第28話
薄暗い倉庫部屋の中は静まり返り、ただハイヒールのカツンという高い音が響いていた。
「お二人さーん。どこかしら。ケガの手当てをしましょうよ。出ていらっしゃい。」
余裕綽々とも聞こえる声でこの女性は辺りをうかがった。
視界に乱れた段ボール箱の山と、傍らに置かれている配管部品が入り、ニヤリと笑ってその方向へと歩を進めた。
「ダメねぇ。隠れる箱の中身を放り出したままじゃ、どこに居るかバレバレじゃないの。」
彼女は横倒しになった段ボール箱に手を掛けると、壁に向かって乱暴に打ち払った。
段ボール箱はすんなりと壁まで飛んで行き、数個の配管パーツを床に吐き出した。
「あら、違ったみたい。」
見回すと足先が少し出ている箱が目に入り、彼女はそぉっと覗き込んだ。
「みゆきちゃあん?」
そこにはマネキンが折りたたまれ、その段ボール箱の内側に頼光の血でメッセージが書かれてあった。
《ハズレ》
彼女はその段ボール箱を蹴飛ばして叫んだ。
「かくれんぼは終わりよ!」
彼女の瞳が金色に輝き、白い肌の下に無数の血管のような筋が浮き上がった。
それは太さを増して皮膚の下でうねうねと動き始めた。
大きく開かれた彼女の口から赤紫色をしたイカの触腕のような物体が数本、勢い良く飛び出して段ボールを貫きながら中を探った。
「・・・ここから逃げたみたいね。次回からは、あの扉に鍵を掛けなきゃダメね。」
彼女は触腕を収めて忌々しそうに呟き、倉庫部屋のドアノブに手を掛けた。
扉は一センチ程奥に開いた所で止まった。
何度やってもそこからは扉は開かない。
隙間から覗いて見ると、向こう側の両ドアノブに配線コードが何重にも巻き付けられて結び止められているのが見えた。
「あのガキ。よくもコケにしてくれたわねっ。」
頼光と美幸はスチールシャッターを背にして靴音がしていた方向へと小走りに進んだ。
この青い光の列柱室はL字型になっているようで、壁沿いに右に進む。
振り向くと倉庫部屋の両開きドアがあり、ドアノブには配線コードがぐるぐる巻きに結わえられているのが見えた。
それを尻目に真っ直ぐに進む。
壁面には細い配管が整然と並んで走り、ロッカー型のタッチパネル付きのスチールボックスへと繋がっている。
いくつかあるスチールボックスには真空管のようなガラス筒と真鍮の金属管が付いていて、時折青白く光りを放っている。
(ここの設計者は、よっぽどのスチームパンクマニアだな)
頼光は感心しながら歩を進めた。部屋の突き当りから右を覗くと昇り階段があり、真っ直ぐに扉へと繋がっている。
美幸と顔を見合わせた時、後ろで倉庫部屋の扉がガタガタと音を立て始めた。
「おっと、気付いたみたいだ。急ごう。」
二人は手を取ったまま階段を駆け上がった。
ドアノブに手を掛ける。
ドアは内開きに開き、二人はそこに身を滑り込ませた。
周りを見回すとそこは、シーツや枕カバー、敷きマットや掛布団といった寝具用品が収納されている小部屋で、どうやらリネン室のようだ。
「介護施設を併設してるって話だから、そこに出たのかな。」
「あ、このドア鍵が掛かるみたい。」
美幸は施錠つまみをがちゃりと掛けて、少しほっとした表情を浮かべた。
「あそこが出入り口みたいだ。」
木目のプリントされたバリアフリー型の引き戸を開ける。
どうやらこの部屋は施設の端にあるようで、真っ直ぐに広めの廊下が伸びている。
左側は小窓がならんでいて自然光が射していた。
午後の光が射すところから窓は西向きと推察できた。
右側は部屋になっているようで、バリアフリー型の吊り戸型扉が等間隔に並んでいる。
そして、奥の方からTVの音が響いている。
小窓を調べると、開閉ストッパーが設置されていて十センチ以上窓は開かない構造になっていた。
窓からは庭が見え、その先には煤けたベージュの建物の壁が見える。
人気の無いここからは救援を呼ぶのは難しそうに思えた。
逆に教会関係者に姿を見られないように、二人は部屋側の方を歩いて行った。
響いてくるTVの音が水戸黄門のテーマソングになった。
三番目の部屋の扉の前を横切った時、いきなり二人に布が巻き付き、音もなくスライドした引き戸の中に引きずり込まれた。
「くぅっ!」
頼光は美幸を抱え込んだまま四股に踏ん張り、右肘を突き立てた。
意外にもはらりと布は外れ、それは狩衣の姿で傍らに侍(はべ)らった。
「式を使って良かったよ。俺が連れ込んだら頼光くんの肘テツを食らうところだったな。」
ベッドの上に腰かけた白髪頭の老人は笑顔を向けた。
「どなたです?」
いぶかしそうに頼光はこの老人を睨んだ。
「怖い顔をしなさんな。俺だよ、玄昭だ。」
そう言って老人は小泉純一郎風の白髪頭に手を掛けると、すぽっとそのカツラを外した。
「メイクの方は落とすのに時間が掛かるから割愛させてもらうよ。」
「玄昭さん。ここで何してるんですか?」
「それはこっちのセリフだよ。俺は入居者に成りすませての潜入調査だ。」
「あの、どちらさま?」
美幸はおずおずと頼光にささやいた。
「ああ、父さんの同業者みたいな感じの人、鞍馬の玄昭さん。」
「あ、神主さん。」
「う~ん。まあそんなところだ。よろしく、美人のお嬢さん。で、君達はどうしてここへ?」
頼光は教会で神父に捕まったあらましを、かいつまんで話した。
「そりゃまた、よく無事でここまで来られたもんだ。さすが天狗は違うな。」
「玄昭さんっ。」
ちらりと美幸に目をやって、頼光は語気を荒げた。
「いや、済まない。だが、ここからはすんなりとは出られないぞ。一般的に介護施設ってのは脱走を図る入所者対策に出入り口は常にロックされているし、窓は耐圧仕様になっていて椅子や手押し車や消火器をぶつけた程度じゃ割れないようになっているんだ。」
「詳しいですね。」
「その筋の知り合いも居るんでね。で、これからどうするつもりだったんだい?」
「出入口を探して脱出か、窓を破ろうと思っていたんですが、正攻法ではムリなんですね。いざとなったら、その・・・僕の『力』で破壊してでも外に出ようかと・・・まだテント広場でイベント中だから、そこに紛れられれば連中も騒ぎは起こさないだろうと。」
「ふむ。最後の考え方は良い線だ。だがそこに至るまでが力押しであまり感心しないな。」
玄昭は軽く目をとじて眉間をとんとんと叩いた。
右手の中指に大ぶりないぶし銀のリングが鈍く輝く。
「そこで提案なんだが、そのお嬢さんを無事に脱出させる代わりに頼光くん、俺の仕事をちょいとばかり手伝ってくれないか?」
「そんなことが出来るんですか?」
「ああ、俺の空間移送の術は知っているだろ?」
「ちょっと待って。」
美幸は慌てて二人の間に入った。
「あ、あの。良くは解らないんですが、皆本くんと一緒と言う訳にはいかないんですか? 後でお礼なら何だってしますから。」
「ん? じゃぁ、えっちさせてくれるかい?」
「玄昭さんっ、彼女に妙なコトするなら全力で殴りますよ。」
頼光は玄昭の胸ぐらを掴んだ。
(え、かのじょって・・・あ、英語の「She」の彼女・・・よ、ね。)
美幸は赤くなってうつむいた。
「冗談だよ。俺の術は一度に一人しか移送出来ない。それに空間を曲げる際にかなりの霊力を使うんだ。その波動で俺の居場所が神父にばれてしまう。つまり二度目は無いって事だ。」
「分かりました。彼女の移送をお願いします。」
「そんな、皆本くんはどうなるの?」
「僕なら大丈夫、何とかなるさ。玄昭さんも居ることだし。」
腕を掴んで心配そうに見つめる美幸の頭をぽんと撫でて、頼光は笑顔を作った。
「嬉しい事言ってくれるね。それじゃ、交渉成立って事で良いね。」
「はい。彼女の家へ移送お願いします。」
「いや、タクシーじゃないんだからそういう指定は出来ないよ。俺の行ったことのある所でないと着地点のイメージが構成出来ないからな。鴻池駅で良いかい?」
「それじゃ、ウチの神社へお願いできますか?」
玄昭の眉がピクリと動いた。
「ふむ。出来ないことはないが。」
「以前、天狗社の前で僕を移送しましたよね。着地点はそこでお願いします。美幸ちゃん、神社に着いたら社務所で禰宜の黒田さんか父さんに、この事態を伝えて欲しい。」
「おっと、黒田君達が来るなら、それ相応の装備を整えておくように言ってくれ。彼らが来る頃にはお迎えの準備は出来ているだろうからな。」
玄昭は胸の前で両掌をこすり合わせながら、意味深な笑みを浮かべた。
大きく息を吐き出した玄昭は不動明王独鈷印を組んで
『のうまく さらばたたぎゃていびゃく さらばぼっけいびゃく さらばたたらた せんだまかろしゃだ けんぎゃきぎゃき さらばびぎなん うんたらた かんまん』
美幸の周りに小さな狐火がぽうっと浮かんだ。
火に囲まれてはいるものの全く熱さは感じられず、その幻想的な光はゆらゆらと揺らめきながら、くるくると美幸の周りを回り始めた。
美幸は初めて目の当たりにする『非現実的な現象』に戸惑って身を固くした。
「ちょいと『亜空間酔い』するかも知れないが、勘弁してくれよ。体を楽にしてくれ。」
玄昭は組んだ独鈷印を真言と共に振り下ろした。
『おん ばざら さとば あく うん』
狐火の作る光の環の中が濃い紫色に満たされ、星空のように小さな光が瞬いた。
紫色のベールの中から美幸は頼光へ真剣な表情のまま頷いた。
紫色が黄色に変わると同時に風を伴わない衝撃波が部屋を満たし、美幸も狐火も姿を消した。
「ふぅ、移送完了だ。さて連中に取り囲まれる前にここから移動するぞ。頼光くん、さっき言っていた研究施設とやらに案内してくれ。老健施設に潜り込んでいるだけでは発見出来なかった場所だ。」
「でも、あの女を閉じ込めた所ですよ。鉢合わせする危険があります。」
「だろうな。ときに、俺が預けた中空メノウの呪符は持っているかい?」
「はい。ポケットの中に入れてます。」
「よし。鉢合わせしたら『鬼喰い』の回収を頼むぞ。なに、これも縁だ。ヤツの足止めは俺がやってやる。心配するな。」
肩をぽんぽんと叩く玄昭に促されながら頼光は先ほどのリネン室の引き戸を開けた。
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