第30話


 頼光と玄昭はそっとリネン室の引き戸を滑らせて中に潜り込んだ。

「ほぉ。こんな所から地下に出入り出来るとはな。」

 玄昭は感心したようにつぶやいた。

「そこのシーツ類を畳んで置いている棚の向こうに小ぶりな扉があります。そこから降りられます。」

 頼光は小声でささやいて先導して行った。

「ときに、君が仕掛けたカンヌキはどれぐらい保つ(もつ)と思う?」

「あまり長くは保たないんじゃないですか? コード自体太いものでは無かったし。」

 そうささやいた時、すぐ目の前に迫った地下への扉がガタガタと音を立て始めた。

 ドアノブがガチャガチャと忙しなく動いている。

「うおっ。居る。」

「解錠してくれたら、俺の式で絡め取ってやるよ。さあ、どうぞ。」

「いや、ちょっと心の準備が・・・そうだ、一緒に来てもらえますか?」

「中学女子の告白か。」

「いえ、ちょっと策が。扉の向こうの足音を聞いて欲しいんです。」

 訝しがりながら、玄昭は扉のすぐ横の壁に耳を当てた。

「ここを諦めて、扉に背を向けた靴音がしたら教えてください。」

 頼光は左腕を扉に沿わせてノブにそっと左手を置いき、施錠ツマミに右手を添えた。

 しばらくの間ドアノブと扉をガタガタ言わせた後、扉を強く殴りつける音がした。

「よし、きびすを返したぞ。」

 その言葉を聞くと頼光は、施錠ツマミを外すと同時にドアノブを握り込んで、力いっぱい扉に体当たりを放った。

 向こう開きに扉が勢いよく開き、扉に密着していた頼光の腕に重いものがぶつかる感覚が響いた。

 地階に真っ直ぐに降りる階段に大きな物が転がり落ちる音に続き、どさりと鈍い音がして静かになった。


 階段を見下ろすと、髪の長い女性が黒いワンピースドレスをはだけて床に倒れている。長い髪で顔は覆われて表情は見えない。


「ひどいな頼光くん。傷害罪、いや殺人未遂だぞ。」

「茶化さないでください。こっちも命がかかってるんですから。」

 二人は足早に階段を駆け下りてその女を覗き込んだ。

 仰向けに倒れている顔は髪の毛が覆い被さり、その間から白目をむいた左目が覗いている。

 右肘が妙な方向を向いて床に伸び、左足はハイヒールが脱げて素足になっている。

「さ、コイツが気絶しているうちに。」

 頷いた頼光はポケットに手を入れた。

 その時、倉庫部屋の方向からけたたましい鳴声と多くの羽音が迫って来た。

 青い薄明りをかき消すほどの数のコウモリが押し寄せ、驚いてたたずむ二人を取り囲んだ。

「ちぃっ。」

 玄昭は式でコウモリを叩かせながら、懐から取り出した独鈷杵で応戦し、頼光は手刀と掌底で身を守った。

「うわぁ。」

 突然玄昭の叫び声がした。

 コウモリの攻撃のすき間から声の方を見ると、二メートルはある灰色の大男が玄昭を羽交い絞めに締めあげていた。


 先の尖った大きな耳をした半裸のそれは背中のコウモリのような黒い翼を大きく広げた。

 頼光の方を見てにやりとしたその顔はコウモリそのものであった。

 式の狩衣が飛びかかると、そのコウモリ男は宙に舞い上がり、スチールシャッターのある方へと飛んで行った。

「玄昭さん!」

 頼光がその方向に体を向けた時、頼光の首に白い腕が巻き付いた。

 すぐ後ろから女の声が響いた。

「やっと捕まえたわよ。このわんぱく坊や。」

「くっ。」

 頼光は締め上げる左腕から体をゆすって、気道を肘の窪みの方へとずらせた。

 その体勢から右肘を真後ろの腹部に振り込む。

 手応えはあるのに全くこの女は動じない。

「結構頑張るのね。それじゃ、これはどうかしら。」

 頼光の体にさわさわと女の黒髪が巻き付いてきた。

 腕や首、胴にピアノ線で締め上げられるような痛みが走る。

「さすがの君も、こうなってはおしまいだな。」

 倉庫部屋の方向からミハイル神父が悠然と歩いて来た。

 革靴の音が冷たく響く。

「ミハイル。見てちょうだい。この子ったら私の右腕を壊しちゃったのよ。悪い子だと思わない?」

「おやおや。折角君の好みに調整したボディが台無しだな。この後『差し替え』するから少しがまんしてくれよ、玲子。さて、頼光君だったね。今、君に火炎に巻かれている幻術を仕掛けているのだが、やはり効いていないみたいだね。半妖の者は幻術を受け付けないのかね?」

「なぜ、それを・・・玄昭さんは・・・」

「玄昭? ああ、私の使い魔が久ぶりの贄(にえ)に喜んでいたよ。さて、君の事は叢雲という天狗族から頼まれていてね。君に特に恨みは無いし、研究材料としても興味深いのだがこれも約束でね。まずは彼女の『鬼喰い』で君の魂魄をいただく。」

 頼光に密着している玲子の体が小刻みに震え、大きく開いた口から赤紫色に光る触腕のような物が束をなして飛び出した。

 ぬらぬらと光るそれは頼光の体中に巻き付きうねった。

 体の自由を奪われながら頼光はポケットに手を入れ、中空メノウの呪符を掴み、繭のように包みうごめく触手『鬼喰い』に押し当てた。

「む、それは!」

 頼光の手にしたものを見たミハイル神父が血相を変えて駆け寄って来た。

 鬼喰いの触腕は、頼光の胸骨の上の皮膚を食い破ると同時にその動きを止め、紫色の光と共に霧が晴れるように姿を消した。

「Gib(ギブ) es(エス) auf(アオフ)!」

ミハイル神父が頼光の右腕にむしゃぶり付いた。

 頼光は払いのけようともがくが、玲子の黒髪がキリキリと締め上げ、意識が遠くなりかける。

「う・・・うおおおっ!」

 雄叫びと共に頼光の体に変化が起こる。


 肌は白磁のように色を失い、小柄な体がひと回りほど大きくなった。

 髪が逆立ち、血管模様が浮かんだ額が割れて鋭い一本角が突き出す。

 両腕・両脚に有機的な外骨格が形成され、両手の甲から大きな爪が二本飛び出した。


 背中から純白の翼が解放され、頼光と玲子の間を割る。

 体の表面がぼうっと白く光り、その空間がひずむ。

 歪んだ空間が、泡が弾けるように元に戻る。

 すると頼光と玲子の間から和太鼓を打ち鳴らすような衝撃音が鳴り響く。


 黒髪がちぎれ、玲子の体が後方へ弾け飛んだ。


 体に喰い込んだ黒髪を伝って流れる幾筋もの鮮血が白い肌を彩る。

 衝撃波に怯んだ神父を振りほどき、右中段蹴込みを放つ。

 攻撃をもろに食らった神父の体は倉庫部屋の扉の方へと坂道を行くように転がって行った。

 弾き飛ばされた玲子は、そのまま壁を足場に宙に舞い、頼光の後方から襲いかかる。

 連獅子のように振り乱した黒髪は敵の喉元目掛けて唸りを上げた。


 彼女のすぐ目前で標的が視界から消えた。

 地面すれすれまで腰を落とした頼光は、両腕と翼の遠心力を乗せた右後ろ回し蹴りを放つ。

 迎撃された女は壁際の機器に向かって吹き飛んだ。

 だが、それに激突する直前に先ほどのコウモリ男がその体を受け止め空中で頼光を見下ろした。


「君は色々と予想外な動きをしてくれる。実に興味深い。」

ミハイル神父は服の埃をパンパンと払いながら悠然と近づいて来た。

 一角の異形に変化した頼光の顔に驚愕の表情が浮かんだ。

 神父はさらに近づいて来る。

「ひとつ聞きたい。そのマナートの・・・メノウの円盤はどこで手に入れた?」

「答える筋合いは無いね。」

「そうか、それでは取引といこう。そいつを渡してくれるなら今後一切、君と美幸ちゃんには手を出さない。」

「そんな、ミハイル!」

「君は黙っていておくれ。これはビジネスだ。」

 コウモリ男に抱えられた格好で叫ぶ玲子をたしなめて神父は続けた。

「それは元々、我ら『門(トーア)』の物だ。他の者が使いこなせる物でも、また持っているべき物でも無い。」

「化石水の詰まった中空メノウがそんな大事なものなのか?」

 頼光は鎧籠手のようになった右手にそのメノウを持ってライトにかざした。

「そうだ。それと君達の安全の保障との交換だ。悪い話では無いと思うが。」

「ふ~ん。」

 頼光はライトにかざしながらメノウを観察した。

 目視しただけでは、鬼喰いが入っているのかどうかも判らない。

 薄っすらと透過する光が、彫り付けられたアラビア文字を幻想的に装飾する。


 その時、キラリと頼光の前に細い糸が光った。


「嫌だと言ったら?」

「思い上がるな! その『マナートの胸飾り』は『東の門(オストア)』の、私のものだ!」

「よく話が解らないな。少し落ち着いたらどうだい?」

「とにかく! 渡すのか、渡さないのか!」

 神父は激高して叫んだ。

「渡さないとは言ってない。本当にこれで美幸ちゃんと僕の安全は保障してくれるんだろうな?」

「約束する。それが戻って来てくれるならその他の事には、なんの未練も無い。」

 神父は少々興奮気味にまくしたてた。

 頼光は右手の甲から飛び出した二本の大爪を収納すると、メノウの円盤を持ったその手をすっと差し出した。

「そうか、そうか。分かってくれたか。」

ミハイル神父は嬉しそうにほほ笑みながら頼光に近づいて来た。


 神父の右手がそのメノウの円盤に触れようとした時、突然その体が動かなくなった。

 頼光のすぐ前には粋筋もの蜘蛛の糸が縦横に張られていて、神父の右腕から肩にかけてその糸が絡みついていた。

「な、何だこれは。」

 頼光は翼を広げて、ふわりと神父から距離を取った。

「悪いけど、この中に封印した『鬼喰い』を持ち帰らなくちゃいけないんだ。これが欲しいんなら鞍馬に直接お願いしてくださいね。」

 その頼光の傍らに露が逆さまで下がってきて、顔の高さで止まりにっこりとほほ笑んだ。

「ありがとね。おかげでウチの子たちの作った罠が気付かれずに済んだわ。」

「露さん、ポールダンスの踊り子さんみたいですよ。それに、通信機無しで良くこの場所が判りましたね。」

「空間が弾ける音がしたから来てみたら頼光君を見つけたのよ。それにしても本当に天狗だったのね。『白鳳』は初めて見たわ。」


 目くばせを交わした二人は別々の方向に飛びのいた。


 その空間を、玲子の黒髪がうなりを上げて空を切る。

 トンボを切った露の右手から白い糸の束が放たれた。

 玲子は常人ならぬ跳躍でそれをかわし、壁を蹴って露を上空から狙う。

 その横腹に翼を広げた頼光の左飛び蹴りが刺さり、壁際の計器類に墜落した。


 メーターや真空管のガラスが飛び散り、かるく黄色い火花がスパークする。


 蜘蛛の網を振りほどいて身構えた神父と床から跳ね起きた玲子は突然、糸の切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。

 突然の事態に戸惑った頼光に、コウモリ男が空中でショルダータックルを放ち、頼光は床に転がった。

「痛って。やりやがったな。」

 頼光は翼を広げて跳躍し、右の爪でコウモリ男を狙う。

 空中で身を翻し、爪をかわしたコウモリ男は天井を蹴って右拳を繰り出した。

 頼光は体を反転させ拳をかわし、すれ違いざま左膝蹴りを放つ。

 床に転がったコウモリ男は腹をさすりながらむくりと起き上がった。

「ちぇっ。浅かった。」

 降り立った頼光は舌打ちして手刀構えを執る。

 コウモリ男は翼を広げて宙に舞うと三メートルX五メートルぐらいの空間を凄い速さで飛び回り始めた。

 空中から鋭い足の鉤爪がうなりを上げる。

 頼光は腕の鎧籠手で攻撃を弾き、露は転がってそれをかわす。

「速い、やばいな。」

 頼光は両手の鉤爪を振り回すが、かする手応えも無い。

「ねぇ、頼光くん。ちょっと本気出すから驚かないでね。しばらく援護お願い。」

 そう言うと露は両手を胸の前でぱちんと合掌し軽く目を閉じた。そこに襲いかかる鉤爪に、頼光は宙に舞い上がって応戦する。


 露の体が薄緑に光る。

 光の中にしゃがんだ格好のシルエットが浮かび、腰から下の影が後ろに張り出すように伸びる。

 一瞬まばゆく光った後、光は消えそこに居た露の姿も見えなくなった。


「露さん?」

 上空からの攻撃に応戦しながら頼光は辺りを見回した。

 コウモリ男の移動残像とは別に、壁から天井へと高速で移動する大きな影がちらりと視界の隅に入った。

「頼光君、ヤツをこっちに投げて。」

「はい。」

 コウモリ男の左足の攻撃を『掛け手』で捕らえると、ハンマー投げの要領で声のした天井方向へと放り投げる。

 壁に激突する前に、ヤツは背中のコウモリの翼を広げ空中に静止し、得意気に頼光を見下ろした。

 その翼を絡め取るように、大きな節足動物の脚がその背後から覆いかぶさった。

 甲高い叫び声と共にコウモリ男は落下して、じたばたともがく。

 大きなしずく型の胴体をした大蜘蛛がその体を締め上げ、尻の先から放つ大量の糸を、後ろ二本の脚で器用に獲物に巻き付けて行く。

 その大蜘蛛からは全裸の露の上半身が生え、その白くほっそりとした腕で獲物の頭部に糸束を巻き付けていた。

 露はコウモリ男の頭を床に押し付けながら頼光に向かってウインクを送った。


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