第31話


 通常の蜘蛛よろしく獲物を繭状態にしたこの大蜘蛛は、キチキチと足音を立てながら頼光の方へ歩いて来た。

「つ、露さん?」

「そうよ。驚いた?」

 露はにっこりと笑って髪をかき上げた。

「露さんて『女郎蜘蛛』なんですか?」

「それは日本の妖よね。私は『Ἀράχνη(アラクネー)』。ギリシア系の蜘蛛よ。」

「どう違うんです?」

「毒を持っているの。」

「解りました。咬まないでくださいね。」

「ふふ。それ崇弘からも言われたわ。さてと、いきなり動かなくなったこのヒト達を調べてみましょう。」

「あの、露さん。一つ良いですか?」

「うん、何?」

「目の前にキレイなおっぱいがあると目のやり場に困るんですが・・・」

「きゃ、やだ。そんな風に言われると恥ずかしいじゃない。ちょっと待ってね。」

 両手で胸を隠した露は、後ろ脚を使って蜘蛛の糸束をチューブトップ・ブラのように整えて胸に巻き付けた。

 その間に、頼光は自身に喰い込んだ黒髪を引き剥がして床に投げ捨てた。


 血を含んだ毛束がびちゃりと音を立てた。


 二人が女の方を調べようと歩き出すと後ろで繭玉がぼうっと赤くひかり、やがてくしゃっと潰れてしまった。

「ああ、魔界に帰ったのよ。気にしなくて良いわ。」

「帰った?」

「そう。日本の式神と違って西洋の使い魔の契約は結構ドライなの。契約の履行が難しくなったら人間界から帰る魔族は多いのよ。」

「露さんも?」

「私は式神契約に近い形ね。まぁ、崇弘が結んでくれたこの契約のおかげで、今の私が生きていられるのだけど。」

「?」

「難しい話は後で。さ、はやく調べましょう。」

 二人は先ず、倒れている玲子の下へと歩み寄った。

 頼光は左手の爪を構えながら慎重に床に寝かせた。

 表情はデスマスクのように無表情にこわばって、首筋の脈動も見られない。

「死んでる?」

「いえ、ちょっとこれを見て。」

 露は女の右腕を持ち上げた。

 肘の部分の皮膚がめくれて、樹脂製のボール関節が顔を覗かせている。

「え? マネキン?」

 露は蜘蛛の脚の鉤爪で、その部分から肩口へとぴりぴりと皮膚を切裂いた。

 半透明のシリコンの皮下組織層の下には駆動シリンダーと金属骨格が透けて見えた。

「これ、傀儡(くぐつ)だわ。二十年程前にこの傀儡を使った『機械化兵団』を見たことがあるの。」

「そんなに前にこんな精巧なロボットがあったんですか?」

「今現在、報道されているものが全てでは無くてよ。この呪術やら異世界の住人やらが飛び交う世界も世間一般からはかけ離れているものでしょ?」

「では、神父も・・・」

 頼光は倒れ伏したままの神父に視線をやった。

「そうね。天狗のキックをまともに受けて普通に歩いて来られるなんて、人間とは思えないわね。」

「これからどうしたら良いんでしょう?」

「とにかく今得た情報を持って一度帰りましょう。かつて鬼族の青年がこの傀儡を使った兵団を指揮していたの。もし、この件に鬼族がからんでいるのなら伊勢の上層部の判断が必要になるかも。」

「そんなに大ごとなんですか?」

「ええ。十七年前の封魔戦争の終結の際に、人族への侵攻を『休止』する協定に鬼族が調印したの。この事件を鬼族が起こしたとしたら重大な協定違反になるわ。」

 露は神父と玲子を交互に見つめた。


「いや。そんな深い意味はないよ。ちょっと彼らに『商品』を提供しただけだ。」

 不意に倉庫部屋の方向の柱の影から張りのある声が響き、二人は身を固くした。

「誰!」

 露は身構えて、声のした方向を睨みつけた。

 柱の影からすらりとした青年が姿を現した。

 シルクハットに乗せたゴーグルがライトを反射してキラリと光る。

「あの協定を持ち出されるとは思わなかったよ。ちょっとおふざけが過ぎたことは謝るよ。だが、こちらの開発した商品の売買を禁じる項目は無かったはずだ。大目に見てはくれないか。」

 この青年は整えた顎髭を撫でながらにっこりと笑った。

「誰だ?」

「おおっと、君が天狗の亜種の白鳳か。ウワサには聞いていたが本物に会えたのは初めてだ。僕は鴨川童子。ヒトだった頃は村上幸次郎と名乗っていた。よろしく。」

 鴨川童子を名乗るこの青年は、全く臆する様子も無く革のブーツをコツコツ響かせながら近づいて来た。

「物見遊山でここに来ていたのだがね。君が僕の作ったマリオネット・システムの中継機の一つを壊したので出て来たんだ。おかげで、ほら、その中継機を介している神父が操れなくなってこのザマさ。おや? そのシスターのボディのバージョンでは・・・ま、いいや。とにかくそう言うことだ。」

 鴨川童子は芝居がかった仕草で大きく右腕を広げた。

「操る? 本体が別に有るのか?」

「ほう、察しが良いね。だからマリオネットと名付けたんだ。シャレてるだろ?」

 鴨川童子は壊れたロッカー型の機械のカバーを外して内部の配線回路を指で辿り、軽く頷くとパチンと指を鳴らした。

 床に小さな魔法陣が浮かび、革張りの旅行カバンが浮き上がって来た。

「ふむ、大した故障じゃ無いな。簡単な部品の交換で済みそうだ。」

 うんうんと頷きながら、現れたカバンから工具と部品を取り出した。

「ちょっと、鴨川童子さん!」

「鴨川童子で良いよ、蜘蛛のお嬢さん。なんなら『幸次郎さん』でも構わんよ。」

 鴨川童子は部品を床に並べながらにっこりと笑った。

「それ直したらまた神父達が事件を起こすでしょ!」

「僕はエンジニアだよ。この商品に責任を持つが、その使用者の道徳にまで責任は持てないね。」

「だったら、せめて伊勢が対応を決定するまで修理を止めてもらえないかしら。」

「悪いが保証期間中なんでね。」

 にこにこしながら、鴨川童子は破損したパーツにドライバーを当てがって、慣れた手つきで破損ユニットを取り外した。

「どうしても止めてはもらえないのかしら?」

 露はドスの効いた声で睨みつけた。

「悪いね。まぁ、修理が完了するまで少し時間がかかるから、今のうちに君達は脱出するといい。君達の捕縛は契約外だからね。追いはしないよ。」

 鴨川童子は機械の中に頭を突っ込みながら、左手でしっしと手を振った。

「どうしてもと言うなら、力づくでも言う事を聞いてもらうわよ。」

 鴨川童子は面倒くさそうにこちらを向いて、シルクハットを少し深めに倒した。

「まったく。逃がしてやると言っているだろ。こちらの気が変わらないうちに伊勢だろうが、出雲だろうが告げ口しに行くと良い。僕ら技術屋は仕事の邪魔をされるのが一番嫌いなんだ。」

 不機嫌そうに口を歪めて、露と頼光の方に一歩踏み出した。

 光背に赤いオーラが炎の様に揺らめき始めた。

「はぁっ!」

 露は蜘蛛の腹を前方へ畳んで大量の糸の束を発射し、頼光は三角飛びに跳躍して頭上から鴨川童子を狙う。

 鴨川童子は鼻で笑うと右手を突き出した。

 その先に大きな歯車型の光の盾が現れ蜘蛛の糸を弾く。

 空中から振り下ろされた回し蹴りを左手で受け止めた彼は、そのまま露の方へと放り投げた。

 それと同時に露の攻撃を防いだ盾が三枚に剥離し、唸りを上げてその後を追う。

 頼光は翼を広げて空中に静止し、両腕の大爪でそれらの歯車を弾く。

 一度床を蹴ると大きく羽ばたいて、放たれた矢のように敵に迫った。

「ほう、速いね。だが・・・」

 鴨川童子は左腕を真横に伸ばす。

その掌中に一メートル程の赤い光が灯り、そこに九五式陸軍刀が現れた。

 それを居合の構えに腰に据える。

「甘い!」

 大爪を繰り出して襲って来た頼光の腕から顔にかけての軌道に刀身を振り抜いた。

「頼光くん!」

 露の叫びと共に白い体が切り裂かれ宙に舞う。

 その体が空中に跳ね上がった瞬間、それは陽炎のように揺らめき、ぱぁっと霧散した。

 その一秒後、その霧の向こうから頼光の飛び蹴りが、がら空きとなった腹部に突き刺さった。

「ぐおっ!」

 鴨川童子は二メートル程吹き飛ばされ、左手の鞘を落として尻もちを付いた。

 着地した頼光は腰を深く落として構えを執る。

 その姿がふいと消え、一瞬後鴨川童子のすぐ上空に大爪を煌めかせて現れた。

「おおっ?」

 鴨川童子は歯車の盾を出現させて爪の一撃を弾き、床を転がって距離を取った。

「ごほっ。すごいね、こんな風に打ち倒されたのは七年ぶりだ・・・どんなトリックを使ったんだい?」

「《天狗の隠れ蓑》を知ってるかい? あれの応用だよ。」

「そうか、亜種とは言え君は天狗だったよね。なかなか面白い戦い方をする、殴る蹴るしか出来ないものとタカをくくっていたよ。」

 鴨川童子は腹をさすりながら、苦しそうに立ち上がり、拾った鞘に右手の刀身を収めた。

「それに・・・空間移動が出来るのか。久々に面白い相手に出会えて嬉しいのだけれど、修理に手間取ると後のスケジュールに影響するのでね。君達には退場願おう。」

 鴨川童子は鞘の鐺(こじり)を床にコツンと当て、パチンと指を鳴らした。

 真鍮色に輝く小さな歯車の群れが頼光と露を囲んでくるくると回り始めた。

 頼光は大爪を振るが歯車の回転に弾かれ、露の蜘蛛の糸も効果が無い。

「またどこかで会えると良いね。」

 鴨川童子は軽くシルクハットのブリムに手をやって、にっこりとほほ笑んだ。

 その一瞬後、頼光と露の視界は金色一色に染まり、その空間から歯車共々姿を消した。


 ふうと一息ついて鴨川童子は修理道具の所へ戻って行った。

 取り外したユニットの外装を開けて中の基盤を眺め、バックの中から新しい基盤を引っ張り出した。

「やぁ、帝国陸軍技術部・村上少佐殿。敵にお目こぼしとは、ずいぶんと慈悲深いね。」

 鼻歌を歌いながら基盤を交換していると不意に近くの柱の影から声がした。

「やあ、叢雲かい。気に入らないのなら僕の空間移送術の前に仕掛ければ良かったのに。その辺で見ていたんだろ?」

 鴨川童子は声の方に見向きもせずに自分の仕事を進めた。

 声の主は柱の影から姿を現し、ゆっくりと近づいて来た。

 青いライトの下でその赤い瞳は紫色に光って見えた。

「今、ヤツを倒せば、後々楽が出来たと思わないのか?」

「楽出来るのは君達『蒼月派』の者だろ。天狗族同士の派閥抗争に巻き込まれるのはゴメンだね。それに、あの白鳳はまだまだ伸び代がある。僕の良い遊び相手になってくれそうだ。」

「鬼族と対等か・・・やっかいなヤツが現れたものだ。で、どこに飛ばしたんだい?」

「あの坊やは源綴宮の者だろ? 俺達鬼族は神道結界のあの場所には入れないので大鳥居の前に帰してあげたよ。」

「そうか・・・それじゃ、連中の反撃は俺の予定よりだいぶ早まるな。」

「それは済まなかった。だが、そんな事で臆する叢雲ではあるまい?」

 鴨川童子は作業の手を止めてにやりと笑って見せた。

「あと、シャッターの向こうの調整室に女の子が寝かされていたが、どこで手に入れたんだ?」

「ああ、あの子は祭壇前の落とし穴システムを覗き見していた悪い子でね。君のリクエストしていた『魂剥ぎの鏡』試運転ついでに昏倒させてみたんだ。」

 鴨川童子はドライバーをくるくると回しながら得意げな顔をした。

「そいつはありがたい。俺がさらってくる手間が省けた。と言う事は、あの傀儡の中にあの娘の魂魄データが入っていると言うことだな。」

「ああ、そう言う事になるね。ロールアウトしたての頃は本物の魂魄を剥ぎ取れたんだが。」

「では、その修理が終わったら、一つ頼まれてくれるかい?」

 叢雲は顎の先をとんとんと叩きながらニヤリと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る