第16話


 香澄と頼光は駅に向かう赤レンガ道を並んで歩いていた。

「やっぱりチャリ通は断念だね。」

「今日は朝練だから、練習前に息が上がってちゃ話にならないからさ。」

「そういう事にしときましょうか。」

「香澄のチームはどんな具合?」

「うん。一年~三年の混成チームだけど上手く息が合ってるんだ。結構勝てそうな感じ。」

 学校行きのバス停『玄磐免許センター行き』八番ホームで数名の制服姿の学生とスーツ姿の会社員の列に並ぶ。香澄が頼光に何か話しかけようとした時、不意に後ろから女の子の声がした。

「皆本くんおはよう。」

「やあ、美幸ちゃんおはよー。」

 親しげに挨拶を交わす二人を見て、香澄は唇を結んだ。

「お、おはよ。有松さん、テニス部の朝練?」

「ううん。テニスはスポーツクラブでやってるの。今日は皆本くんの練習が見たいから、一緒に行こうってことになって。」

「え? そうなの・・・」

 恥ずかしそうにはにかむ美幸を見て、香澄は頼光に目を泳がせた。

「ああ、悪い、香澄。言うのが遅れたけど、俺たち付き合う事になったんだ。親友の香澄には目の前で報告しようと思ってな。」

 香澄は涙目になって掛布団を跳ね上げた。

 しばらく真っ暗な回りを見回して、事態の理解に努める。

 跳ね上がった心拍数が落ち着いてくるに従って状況が解って来た。

「ふぅ~。夢か・・・」

 枕元の時計を確認すると午前二時。

「あー、縁起でも無いわね。やっぱ気になったまま寝ちゃったのが良くなかったな~。」

 枕元のライトを灯し、ヘッドボードにしつらえてある簡易棚から、平置きにしてあるB5サイズのアルバムを引っ張り出した。

 紫の台紙に真鍮箔でネコのイラストがあしらわれたアルバムの表紙をめくり、明芳学園の校門前で入学記念に頼光と一緒に撮った一枚を見つめた。

「どうせ夢で見るなら・・・」

 軽く頼光の写真にキスをして、香澄は再び布団にもぐり込んだ。



 翌朝午前七時、大正建築風の赤レンガ壁の屋敷の前にフードを深く被った叢雲が立っていた。

 屋敷内に響く呼鈴のチャイムが重厚な造りの樫の木の扉越しに聞こえて来た。

 しばらくして扉の一部がスライドし、そこからメイドのプリムを付けた若い女性の顔が覗いた。

「どちらさまでしょうか。」

 彼女は無表情のまま言葉を投げてきた。

 叢雲は深く被っていたフードをはらりと落として、軽く首を振った。

 栗色の逆立った髪が朝日を受けて輝き、真紅の瞳が鮮やかに映えた。

「叢雲と言う者だ。鴨川童子にお会いしたい。」

「そのような方はおられませんが。」

「では村上少佐殿にお会いしたい。」

「幸次郎様ですね。かしこまりました。客間にご案内致します。」

 ガチャリと重い鍵の音がして扉が開き、レッドオークルを基調色とした大広間が目に飛び込んできた。

 濃紺の衣装を着たこのメイドは叢雲の先に立ち、くすんだ色の床の上に長細く敷かれた赤いじゅうたんを歩いて行った。

 クルミ材の扉を開けて、四畳ほどの広さの部屋に叢雲を案内するとメイドは無表情のまま下がって行った。

「すぐにお茶をお持ちいたします。掛けてお待ちください。」

 程なくして、茶色のメイド服にベージュのブラウスを合わせた、先ほどのメイドと同じ顔をした女性が、ボーンチャイナのティーセットをアルミのワゴンに乗せてやって来た。

「お待たせいたしました。アールグレイのファーストフラッシュをお持ちしました。スコーンと一緒にどうぞ。」

 ぎこちない笑顔を見せたこのメイドは、慣れた手つきで、茶漉しをセットしたカップに紅茶を注いだ。

 爽やかな香気が部屋に立ち込める中、濃紺の服を着た先ほどのメイドがノックと共に部屋に入って来た。

「幸次郎様です。」

 そのメイドに続いてレザー製のシルクハットに歯車飾りの付いたゴーグルを載せた背の高い男性が顎髭を撫でながら顔を覗かせた。

「やあ、叢雲。今日は早いね。どうしたんだい?」

「相変わらずスチームパンクだな。ところで、この茶色のメイドは新作かい?」

「ああ、この娘には『笑顔』を作るという概念を与えてみたんだ。まだぎこちないが、そのうちスムーズに稼働出来るようになると思うよ。で、要件は何だい。僕の次回作を覗きに来た訳じゃないだろ?」

「ああ、悪いが。おたくの作る『女』は松本零士みたいにみんな同じ顔しているからな。で、本題だが、また例の傀儡(デク)を二体もらいたい。ミハイル神父に渡しているシリーズだ。」

「あのマリオネット・システムのボディか? もうあの旧式のデータは取り終えているからなぁ。」

「そう言わず頼むよ。上手く行けば酒呑童子の為のボディが手に入るかも知れんのだ。」

「ほう? イブキ殿のあの霊力に壊れない肉体があるのか?」

「半妖の人間だ。俺と同じ天狗族の血を受けている者だ。癪な話だが、俺よりも霊威が高い。」

「へぇ、そいつはすごいね。そういう事なら興味が出て来たよ。僕も見に行って良いかい?」

「ああ、別に構わないが?」

「人間で居た時に比べると時間の流れが遅くてね。たまには息抜きも良いだろ?」

 シルクハットのこの男性は腕組しながら不敵に微笑んだ。

「この土曜日の午前中、ミハイル神父の教会のイベントにヤツはやって来る。同行している女の子がシスターのエサだから教会関係者と一緒に居れば会えるはずさ。」

 叢雲はソファーにすとんと腰を据えて銀のトレイの上のスコーンをひょいとつまんだ。

 幸次郎は壁に背をもたせながら、帽子のブリムをピンと弾いて天井を見上げた。

「ミハイル神父か・・・今はそう名乗ってるんだな。あのシステムの維持には生命エネルギー『オド』が必要とは言え、結構貪欲に集めているよな。人選を誤ったかな。」

「人間を上回る身体能力、若いまま老いない体、どんな事があっても『本体』が傷付かない体。どの人間に渡してもああなるだろうよ。かつて人間だった君の方が、妖族の俺より理解できるだろ?」

 紅茶のカップを手にした叢雲は、苦笑いを浮かべてシルクハットを深めに被り治した幸次郎をちらりと見た。

「そうだ、もし、ミハイル神父がしくじった時の為に、『魂剥ぎの鏡』を装備した傀儡(デク)も一つ譲ってくれないか、ほら、先の封魔戦のが幾つか残っていただろ?」

「ああ、長い間調整していないから『魂剥ぎ』の威力が充分に出ないぞ。クリーンヒットしてもせいぜい昏睡状態に出来るぐらいだ。それで良いかい?」

「充分だ。完全に殺してしまっては酒呑童子の『殻』が傷んでしまうからな。確かその傀儡も例のマリオネット・システムにリンク出来るんだよな?」

「そう言う仕様にしているからな。さては何か企んでいるな。」

「聞こえが悪いな、策があると言ってくれよ。」

 紅茶のカップをテーブルに置き、もう一つスコーンに手を伸ばして叢雲はにやりと笑った。


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