第17話
午後三時半過ぎ。買い物帰りの奥様達のおやつタイムがひと段落ついた『雪月花』のカウンターで、涼子はシンクに貯まった洗い物のオブジェを見てふぅと大きく息をついた。
「ほら、涼子。呆けてないで、今の内に片づけてしまいましょ。」
淡い黄緑色の地に桜の花びらのプリントのある着物を着た日笠(ひかさ)奈緒美(なおみ)が下げものを運んで来た。
「分かってるわよ、奈緒美。ちょっと気合い入れてただけじゃない。」
そんな時、格子の引き戸に取り付けたベルがからからと鳴り、お客の来店を知らせた。
「いらっしゃいませ~。」
「いらっしゃいませ。あら、紗彩ちゃん。」
「へへ~。こんにちは涼子さん、奈緒美さん。」
紗彩は子犬のように涼子の正面のカウンター席に座った。
「珍しいわね、今日は独り?」
生成り地に藤の花の模様の和服の袂を上げて、涼子はお冷を静かに差し出した。
澄んだ氷の音が心地よく響く。
「今日は、涼子さんとお話したくて。」
「あら、嬉しい。どんなご用なの?」
紗彩はお冷をひとくち飲んでカウンターに両手を組んだ。
「あのですね。この前紗彩と一緒に来た美幸先輩、覚えてます?」
「ええ。あの髪の長いきれいな子ね。」
「LINEで聞き出したんですけど、美幸先輩が皆本さんとデートするんですよ、この土曜日。」
「あら、そうなの。彼もなかなか隅に置けないわね。しばらく彼、バイト休みなのよ。このゴールデンウイークにご実家の神社の仕事とか部活の大会とかがあるって。」
「それでですね。美幸先輩、柳町にある教会のイベントに一緒に行くそうなんです。涼子さん、柳町の教会って知ってます?」
「う~ん。私、今年に入って、こちらに越して来たばかりだから、あんまり詳しくないのよ。」
「そうなんですか。以前はお化け屋敷みたいな感じだったんですけど、今は真っ白でキレイになってるんですよ。で、涼子さん。その日はお仕事なんですか?」
「土日、祝日はこういう飲食業はかき入れ時だから基本、仕事ね。どうしたの?」
「紗彩、涼子さんと一緒に行きたいなぁなんて思ってたんです。」
「え? 一緒に行くなら同級生の子とか、カレとか。」
目を泳がせた涼子は、慌てて手元の調理器具を片付け始めた。
「カレシなんて居ないですよぉ。それに同級生の子達と一緒だったら落ち着いて美幸先輩、観察出来ないじゃないですか。」
「あら、のぞきは良い趣味とは言えなくてよ。」
「そんなんじゃなくて。紗彩、先輩のこと、そっと草葉の陰から見守っていたいだけなんです。」
「それ、使い方間違っているわよ。」
「? まぁ、それはそれで置いておいて。紗彩、もっと涼子さんとお話とかしたいんです。紗彩とデートしてくれませんか?」
真っ直ぐ射る紗彩の視線に押されて涼子は隣の奈緒美の方に目を泳がせた。
「いいんじゃない? 涼子。」
「奈緒美。でも・・・」
「その日一日ぐらいは私がなんとかするわ。涼子も紗彩ちゃんと話してみたい事がたくさんあるんでしょ? それにお互い、夜の中州で修羅場を越えて来た仲じゃない。甘味処の混雑なんてかわいい方よ。」
奈緒美は洗った皿を食器乾燥機のスチールラックに並べてにっこりと笑った。
「ヨルノナカス?」
「そう、福岡にね・・・」
「ちょっと奈緒美っ。中学生に何吹き込んでいるのよ。紗彩ちゃんは知らなくても良いの。」
「は~い。何か涼子さん、お母さんみたい。」
「え、あ、そう・・・ その・・・それじゃ、甘えさせてもらうわ奈緒美。でも、ヤバくなったらLINE入れてね。」
「やった。で、美幸先輩、朝十時のスタートぐらいに行くそうなので紗彩、朝九時半にこの雪月花の前に来ます。ここで合流しましょう。」
「駅の噴水広場じゃだめなの?」
「だめですよぉ。先輩からはそっとしといてってクギ刺されてるんですから、乗っけから見つかっちゃマズいんです。」
「そうなの?」
奉納舞の稽古が終わって直ぐに、ジャージ姿の頼光は崇弘に呼ばれて談話室に入った。
そこには崇弘の他に、プラチナブロンドの女性が床の間の掛け軸を眺めて立っていた。セミロングのストレートヘアをかきあげている。
彼女は襖を開けて入って来た頼光に顔を向けると愛想良く手を振った。
アメジスト色の神秘的な瞳が輝く。
「ハイ、あなたが頼光くん? ウワサは崇弘から聞いているわよ。」
「は、はぁ。どうも。」
困ったような顔で頼光は崇弘の方へ視線を泳がせた。
「頼くん、彼女の名は『露(つゆ)』。僕の古くからの知り合いで、この世界の事象に精通している手練れだ。明日の教会の調査の件で、君達の護衛役をやってもらう。」
「へぇ、護衛と言うよりモデルって感じの美人さんですね。」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。崇弘もこれくらい言って欲しいところね。」
崇弘は咳払いを一つして、机の上に用意してあったクリアファイルを開き、二人に近くに来て座るよう促した。
「これがその教会の衛星写真だ。見ての通りミサを行う教会と、デイサービス・グループホーム兼、教団関係者の居住する長細い母屋の二棟の建物。その二棟の南を繋ぐ回廊、そして広い庭がある。この庭の南東のこの正方形な建物が納骨堂だそうだ。」
「納骨堂って響きが怪しいですね。」
崇弘はクリアファイルのページをめくって、人工大理石製の『凱旋門』を模した建物の写真を見せた。その柱には『Käfige』と真鍮版に刻まれた大きなプレートが見て取れる。
「ここは常に施錠されていて潜入は難しいそうだ。」
「まぁ、一般客にそんなとこウロウロする人は居ないわよね。」
崇弘に妙にくっついた姿勢で、露はちらりと頼光の方に視線をやった。
「頼くん達はなるべく教会関係者と接触してみてくれ。何かしら、きっと反応があるはずだ。」
「でも露さん交えた三人組なんて不自然ですよ。」
「君達は二人で行動してくれれば良いさ。露が位地や、状況を把握出来るように頼くんにはこれを身に付けていてもらいたい。」
そう言って崇弘は、小さな銀の蜘蛛が付いた大振りなストールピンをテーブルの上に置いた。
「発信機か何かですか?」
「まぁ、そんなところね。あたしの姿が見えなくても、ちゃんと助けに行くから心配しないで。」
露は両肘を突いて微笑んだ。
「どんな感じで接触を図ったら良いんです?」
「そうだな。ミサに参加してみるとか、介護に興味があるからデイを見せて欲しいとか。」
「ちょうどカップルなんだから教会での挙式の事について聞いてみるとか? あ、それだったらあたしと崇弘が行った方が良いかしら。」
「そこは頼くん達で頼むよ。」
「あら、随分つれないじゃない。出会った頃はとっても優しかったのに。」
崇弘の肩に置いた手にあごを乗せて、露は拗ねた声を出した。
「あの~。つかぬ事を伺いますが、お二人はどういうご関係なんです? 襖の向こうの美智子さんも知りたがってますよ。」
頼光が指差した襖がガタッと鳴って、慌てて人が離れて行く気配がした。
「ふふ。あたしの命の恩人で、将来を約束してくれた人なの。」
「文章的には間違っていないが、何か語弊を感じるな。」
「もう、照れちゃって。」
「まぁ、俺にとって最も心を許せる存在で、とても頼りになる女性だ。」
「あん♡ もぅ崇弘~、大好き。」
露は崇弘の首にぶら下がるように抱きつき神職装束の胸元にぐりぐりと顔を擦り付けた。
「はい、ごちそうさまです。」
「あと、何かの時は保昌に相談してみると良いだろう。ヤツからこれを渡すように言付かっている。」
崇弘はぶら下がった露を物ともせずに、袖の中から黒革製の名刺入れを探り出して『禎(よし)茂(しげ)保(やす)昌(まさ) 探偵事務所』の名刺を手渡した。
土曜日午前九時十五分。頼光は駅前広場の噴水モニュメントに着いた。
ハトメ穴をたくさんあしらったシャーリング長袖のTシャツの左肩に崇弘から手渡されたストールピンを通して、ヨースケの厚底ブーツを履いた彼は、短く息を吐いて軽く目を閉じた。
(さて、敵さんはどう出てくるかな)
『今からそんなんじゃ、身が持たないわよ。もっと楽に構えて。』
突然頭の中に露の声が響いてきた。頼光は姿を探そうと辺りをきょろきょろと見回した。
(さすが崇弘さんの折り紙付きだ。)
『ふふ、ありがと。ちゃんと護衛してるから安心して行動してね。』
美幸との待ち合わせの時間にはまだ早いので頼光は噴水を同心円状に囲んでいるベンチに腰掛け、軽く目を閉じた。
車道と駅前広場を区切るエゾマツの植え込みの影から目つきの座った、ちょっと暗そうな感じの男子が頼光を見つめていた。
頼光がベンチに座るのを確認すると、最も近い植え込みの影に移動し、手にしていたナップザックから40センチくらいのプラスチック筒を引っ張り出し、ブロウ・ガンの矢を詰めた。
「・・・美幸さんに抜け駆けするとは、許せん・・・」
小さくつぶやいたこの男子は、ためらいも無く頼光に向けて吹矢を放った。
植え込みの影から頼光に向かって飛び出したブロウ・ガンの矢は標的半ばで何かに弾かれ宙に舞った。
そして、上空に跳ね上がった矢はピタリと狙いを定め、この男子の右腕へと鋭い音を立て飛んできた。
「うぐぅ。」
くぐもった悲鳴を上げたこの男子は、刺さった吹矢もそのままに、その場から転がるように逃げ出した。
「ん、何だ?」
頼光は声の方をちらりと見たが、特に気にもせずに再び目を閉じた。
鴻池駅2番ホームに電車が停まり、小さなバスケットを手にした美幸が降りて来た。
短めのワンピースに黒のボレロを合わせた市松模様のタイツ姿の美幸は、改札を出た所にある大鏡に映った自分の姿をチェックした。
(う~ん。皆本くん普段はパンクっぽい格好してるって言うから・・・パンク風なんて普段着ないから良く解らないな)
付け慣れないチョーカーを弄んで、待ち合わせの噴水広場に目をやると、その視界に頼光の右横姿が飛び込んで来た。
(う、うわっ。どうしよう、もう皆本くん来てるよ。)
辺りをきょろきょろした美幸は、構内の木製ベンチに腰かけているボーダーTシャツにニット帽姿の女の子の傍に走って行った。
「ねぇ、椎名。この格好、変じゃない?」
「何で判るのよっ。」
軽く仰(の)け反った彼女は、伊達メガネを外した。
「だって、椎名の変装のセンス、変だもの。」
「なによ~。」
「いまどき『ウォーリーを探せ』なカッコしてる人って居ないよ。」
「そこまで言われると自信なくすわ~。で、その格好? 良いんじゃないの。この前一緒に店員さん交えて着せ替えごっこ、散々したじゃない。」
「でも・・・笑われないかな。」
「大丈夫よ。自信持って行かなきゃ。」
「うん、ありがと、椎名。それともう一つ言って良い?」
「うん、何?」
「私、そっとしといてって言わなかったっけ?」
「う、ごめん。ちょっと気になっちゃってさ。」
「顔、笑ってるわよ。」
椎名に帰宅を強く促した美幸は、軽く両頬を叩いて噴水広場に向かって歩み出した。
数歩踏み出した所で、横を向いて目を閉じていた頼光は美幸の方に顔を向けてにっこりほほ笑んだ。
目の奥を射られた彼女は思わず視線を泳がせた。
「や、おはよ。だいぶ早く来てくれたんだね。」
「み、皆本くんこそ。待った?」
「いや全然。あ、美幸ちゃんてそんな格好するんだ。この前、雪月花ではお嬢様チックな感じだったよね。」
「あ、うん。皆本くん、普段パンク風だって聞いたから。その・・・似合うかな?」
「え、僕に合わせてくれたの? ありがとう。その格好もかわいいと思うよ。このチョーカーはSEX・POTのだね。」
頼光は美幸のほっそりした首に手をやった。首筋には治りかけの赤いキズ跡が見えた。
「あっ! うん、よ、良く判るね。」
ちょっとびくっとなった美幸ははにかんだ笑顔を浮かべた。
「そのラインストーン入りのドクロチャームはSEX・POTのヤツだし。実は、同じの持ってるんだ。そのチョーカーにしてくれば良かったかな。」
頼光は自分の黒革製のチョーカーに付いたチェーンをちゃらりと弾いて見せた。
「でもさ、お店の名前で ひかなかった?」
「うん。椎名と一緒にちょっとためらっちゃた。」
「やっぱりアダルトグッズ専門店かと思うよね。そうそう、会場のオープンまで時間があるから構内の喫茶店でちょっとお茶して行こうよ。」
頼光と美幸は微妙な距離を取ったまま並んで構内へと歩いて行った。
その数メートル後を2名の帽子を深めに被った男子が続いて行く様子を眺めて、露は苦笑いを浮かべた。
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