第18話


「実は今日、軽くだけどお弁当作って来たの。」

 喫茶店で四人掛けのテーブルに向かい合って座った二人はジュースを飲みながらおしゃべりしていた。

「そうなんだ。だからスタッズ付バックとバスケットなんだ。」

「あ、やっぱり変だったかな。」

 頼光は何も言わずにメロンソーダをちうちう言わせた。

(変だったんだ・・・)

 美幸はコーラの氷をストローで軽くつついた。

「オミの話だと会場の中にイート・イン・スペースがあるそうだからそこで食べても良いね。楽しみが増えちゃったな。」

 頼光はアルゴンキンのショルダーバックの中からバザー会場の見取り図の書かれたチラシを取り出してテーブルに広げた。

 その様子をちらちらとうかがいながら、店内の端の席に向かい合って座っている二人組は、手元のスマートフォンをいじっていた。

『・・・現在、ターゲットは駅構内の喫茶店「パーク・コウノイケ」で談話中。引き続き監視を続けます。』

「・・・ウワサではこの後、柳町の教会に行くそうですが。」

「・・・ああ。良い雰囲気なんかになろうもんなら、速攻潰しににかかるのが俺らの任務だ。」

「でも、あの一年坊、強いらしいですよ。」

「だが、この発射式スタンガンにはかなわないだろう。射程距離から離れないように気をつけるんだ。」

 傍らに置いた小型のリュックをポンポンと叩いて、この男子はニヤリと笑った。

 テーブルに広げた案内図を指差しながら、頼光は前にのり出した。

「ほら、ここがオミや佑理ちゃん佑美ちゃんがやってるお店。この『ろりぽっぷ』って、佑理ちゃん佑美ちゃんがやってるバンドの名前なんだ。」

「オミくんって服飾科の篠崎くんよね。ウチのクラスでもファンの子多いのよ。皆本くん、篠崎くんとは仲良いの?」

「うん、小学校からの友達なんだ。同じ空手道場で、結構強いんだぜ。それに読者モデルもやってるし。知らない? JUSTって言う原宿ストリート系の雑誌。そこで佑理・佑美姉妹と知り合ったんだってさ。」

「そうなんだ。私、あんまりファッション誌とか読まないから。」

「へぇ? 美幸ちゃん元がきれいなんだから、そういう情報取り入れてオシャレしたらすっごく光ると思うよ。」

 組んだ両手に軽く顎を乗せて、頼光はにこやかに美幸の顔を覗き込んだ。

「あ、ありがとう。その・・・皆本くんも制服の時とか、バイトの着物の時とかと雰囲気が全然違って見えるね。」

「うん? どれかが似合ってない?」

「いや、そうじゃなくて。それぞれに皆本くんの魅力、というか、あ、その・・・」

 美幸はしどろもどろに言葉をつなげた。

「・・・何て言うか、それぞれカッコ良くて、その、皆本くんの人気高いの判るような気がする。」

 美幸はちらりと上目づかいで視線を投げた。

「いやいや。そんなにおだててもハトしか出ないよ。」

「出るの?」

「前日までに教えてくれたら。」

「ふふ、皆本くんて面白い。」

 美幸は両手を顎先で合わせて微笑んだ。

「けどさ、僕は全然モテないよ。スポーツと言えば格闘系しか出来ないし、背も高くないし。女の子って、スポーツマンで背が高くて、日焼けした爽やか系男子が良いんでしょ?」

「え~。それは人それぞれよ。それに皆本くんは今回、人気投票で12位に入ってたじゃない?」

「ああ、それはたまたま同情票か何かが重なった偶然だよ。」

 頼光は弱った風に頭を掻いた。

(皆本くんて自覚無いんだ)

「だいたい、今までモテた経験なんて無いし。」

「そうなの? 別のクラスの女の子とも仲良いじゃないの。・・・六組のあの二人組の女の子とか?」

 美幸はちょっと探るように頼光を見た。

「ああ、兵頭さんと尾崎さんのこと? あの二人とは、他の男子とモメてたのを仲裁して知り合ったんだ。話してみたら健明と同じ軽音部繋がりでさ、また僕の三味線とセッションしようとか話してるんだ。」

「皆本くん、三味線弾けるの?」

「うん、小さい頃からのお稽古事で、あと横笛と琴が演奏できる。」

「わぁ、すごい。様になってる感じがする。」

 美幸は和室で琴を弾く、和服姿の頼光を想像した。

(・・・かっこいい)

「えっと、聴かせてもらえるってこと、出来る?」

「いやいや、お聴かせ出来る程の腕前じゃないよ。」

「でも、軽音部では披露したんでしょ?」

「う・・・ん。音楽室に古いヤツだけど三味線と琴があるから。」

「それじゃ、演奏するときに聴きに行っちゃおうかな。」

 美幸はちょっと意地悪っぽく微笑んだ。

「う~ん。顧問のレミ先生次第かな? 音楽の逸渡(そらしど)先生。」

「それじゃ、予定が決まったら教えて。ちょっと交渉してみるわ。」

「ははは、お手柔らかに。」

 頼光はメロンソーダのストローをくわえ、美幸もつられてコーラを口にした。

 恋人同士のような会話と時間の流れを感じて、美幸は手元の氷を見ながら照れ笑いを浮かべた。

「そうだ、美幸ちゃんはその辺どうなの?」

「そのへんって?」

「人気投票第一位の女の子としては、結構男子からお声がかかってるんでしょ?」

「そんな事無いよ。まあ、視線とかは感じるけど。」

 美幸はストローでグラスの氷をつついた。

「そうなんだ。意外と皆さんシャイ・ボーイなんだな。美幸ちゃんは、良いなって思う人とかいるの?」

「!」

(目の前にして言えないわよっ)

 表情は普通を装った美幸は、がちゃがちゃと氷をつつき回した。

「・・・ナイショ。」

「ふふっ、了解。」

 ちょっと深く呼吸をして美幸は気を取り直して頼光に顔を向けた。

「それじゃ、皆本くんは、その、気になる女の子とか・・・いるの?」

「う~ん。まあ、僕はあんまり恋愛ゴトに縁が無いからなぁ・・・」

 頼光は斜め上を見つめて表情を曇らせた。

「え・・・でも、その・・・カノジョさん居たんだよね。」

 頼光はそのまま、ふいっと外を眺めた。

「あ、あのっ、気に障ったならごめんなさい。」

 あわてて身を乗り出す美幸に、そのままの格好で頼光はふっと吹き出した。

「ごめん。ちょっと、美幸ちゃんからかっちゃった。」

「もうっ。怒らせちゃったかと思ったんだから。」

「悪い。レイナさんの事だよね? キレイな人で、性格も少し誤解を受けるトコはあったけど優しい人だよ。でももう一年以上前の事だから。」

 そう言ってほほ笑んだ頼光は少し寂しそうに見えた。

(まだ好きなんだ・・・)

 美幸はコーラに浮かんだ氷をからからと鳴らした。

 しばらく無言の時が流れた。

「そうそう、美幸ちゃんと小林さんもすごい仲良いよね?」

「え、うん。椎名とは小学校一年生の時から。テニスに誘ってくれたのも椎名なの。私小さい頃、病気ばかりしてたから、『体鍛えなきゃだめよ』って無理やりテニスクラブに引っ張られて行ったのよ。でもね、やってみたら結構楽しくって。」

「それが今の美幸ちゃんを作ってくれたんだ。それに小林さんの話をしてる時の美幸ちゃん、楽しそうだね。」

「やっぱり、親友っていうのは良いわよね。皆本くんもそうでしょ?」

「うん。香澄やオミや健明には助けられることも多くてさ。得に香澄には。」

 香澄の名前が出た時、美幸の顔がすっと曇った。

「・・・ん、どうしたの?」

「ん・・・あの、香澄さ・・・吉田さんとは、その・・・吉田さんの事教えてくれる?」

 ちょっと的が外れた質問を口にしてしまい、美幸はバツが悪そうにグラスの氷をつついた。

「香澄のこと? いいよ。香澄とは僕が三歳の頃からの付き合いなんだ。伊勢からこちらに越して来た時に最初に友達になった子だよ。」

「皆本くん、伊勢にいたの?」

「うん、あんまり覚えてないけどね。父さん、母さんが神職だからか、丘の神社の近くに住んでいたような・・・。でも母さんが死んじゃって・・・」

「あ、ごめんなさい。嫌な事思い出させちゃって。」

「いいよ。小さすぎてあんまり覚えてないし。母さんの事は数枚ある写真でしか知らないんだ。」

 頼光は、緑色の液体の溜まった氷をストローでつついた。


 からんと澄んだ音を立てて、氷の積み木がグラス内を踊る。


「香澄とは源綴宮の桜の樹や参道脇の林でよく遊んだな。それに、僕の目の色をバカにしたヤツらをぶん殴って泣かせてたりもしてたっけ。」

「へぇ、結構勇ましいのね。」

「うん・・・」


『もういいよ。かすみちゃん。』

『だって、だって、よりくんのことバカにしたんだよ。よりくん、目の色が違うだけで何にも悪いコトしてないのに。うぇぇぇん。』

『ありがと、かすみちゃん。僕は気にしてないから、もういいよ。泣かないで。』

 頼光は幼い頃を思い出して口元をほころばせた。


「・・・香澄、中二の頃、進路指導のセンセからかなりのダメ出しを喰らったんだ。」

「吉田さん、どこ志望だったの?」

「詳しくは言いたがらなかったけど、僕が明芳学園受けるって言ったら『絶対、明芳受かりたい』って譲らなかったな。香澄、一度決めたら頑固だから。」

(あ・・・やっぱり)

「で、僕が香澄の専属家庭教師を務めたんだ。ほぼ一年みっちりと。」

「二人っきりで? あの・・・親御さんとか何か言われなかったの?」

「家も近所だし、親同士も町内会とかで知り合いだから。中間試験とか、期末試験とか近くなると、よくウチに泊まり込みになってたな。」

「い、一緒の部屋に?」

 美幸は目を見開いた。

「まぁ、睡魔にやられて雑魚寝した事も何度かあったけど。あ、美幸ちゃん、今えっちなコト想像したの?」

「う、ううん。な、仲良しさんなんだね。はは。」

 美幸は薄まったコーラをずずずと吸い込んだ。

「うん、一番の仲良し。」

「それって、付き合ってるってコト・・・かな?」

 美幸はだんだんと小さくなる声で聞いた。

「ん? 付き合ってるって言うより、仲の良い兄妹って感覚だな。」

「そうなの? だって、皆本くんと廊下ですれ違ったりする時は大抵吉田さんと一緒にお話してるから。」

「から?」

 頼光はキョトンとして首を傾げた。

「だから、その・・・てっきり付き合ってるんじゃないかな、なんて。」

 美幸は探るような視線を投げかけた。

「あ、そんな風に見えるんだ。まぁ、香澄とだったら付き合っても構わないとは思ってるけど、そんな雰囲気にならないからな。」

 頼光は照れたように頭を掻いた。

「えっ、そうなの? 吉田さん・・・」

 皆本くんのこと好きなんじゃないの、と言いかけた美幸は慌てて口をつぐんだ。

(余計な事言ったら吉田さんに本当に持って行かれちゃう)

「香澄が、何?」

「う、ううん。何でもない。」


 オープンの時間が迫って来たので二人は席を立った。

 それを確認すると帽子姿の二人組も後に続いた。

 数メートル間隔を開けてぴったりと尾行しているその二人組の前に、観光案内の冊子を持った露(つゆ)が姿を現した。

「スミマセン。チョット道ヲオ尋ネシマス。」

 日本人離れした外見の彼女は、カタコトの日本語で立ちはだかり、パンフレットを大きく広げて見せた。

「あ、いや、そのちょっと急いでるので。」

 なんとか振り切ろうとする二人におかまい無しに、露は大きなVカットのニットから覗く谷間を強調するように近寄った。

 お年頃の男子達はターゲットと目前の胸の優先順位に混乱しているようだ。

「美観地区ニ行キタイノデス。ドウ行ケバ良イデスカ?」


 良い匂いと谷間に負けた男子達は、先ずおっぱ・・いや、案内を先に片づけようと決め、一緒にパンフレットを覗き込んだ。


「バスだと時間がかかりますから、ここからニ番ホームの倉敷駅行きの電車に乗って・・・」

 胸元をちらちらと見ながら説明する二人へ、銀色の小さな蜘蛛がつつぅと糸を引きながらそれぞれの帽子の上に降り立った。

「I see, アリガトウゴザイマシタ。」

 露はにっこりと笑って手を振って、切符売り場へと階段を上がって行った。

「キレイな外人さんでしたね。」

「みとれちゃったな・・・あ、いけない。あの二人からだいぶ離されたぞ。急いで追うんだ。」

 慌てて構内から走り出た二人は辺りを見回し、噴水モニュメントから大型電気店のビルへ続く横断歩道を歩く美幸と頼光の姿を見つけた。

「あそこだ。行くぞ。」

 足早に移動する二人の首筋にチクリと痛みが走った。

「あ痛。なんだ?」

 触ってみたが得に何も無い。気のせいか、ぐらいに思った二人は点滅を始めた信号機の横を走り抜け、ターゲットを視界に捉えた。

 呼吸を整えながら尾行を始めた時、不意に下腹部に激痛が走った。

「うぐっ。こ、こんな時に。済まない、後は・・・頼む。」

「う・・・実は・・・俺も・・・」

 二人は内股で、大型電気店のお酒売り場の横のトイレに駆け込んで行った。

 そしてLINEに以下の文章が並んだ。

『不慮の事態で追尾不可能。申し訳ありません。』


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