第20話


 ミサを告げる鐘の音が鳴り、頼光と美幸は教会の扉をくぐった。

 真新しい白い漆喰の壁とライトオークの木製ベンチの色彩の対比が美しい。

 教会の中央には赤い絨毯が真っ直ぐに説教壇へと向かって伸びている。

 その説教壇の後ろには大きな真鍮製の十字架と大理石製のキリスト像がスポットライトに輝き、後背の壁には聖母子をモチーフにしたステンドグラスが陽光を透して浮き上がっている。

 荘厳な光景だ。


 まだ世間様の活動時間では早い時間帯なので人影はさほど多くはない。

 初老のご夫婦や、ママさん達のグループ、あと数組のカップルが、ベンチの列の前三分の一を空けて座っていた。

 頼光は美幸の手を引いて前の方のベンチに座った。

「どうしたの、皆本くん? 怖い顔して。」

「え? そんな顔してた?」

 頼光は思わず手を頬にやった。

「うん、いつもと目つきが違って。こういう所、落ち着かないの?」

「い、いや、そんなことないよ。ちょっと考え事してたから。ごめんね、心配させて。」

 シスターの挨拶と讃美歌が終わると説教壇の左手奥側の扉から白い司祭の装束をまとった金髪碧眼の背の高い青年が説教壇に立った。

 短く整えた顎髭が堂々とした風格をより強調している。

「みなさん、おはようございます。」

 少し異国の訛りはあるが、神父は流暢な日本語で話し始めた。

「本日は信者の方もそうでない方も、良くおいでくださいました。皆さんは、もうフリマには行かれましたか? 私はまだなので、この仕事をさっさと終わらせて覗いてみようと思ってマス。」

 参列席からふくみ笑いが聞こえ、神父は満足気ににっこりと笑い参列者を見回した。

「今日はカップルさんが多いみたいなので、聖書の中の『愛』に関するお話をしましょう。」

 神父は赤い革表紙の分厚い本をぱらぱらとめくり始めた。

「マタイによる福音書25章31節~。この項目は仲間としての愛、家族の愛のあり方をお示しになっているお話です。朗読してみましょう。・・・・」

 よく分かるような分からないような説教を聞きながら頼光は教会内を目だけで観察していた。


 真新しい建物は清々しく、外光の取り込み効果も良い。

ステンドグラスの鮮やかな影が、床に綺麗なモザイク模様を映し出している。


「・・・このように、他者に与える無償の愛情を、主は最も尊いものと喜ばれます。他者を損得抜きで愛することの出来る者は主、そして父なる神からも愛される者なのです。」

 神父は一通り説教を終えると軽く目を閉じ、ふぅと息を吐いた。

「さて、堅苦しいお話はここまでにして、今日は午後1時から模擬結婚式を予定しております。新郎新婦役をこのミサに参加していただいた方から選ぼうと思っています。もちろん参加費は無料です。当教会のPR活動にご協力願えたカップルさんには記念写真を進呈いたしますよ。」

 神父は会場を見回して、美幸の方にちらりと目をやった。

 頼光は内心を気取られないように神父の立ち襟から覗く白いカラーに視点を合わせた。

 頼光は生唾を飲み込んで、軽く手を挙げた。

「おや、三組もご希望とはありがたい。前に出てきていただけますか。」

 神父はパチパチと手を叩き、シスター達もそれに倣った。頼光は美幸の手を取って、指し示された祭壇の前に並んだ。

「この皆さんに神の祝福を。さて、この中から一組だけ選ぶのは心苦しいのですが、公平にくじ引きといたしましょう。」

 後ろに控えていたシスターが、説教壇の中から茶筒ぐらいの大きさのアルミの筒を手にして神父の傍らに立った。アルミ筒には三本の棒が入っている。

「この棒の先に赤い印が付いているものを引いた方が『当たり』です。さあ、カノジョさんに良い所見せてあげてください。男性の方、目を閉じて棒を選んでください。」

 目を閉じたまま選んだ棒を頭上にかざす。

 会場から軽い感嘆の声が聞こえた。

「きゃあ。皆本くん、すごい。」

 傍らで美幸のはしゃぐ声が聞こえて、頼光は掲げた棒の先を見上げた。


 棒の先にはピンポン玉ぐらいの『白い』球が付いている。


「え?」

 驚いて他の二人の棒の先を見る。

 二人とも白球をかざしてこちらを見ていた。

「では、当選者のお二人に拍手を。このお二人のお式をご覧になりたい方は、また午後1時に当教会においでください。お知り合いをお連れくださるとなお結構。さ、君達はこの後に打ち合わせがありますので、少し残っていてくださいね。」

 神父は頼光をちらりと見てブロンドに光る顎髭を撫でた。



「紗彩ちゃん、たくさん買ったわね。お昼前に大丈夫なの?」

 マーケット会場の中央に設置された大きなテントの中。

 涼子と紗彩は折り畳みテーブルを挟んで向かい合っていた。

 テーブルの上にはベビーカステラや、たい焼きや、トロピカルドリンクの紙コップなどがずらりと乗っかっている。

「へへ、こういうのって何か買っちゃいません? 縁日とかお祭りの屋台めぐりみたいで楽しい。」

 紗彩は屈託の無い笑顔を浮かべて続けた。

「紗彩、小学生の頃、よくお父さんとお母さんに連れられて、お地蔵さんの縁日の屋台巡りとか行ってたんですよ。」

 紗彩は手近なベビーカステラをひょいとつまんで口に放り込んだ。

「あむ・・・昔から屋台の物って全然変わらないですよね。」

「そうね。『りんごあめ』とか『わたがし』とかは定番よね。最近になって増えたのは『ホルモンうどん』かしら?」

 涼子は屋台の方をちらりと見て微笑んだ。

「紗彩ちゃん、私、紗彩ちゃんの事もっと良く知りたいの。いろいろ聞いて良いかしら?」

「もちろんですよ。紗彩も涼子さんに知ってもらいたいし。涼子さんの事もっと知りたいです。」

 子犬のような目を輝かせて、紗彩はトロピカルドリンクのストローをくわえた。


「それじゃ、まず、涼子さんて、いくつなんですか?」

「いきなり来たわね。」

「だって、美人さんて年齢不詳じゃないですか。だからいくつなのかな~って。」

 それを聞いた涼子はにっこりと笑って、定型文を口にした。

「いくつに見える?」

「う~んと、二十三・四ぐらい?」

「あら、嬉しい。そこのタコ焼きおごっちゃおうかしら?」

「え? 違うんですか。」

「ふふ、二十九歳。もうすぐ三十になるのよ。」

「ええ?! アラサーなんですか?」

「何か響きが悪いわね。でも若く見てくれてありがと。」

 涼子はにっこりと笑って両肘を突いた。

「それじゃ、今度は私の質問。紗彩ちゃんは、この鴻池市で生まれたの?」

「ううん。紗彩はあんまり覚えて無いんだけど、九州に居た時に生まれたんだって。熊本・・・だったかな。それからすぐに福岡に引っ越したって聞いてます。」

「そ、そうなの・・・ご両親は何してる人なの?」

「お父さんは四ツ井造船の営業。」

「あら、大手じゃない。すごいわね。」

「去年昇進して、やっと飲まなくて良くなったって言ってた。紗彩の小さかった頃、酔って夜遅く帰って来ては、トイレで吐いてたんですよ。営業さんてお酒が仕事なんですかね?」

「そう言うトコも多いわね。私も、以前は福岡に住んでいたんだけど、そういう人達、いっぱい居たわよ。」

「ふ~ん。オトナって大変なんですね。で、お母さんは、今はRSKテレビで裏方とか、たまにレポーターとかやってます。以前はアナウンサーやってたんですよ。RKB毎日放送で。」

「へぇ、そうなの。じゃ、お母さんが取材か何かでお父さんと知り合ったんだ。」

 涼子は展開されてある屋台お菓子の中からミニ・スイートポテトに手を伸ばした。

「ううん。コンパだって。」

「あらまぁ。」

「涼子さんも、ここに来る前は福岡に居たんですか?」

「そうね、福岡が長かったけど、ここに来る前は広島の福山って所に居たのよ。そこで奈緒美と知り合ったの。同郷だってことですぐに仲良くなったわ。」

「奈緒美さんって、なんか、こう、親しみやすいですよね。」

 紗彩はベビーカステラをひょいと口に放り込んだ。

「・・・紗彩ちゃんて、お父さん、お母さん、好き?」

「うん。紗彩のこととっても大事にしてくれるの解るから。一人娘ってことだからかもですけど、ちょっと気に掛け過ぎじゃないかなってトコも結構あります。て、どうしたんです? そんなに神妙な顔して。」

「え? そんな顔してる?」

「いつもの涼子さんらしくないですよぉ。さ、これでも飲んで。」

 紗彩は手近にあったメロンソーダを渡そうと紙コップに手をやった。

 慌て者の紗彩よろしく、肘近くにあったトロピカルドリンクを小突いて見事にテーブルの上にぶちまけてしまった。

「きゃぁ。あ、ごめんなさい、涼子さん、下がって。」

 情けない声を出して紗彩はパイプ椅子から腰を浮かせてバックの中からハンドタオルを取り出した。

「そんなんじゃ、間に合わないわよ。済みません、何か拭くものありますか?」

 涼子は近くのタコ焼き屋の屋台のお兄ちゃんに声をかけ、美人から呼ばれたお兄ちゃんはいそいそと大きなペーパータオルを一ロール持ってやって来た。

「すみません。すみません。」

 真っ赤になって紗彩はペーパータオルをちぎってテーブルを拭く。

 三人がかりでの拭き掃除はすぐに終わり、それぞれ元の位置に戻って行った。


「ごめんなさい、紗彩、そそっかしくて。」

「そんなに落ち込まないで。今に今、始まった事じゃ無いでしょ?」

 涼子はぽんぽんと優しく、うなだれた紗彩の頭を叩いた。

「涼子さん。慰めるのと、けなすの、一緒になってますよ?」

「あら、そう? ごめんなさい。ふふ。」

「へへ。」

 二人は顔を見合わせて微笑んだ。

 すっと髪をかき上げた涼子の左腕の袖口が、先ほどのジュースで山吹色に染まっていた。

「ああっ、大変。涼子さんのオシャレ着に汚れが!」

 紗彩は慌ててハンドタオルを取り出して涼子の左袖に当てがった。

 身を乗り出して腕をつかんだので涼子の左腕が肘まで顕わになった。

「ちょっと、紗彩ちゃん。落ち着いて・・・」

「? 涼子さんもここにアザが有るんですね。」

 白い腕の内側にある、卵型のアザを見て紗彩は不思議そうに声を上げた。

「! あ、これは・・・」

 涼子は慌てて袖を引き戻し、左腕を引っ込めた。

「腕にアザが有る人って多いんですね? 紗彩のお母さんも昔は有ったって言ってました。今は消えちゃったみたいですけど。ほら、涼子さんにも見てもらったあの写真の頃。」

 涼子はぎこちない笑みを浮かべて視線を泳がせた。

「涼子さん?」

 覗き込む紗彩から目を反らせて涼子は生唾を飲み込んだ。

「それ気にしてるんなら誰にも言いませんし、お母さんみたいに消えちゃうかもですから、ね?」


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