第27話
薄明りが灯る二十畳ぐらいの倉庫のような空間。
コンクリートむき出しの殺風景なこの部屋にはいくつかの段ボールが積んであるだけである。
頼光は美幸を抱きかかえる格好でマットの上に立っていた。
上を見ると約五メートルの高さに開閉シリンダーの機構が見え、あの場所から落とされたのだろうと想像がついた。
足元のマットは五メートルの落下を充分に受け止める厚さは無く、せいぜい死なない程度のケガで済ませるぐらいのものであろう。
「むちゃくちゃしやがって。」
頼光は悪態をついて腕の中で気絶している美幸を見つめた。
「良かった。美幸ちゃんにケガは無いな。それに今気を失ってもらっていて助かった。」
頼光は自分の肩口をちらりと見て、背中から張り出した純白の翼を大きく広げた。
白鳥のような翼から、ふわりと風が巻き上がり、美幸の纏め上げた髪から覗く後れ毛(おくれげ)を揺らした。
「痛っ、翼を急に出したから背中が裂けちゃったみたいだ。」
顔をしかめながら頼光は翼を畳んで大きく息を吐いた。
折り畳まれた翼は背中と一体化して、少年の背中そのものの様子となった。
「う・・・んん。」
軽くうめくと美幸は薄っすらと目を開けた。
「え、私、どうなって・・・み、皆本くん?」
「あ、美幸ちゃん気がついた? ケガは無い?」
「うん、どこも痛くは・・・」
そこまで言って美幸は自分が抱きかかえられている事に気が付いて、もじもじと身じろぎをした。
「うん。無事で良かった。」
頼光はマットから降りて美幸をコンクリートの床に立たせた。
「あ、ありがとう。でも皆本くん、私ごと落ちたんでしょ? ケガは無い? 大丈夫?」
美幸はそっと頼光の右腕に触れた。
室内の薄明りで頼光のロングTシャツの背中が大きく破れているのが目に映った。
「せ、背中! 大丈夫?」
美幸は慌てて頼光の背中に手をやると、血濡れた生地がその手を赤く染めた。
「血? ケガしてるじゃない。ちょっと見せて。」
美幸は腕に引っかかっているバックの中からハンカチを取り出して背中を覗き込む。
頼光は慌てて体を反転させた。
「あ、大丈夫。落ちた時ちょっと引っ掛けただけだから。」
「ちょっと引っ掛けた程度でそんなにビリビリに破けないわよ。いいから見せなさいっ。」
美幸の剣幕に負けた頼光は大人しく美幸に背中を向けた。
「あら、服に付いてる血の量の割にはひっかき傷ぐらいの跡しか無いのね。良かったぁ、大ケガじゃなくて。」
背中の血の跡を拭いながら美幸は安堵の溜息をついた。
「ありがとう。でも、美幸ちゃんって結構はっきり言うんだね。」
「あ、気を悪くしたのならごめんなさい。ちょっと気が動転しちゃって。」
「ううん。学校では、ほら、大人しいお嬢さんな感じだから。意外な一面が見られて得した気分だよ。」
「ふふ。さっき『幸せなときも病めるときも』って誓いを言ったでしょ? 助け合わなきゃ。」
美幸は少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「あら、これ何?」
美幸は頼光の肩口に付いている白いものをつまみ上げた。
羽軸に白い綿毛がついた五センチぐらいの純白の羽根が薄明りに光った。
「あっ、それは・・・」
「きれい。どこから来たのかしら?」
「う~んと。あのマットの中かな?」
「あれ、体育館のマットみたいだから羽毛じゃないと思うわ。」
美幸はしばらくその羽根を見つめていたが、手元のハンカチに包んでバックに収めた。
「え、持って帰るの?」
「うん。なんだか見ているとすごく惹かれちゃって。」
「そう・・・と、とにかくここから脱出しよう。扉らしいものは・・・あれ一つだけかな?」
コンクリートの壁に埋まるように防炎扉のようなものが見てとれた。
足音を消して扉に近づきドアノブに手をかけた。
「美幸ちゃん、ちょっと下がっていて。」
頼光はそっとノブを回してみる。
ノブはすんなりと回り、両開きのドアは奥へと開いた。
頼光は露に連絡を取ろうとストールピンを刺している左肩の方へ顔を寄せた。
(! 翼を出した時に弾け飛んだのか・・・)
通信手段を失った事にショックを受けながら、頼光は腹をくくった。
ドアの隙間から中をうかがう。
そこは青い光で照らされた別の部屋につながっていた。
壁には多くの配管が走り、バルブやコック、円筒形の金属の柱、パソコンの置かれた机が見て取れた。
静かなモーター音が聞こえているが人の活動する音は響いてこない。
頼光はそっとドアを閉じた。
「別の部屋がある。雰囲気的に何かの研究施設みたいだ。」
「今、スマホを見てみたんだけど、圏外表示でどうにもならないみたいなの。どうしよう。」
「ここに居たって状況は悪くなるだけだから移動するよ。その前にちょっとこの部屋に仕掛けをして行く。美幸ちゃん、手伝って。」
「え、ええ。」
頼光は無造作に置かれた段ボールの前へと歩いて行き中の物を取り出し始めた。
塩ビの配管や対酸仕様のバルブなど手あたり次第に並べた。
「お、ラッキー。配線コードがある。」
美幸も倣って手近な段ボールを開けた。
「ひぃっ。」
美幸は慌てて頼光にしがみついた。
「ひっ人、人の体が・・・」
彼女の肩を抱いたまま頼光は箱の中を覗く。
「マネキンみたいだね。」
「え? 人形?」
よく見るとかなり精巧に作られたマネキン人形が畳まれて入っていた。
全身が半透明のシリコンでコーティングされていて、触った感じは人の肌のような弾力があり関節部も可動する。
ただ、首がプラスチック製のキャップで蓋をされて、その上に付くであろう頭部は見当たらない。
「よし、これは横に倒してちょっとだけ足のパーツをのぞかせておこう。美幸ちゃんはさっき僕が出していた箱の中身を出してその隅に固めて置いてくれる?」
一通り作業が終わり、不思議そうな顔の美幸を尻目に、頼光は先ほどの配線コードをポケットに押し込んだ。
「これ、何なの?」
「上手く行けば時間稼ぎが出来る。それじゃ美幸ちゃん行くよ。」
頼光は美幸の手を取って扉の方へ向かった。
隣の部屋へ滑り込んだ二人は壁伝いに移動した。
壁には無数の配管が走り、その多くがギリシア神殿の列柱の様に並んだ、直径一メートルの銀色の金属円柱に繋がっている。
ざっと見た所、一ダースぐらいの柱が見て取れた。
「何だかSF映画のセットみたいね。」
「うん。このスチームパンクな配管の仕様は嫌いじゃない。」
部屋は結構な広さがあり、おそらくこの教会の建物の大部分の面積に相当するものと思われた。
しばらく行くと突き当りの壁面がスチールシャッターで仕切られている場所に着いた。
そのすぐ横には勝手口ぐらいの扉が付いていてここから出入りするようだ。
ドアノブに手を掛けようとした時、後方の上部からコツコツと階段を降りてくる足音が響いた。
「美幸ちゃん、こっち。」
頼光は美幸の両肩を抱え込む格好で柱の影に身を寄せた。
(うわ、皆本くん、近いんですけど)
こんな状況でもどぎまぎする自分を恥ずかしく思いながら、頼光と同じようにそっと柱の影から音のする方向をうかがった。
高い位置から響いていたハイヒールの音が、やがて床面を叩き始めて、その靴音がこの列柱室を歩いて行く。
「!」
過ぎてゆく人影を見て美幸は身を固くした。
「み、皆本くん、あの人・・・」
「ああ、分かってる。」
震えながら強く腕を掴んでいる美幸の頭を軽く撫でて、その女の行方を観察した。
物影に姿は隠れたが、頼光達が居た倉庫部屋の方へと靴音が続き、扉の開く音、靴音、扉の閉まる音が順に聞こえてきた。
「美幸ちゃん、ちょっとここで待ってて。すぐに戻ってくるから。」
頼光は素足になって倉庫部屋の方へと駆けて行き、三十秒と経たないうちに美幸の下へと戻って来た。
「お待たせ。」
「何して来たの?」
「ちょっと足止めをね。それより、この部屋にあいつが降りて来た階段があるはずだ。そこから出よう。」
「見つからない?」
「ここでじっとしていてもいつかは見つかる。いざって時は全力で守るから。」
頼光は美幸の手を握って柱から身を乗り出した。
「皆本くん。」
「ん?」
「今のセリフ、ドキッとしちゃった。」
「え、あ、そう? いや、照れるな。」
頼光は照れくさそうに鼻をこすって、改めて美幸の手を引いた。
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