で口元を押さえて短く唸った。

「あ、お目覚めね。」

 几帳の向こうから声がした。

 ポニーテールで細身の女性のシルエットが垂れた絹布の帷(かたびら)に映っている。

 やがてその影は几帳の帷をそっと開いて顔を覗かせた。

 切れ長の眼が少し冷たい印象のある、整った顔の女性がにっこりとほほ笑んだ。

「あ、あの。ここは神社ですよね。」

 美幸は体を乗り出してその女性を見つめた。

「そうよ、貴船神社の社務所の中よ。」

「え? あの・・・鴻池市の源綴宮じゃないんですか? え? きふね・・・京都の?」

 美幸は混乱して、整理する前の言葉を並べた。

「あなたはこの貴船神社の参門前に倒れていたのよ。体の具合はいかが?」

「あ、あのっ私、源綴宮の禰宜の黒田さんに伝えなくちゃならない事があるんです。私のスマホ・・・私の荷物はどこですか?」

 美幸はせわしなく周りを見回した。

「その事でちょっと聞きたいの。あなた皆本宮司の息子さんとお知り合い?」

「あ、皆本くんをご存じですか? はい、私同じ学校の・・・友達なんです。有松美幸と言います。え、と。お姉さんは?」

「私は滝。滝 清音(たき きよね)。まあ、言うなれば神職ね。あなたが言っていた黒田兄弟の弟さんと丁度さっきまで一緒に仕事していたのよ。何かのマチガイでここに来たとしても結果オーライな状況になったわね。」

 そう言って滝は、傍らに置いておいた美幸の荷物をそっと差し入れた。

 美幸は急いでスマートフォンを引っ張り出すと画面をタップして電話帳をスクロールした。

「あ、これ皆本くんの携帯番号しか登録してなかった。すみませんが源綴宮の神社の電話番号って分かりますか?」

「ごめんなさい。私は知らないのだけど、急ぎかしら?」

「はい、とっても急ぎます。」

「だったら有料だけど『104』に電話して聞いてみたらどう?」

「え? 何です、それ?」

「電話番号案内サービスよ、ネット世代は馴染みが無いのね。」

「そんな便利なものがあったんですね。ありがとうございます。」

 美幸はいそいそと104のオペレーターと話しをして、慌てた様子でバックの中を探り始めた。

 すぐに滝がボールペンと切り離した手帳のページを差し出した。

「度々すみません。」

 メモし終えた美幸はペンを返しながら赤くなった。

 美幸が源綴宮に電話を入れていると、摺り足だがかなりの速足で廊下を駆けてくる音、忙しない衣擦れの音が大きくなってきた。

 勢い良く障子戸が開き、息を切らした博通が神妙な顔で口を開いた。

「滝さん、ちょっと妙な事になってきた。」

「あら、お帰りなさい。意外と早かったのね。あの娘、美幸ちゃんて言うの。さっき目を覚まして今、あなたの所の神社に連絡入れているわ。」

 滝は几帳の方を指さした。几帳の中からは女の子の声が漏れ聞こえて来た。

「・・・はい。そうです。皆本くんから黒田さんにと・・・はい。教会の介護施設の中で玄昭さんと言う人が・・・多分まだ教会の敷地の中だと思います。はい、助けてください、お願いします・・・」

「今、玄昭と聞こえたか?」

「ええ、どうしたの?」

 博通は乱暴に帷を跳ね上げ、中を覗いた。

「きゃあっ。」

「おっと、済まない。俺はさっき電話してくれた源綴宮の黒田崇弘の弟、博通だ。驚かせて申し訳ないが、先ほど聞こえて来た内容の事でいくつか質問させてもらって良いかな?」

 美幸は強引な物言いに少し怯えたが、軽く咳払いをして承諾した。

「まず、玄昭と言う人物は・・・こいつで良いかい?」

 博通はスマートフォンの画面に、鞍馬寺で確認していた例の青年の顔を映し出した。

「顔は、介護施設に潜入するからといって老人に変装してましたが、かつらを取った髪型はそんな感じです。皆本くんとは良く知ったような口調でお話していました。」

「そうか、ならばヤツに違いないな。では、どうして君は鴻池市からここ京都にいるんだい?」

 美幸はちょっと考えるようにうつむいた後、ぎゅっと両手を握りこんだ。

「変だと思わないでください。その玄昭さんが『空間を歪める』魔法を使って私を外に送り出したんです。本当です。」

 少し涙目になりながら美幸は博通を見つめた。

「誰もウソだなんて言っていないよ。それじゃ、君・・・美幸ちゃんが気絶していたのは亜空間酔いが原因と言う事だね。」

「あ、玄昭さんが亜空間酔いするかも知れないとか・・・どうして判るんですか?」

「ヤツとは同業者だからね。だが、着地点に仕掛けを施さない空間移送は、俺は見たことが無い。」

 博通は滝の方に視線を送った。

「詳しい事は解らないですが、『着地点のイメージ』がどうのって言ってました。」

 美幸が博通の背中に話を繋げた。

「滝さん。移送の術ってのはイメージで出来るものなのかい?」

「術者が良く知っている土地なら可能よ。ただ、相当量の霊力を一点集中させるから、術者の霊威がかなり高くないと無理ね。それを遂行出来たとするなら、超人的と言えるわ。」

 それを聞いて博通は静かに唸った。

「左京区鞍馬に詳しくて、人並み外れた霊力の持ち主・・・鞍馬の鬼狩でない術者・・・嫌な予感がしてきた。滝さん、俺はすぐに帰らなきゃならない。悪いが『蟲』の件の後始末、お願い出来るかい?」

「ええ、後は事務処理みたいなものですもの。後で詳細はメールするわね。あ、一つ良いかしら?」

 滝は小首を傾げてにっこりとほほ笑んだ。

「何だい、俺に出来る事かい?」

「美幸ちゃんを送ってあげて。新幹線代ぐらい出るでしょ?」

 

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