第29話
貴船神社に向かう小道の右手側、つまり川岸側には、ずらりと川床料理を振舞う小屋が立ち並んでいる。
ゴールデンウイーク前の気候では、まだまだ川床料理で涼を取ろうという客も居ないので呼び込みも無く、静かなものである。
「今回のミッションは夏場になる前で良かったわね。静かだし、そんなに観光客も多くないもの。」
滝は黒いボストンバックを肩に担いでいる博通を見上げた。
「まあ、妖の骸を持っていると勘付かれるとは思わないが、一般人にはあまり触れさせたくは無いものだからな。しかしこの貴船神社は道なりに、いきなり出てくるよな。」
「いきなりって?」
「ほら、すぐ手前まで料理屋や商店が軒を連ねて、その影からすぐに春日灯篭の並ぶ石段が現れるだろ。神域と世俗域が近すぎやしないか?」
「そう? あんまり考えた事無かったわ。それだけ貴船が人々に近いって事じゃないかしら。それじゃ、首尾を報告しに行きましょう。」
博通と滝は並んで春日灯篭の並ぶ石段の参道を昇って行った。
朱塗の灯篭と灰色の石段のコントラストが美しい。
石段を昇りきると正面に大きな提灯を掲げた貴船神社の参門がそびえている。
参門をくぐると砂利敷の広場があり、茅葺屋根の付いた手水場で手と口を清めて左手の昇り石段を上がり、さらに左へ。
本宮へとご参拝に行く観光客の流れに逆らって社務所へと足を運ぶ。
滝と博通が社務所に顔をのぞかせると、待ち構えていたように紫奴袴を着た神職がいそいそと駆け寄って来た。
「お待ちしておりました。」
「そんなに待たせたかい? 済まないね。だが首尾は上々だ。」
博通は手にしたボストンバックを得意げに掲げた。
「あ、いや、それだけではないのです。ちょっと奥の間までお越しいただけますか?」
神職に連れられて二人は社務所の中に入って行った。
普通は着付けや休憩などに使用する十二畳ほどの広間に几帳で仕切られた一角が出来ていた。
そこには髪を編み上げに纏めた少女が、ベージュのフリースを掛布団に眠っていた。
「この子がどうかして?」
滝は片膝を付いて覗き込んだ。
「はい、ご参拝の方から参門前で倒れていたとご連絡を受けて、こちらに保護させてもらいました。うわ言のように『禰宜の黒田さんに』と繰り返しておりました。」
「うん? この子、誰なんだ?」
博通はいぶかしそうに神職を見つめた。
「それが、身元を調べようと持ち物を調べさせてもらった所これを見つけまして、ぜひ黒田さんに見ていただきたいのです。」
そう言って神職は茶色の革表紙のフォトブックと血で汚れたハンカチを差し出した。
「お、頼くんいつの間に結婚したんだ? てことはこの子が頼くんのお嫁さんか。」
「こんな時に、良くそんなのん気なセリフが出てくるわね。それじゃ、この子が言っていた黒田って言うのは・・・」
「頼くんが教えたのなら、俺と兄貴のことだ。この子は見た所ケガは無い。と言うことは、このハンカチの血は頼くんのものか。だが、この子は一体、何でこんな所に?」
ハンカチを弄んでいるとその間からはらりと純白の羽根が舞い落ちた。
「あら、何かしら。」
滝が拾い上げようと指を触れた瞬間、その指に何かの『気』を感じ、慌ててその手を引っ込めた。
「どうしたんだい、滝さん?」
「これ、鳥の羽根なんかじゃない。」
「鳥じゃなければ何だって言うんだい?」
「妖の羽根。あの禁忌の・・・いえ、天狗の力を発現させた頼光君のものではなくて?」
滝はそっと羽根を拾い上げ、ハンカチに包み直した。
「なるほど、天狗の力を出しているとなると事態は穏やかじゃないな・・・滝さん、悪いが、この子が目覚めたら話を聞いてあげてくれないか? 俺は急いで鞍馬寺へ行って鬼狩衆に話を付けてくる。」
貴船神社から鞍馬寺は意外と近く、車が通れない昇り路を行かなければならない事を除けば、すぐそこである。
博通は書院造の客間でじれじれしながら襖の方を見ていた。
貴船から事前の連絡を入れてもらっていたので、いわゆる『裏の世界』の人間に会う割にはスムーズに事は運んでいた。
もう一度スマートフォンの画面で玄昭の顔を確認して、茶碗に残っているお茶をぐいと飲み干した。
「お待たせいたしました。」
張りのある声がして襖がすっと開き、墨染の法衣を着こんだ初老の僧侶が入って来た。
「おや、玄昭殿はお留守ですか?」
「いえ、私が玄昭です。」
博通は目を丸くして手元のスマートフォンの画面と見比べた。
「いや、俺の言い方が悪かったかな。三十歳ぐらいの鬼狩衆で、鴻池市での猟奇事件を追っておられる玄昭殿をお願いしたい。」
するとこの僧侶はにっこりとして口を開いた。
「そのような猟奇事件の調査依頼は受けておりません。表・裏を含めて、この鞍馬寺で『玄昭』を名乗る者はこの私しかおりません。何かのお間違えではないでしょうか?」
「そんなばかな・・・ほら、この画像の人物だよ。ウチの宮司、皆本義晃を名指しで訪ねて来た鞍馬の鬼狩だ。」
「ええ、『雷帝』義晃殿は存じております。しかし、鬼狩衆の活動には先ず、我が戒壇の決定と阿闍梨からの辞令が必須となっております。それが出されておらぬ以上、お答えしようが無いのです。」
博通は呆然と目の前の僧侶の顔を眺めて、すとんと座布団に腰を沈めた。
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