第11話


 午前八時十五分。明芳学園前のバス停からグレーの制服を着た学生達がぞろぞろと校門に向かって歩いて行く。

 部活の朝練の無い生徒達の大体が、この時間に登校するようだ。

「美幸。あんまり顔色良くないよ。ホント大丈夫なの? なんならこのまま帰る?」

 色白と言うよりも蒼白に近い顔色の美幸を覗き込んで、椎名は心配そうに声をかけた。

 昨日には無かった、喉元の赤い傷が制服の衿元から覗いた。

「もう。さっきから大丈夫って言ってるじゃない。椎名は心配性ね。」

 美幸は明るく言ったが、表情にはどこかぎこちないものが感じられ、余計に痛々しい印象を与えた。

 校門から体育館前に真っ直ぐ伸びる五十メートル程のエゾマツの並木道をゆっくりと歩く。

 数名の男子生徒が美幸に挨拶して何か言いたげな素振りを見せるが傍らに椎名が居るので、ただの愛想の良い通行人として横を過ぎて行った。

 並木道の裏は駐輪場になっていて、バイク通勤の教師や学校前の坂道を物ともしない強者の学生の自転車が止まってある。

 そこから色白で小柄の男子生徒が小走りに出てきて、美幸と椎名に声をかけた。

「おはよー。小林さん。美幸ちゃん。」

「え、皆本くん?」

 美幸は1オクダーブ高い声を出した自分に慌てた様子で口に手をやった。

「おはよー、皆本君。美幸だけ名前で呼ぶの?」

 にやにやしながら椎名はチラリと美幸の方に目をやり、美幸はバツ悪そうに視線をあさってに向けた。

「あぁ、とっさに苗字が出なくってさ。二人ともこの時間のバスで来るの?」

「うん。だいたいね。今日はどうしたの、駆け込み常習犯がめちゃめちゃ早いじゃん? 朝練?」

「えらい言われようだな。今朝は格技場、剣道部が使ってるから朝練は無し。今日はチャリ通に挑戦してみたんだ。どのくらいの時間で到着出来るかなって。」

「あの坂、登って来れたの?」

 美幸は目を丸くした。

「結構しんどかったけど、何とかね。毎日、参門の石段昇り降りしてるおかげかな。」

「ああ、皆本くんあの丘の神社の息子さんだものね。」

「宮司の息子だってば。で、美幸ちゃんに渡したい物があるんだけど、今、いいかな?」

 頼光は親指を立てて、体育館から格技場に向かう小道を指した。それを見た椎名は、手をぱんと打って笑みを浮かべた。

「あ! そうだ。私、用事があったんだ。先に行くから。じゃ、美幸、また休み時間にね~。」

「え? ちょっ、ちょっと、しいな~。」

 弱ったような上目づかいで、美幸は軽く手招きする頼光について体育館の影に入って入った。

「あんまり顔色良くないね。ちゃんと眠れてる?」

「さっき椎名にも言われちゃった。そんなにひどい?」

「う~ん。目頭あたりからクマみたいなのが浮いてる。」

「え? やだうそ。」

 それを聞いた美幸は慌ててポケットから白地にラメの入ったコンパクトミラーを引っ張り出して、まじまじと見つめた。

 そう言われて見ると確かに青黒くゴシックメイクのようなクマドリが薄っすらと浮いているように見える。

 首筋と喉元に虫に刺されたような赤い腫れ跡を見た美幸は、その部位をそっと撫でた。

「あんな事があった後だから?」

「う・・・ん。あれから夜な夜なカーテンの向こうから見られてるような感じがするの。変でしょ?私の部屋、二階なのに。やっぱり安定剤飲まなきゃだめなのかな。」

 パチリとコンパクトを閉じて美幸はため息と共に目を伏せた。

 頼光は特に言葉を返さずに美幸の一歩前を歩いて行った。

 ちょうど建物と木立の陰になる場所、ほとんどの場所から死角となるポイントに頼光は立ち止まった。

 後からついて来た美幸は、軽く頼光の肩にぶつかった。

「あ、ごめんなさい。」

「いや、こちらこそ。えーと、それで話なんだけど・・・」

 振り向いた頼光は軽く鼻をこするような仕草をして目を伏せた。

(・・・確かこの場所ってクラスの由佳ちゃんが告白されたって言ってた所よね・・・)

 美幸は緊張して唇を真一文字にきゅっと結んだ。

「これを受け取って欲しいんだ。」

 そう言って頼光はスクールバックの中に手を入れた。

(あ・・・まさかラブレターとか♡)

「これ。」

「え?」

 美幸は差し出された長方形の和紙の包みを見てすっとんきょうな声をあげた。

「え・・・と。美幸ちゃんが変なモノに魅入られてたらいけないからウチの神社で護符を作ってもらったんだ。部屋の東西南北に正確に貼って使ってもらいたいんだ。」

「あ、ええ・・・。私の事、気にして用意してくれたのよね。う、うん。」

 自分に言い聞かせるように、美幸は固い笑顔を作った。

「あ、やっぱりこういう宗教関係のモノって嫌だったりする?」

 頼光は済まなさそうに頭を掻いた。

「ううんっ。そんなんじゃないの。皆本くん、神社のヒトだし・・・いや、そのっ。何て言ったら良いか。」

 美幸は慌てた様子で手をひらひらさせて真っ赤になった。

「方角はそれぞれの護符に書いてあるからそれに対応している方向に貼ってね。方角がずれると効力が無くなるから気を付けて。で、もう一つなんだけど良い?」

「うん。何?」

「えっと、この土曜、空いてる?」

「え?」

「急な話で恐縮なんだけど、柳町にある教会でフリマがあるんだ。一緒に行こうよ。」

「えぇぇ♡?」

 美幸は目を丸くして、左手を胸の前できゅっと握った。

「いや、その。都合も聞かずにこんな事言うのも・・・」

「ううん。行くっ・・・あっと・・・その日は空いてるから大丈夫よ。」

「そう。良かった。それじゃ、僕の名刺渡しておくから後でここのメアドにメール頂戴ね。時間とか待ち合わせ場所とか決めよう。」

 そう言って頼光は胸ポケットから学生手帳を取り出してその中から白いカードを抜き取った。

「あ、『にやんぱいあ』のイラスト入りなのね。」

「うん、ダウンロードして作ってみたんだ。それじゃ教室前まで一緒に行こうか。」

 二人は趣味の事とか食べ物の事とかの話をしながら教室へ向かって行った。

 すごい近くに頼光を感じながら、美幸はまだ夢の続きを見ているのではないかと言うような気分になっていた。



「あ~。朝っぱらから見せつけてくれちゃって~。」

 美幸が教室に入るとクラスの女子達がニヤニヤしながら近づいて来た。

「え、そんなんじゃ無いよ~。」

 顔を赤らめて苦笑いをする美幸を尻目に集まって来た女子達は口々に言いたいことを口にしていた。

「もー。いつからそんな仲になったのよ。割と二組の皆本君ってウチのクラスの中でも人気高いのよ。」

「そうそう、キレイだもんね。」

「漫研で、先輩達と一緒に皆本君のBL描いてるんだよ。カノジョが出来たらつまんないじゃない。」

「え? やっぱり皆本君はウケのほう?」

「うん。服飾科の篠崎君がオネェでタチなの。」

「うわぁ、ギャップがいいわぁ。」

 美幸そっちのけで女子達の話がどんどんと脱線して行くので、美幸はそっとその場から後ずさりをして行った。

「私、てっきり二組の吉田さんと付き合ってるものと思ってた。」

「あ、私もぉ。」

 気になる言葉に足を止めた彼女は、その話をしている二人の近くに寄って行って、おずおずと聞いてみた。

「え・・と。皆本君と吉田さん、その、付き合ってるの?」

「う~ん。私、同じ緑川中だったんだけど、普通の『幼なじみ』ってより仲が良い感じだったわね。」

「そうよねぇ、特に二年の秋ぐらいに皆本君が白石先輩と別れてから、吉田さんの動きがソレっぽくなってきた感じがするぅ。」

「あ、チエミもそう思う?」

「シライシ先輩って?」

 真剣な顔で食い入って来た美幸にちょっと押された彼女達だったが、すぐにいつもの調子でおしゃべりを始めた。

「緑川中で私らより一年先輩で、生徒会副会長やってたヒト。白石麗奈(しらいしれいな)って言うの。」

「ハーフなの。ストレートのパッキンでぇ、すっごいスタイル良いのよ。羨ましいったら。」

「ねぇ~、同じ人間なのにどうしてこんなに違うのかしら。」

「あたしもあのぐらい胸があったら完璧なのにぃ。」

 チエミは制服の上から自分の胸をくいっと持ち上げた。

「あんたはもっと他のトコももらわなきゃ。」

「なによぉ。でもやっぱり男子って才色兼備に弱いのよね~。白石先輩、頭も良かったし。」

「うん。ちょっと冷たい感じの人だったけど、言い換えればクールビューティってトコかしら。」

「あ・・・そうなんだ。」

「ま、モトカノがそういう人だから、皆本くん相当の面食いと見たわ。まあ有松さんならそこんトコロはクリアかな?」

「いや、その、まだ付き合うとかそんなんじゃ無くて・・・」

 ちょうどその時、廊下側の窓から椎名がチェシェ猫のような笑みを浮かべて美幸に手招きしたので彼女は廊下の方へ出て行った。

 美幸が三組方面に連行されてもまだ盛り上がっている女子の輪から、少し離れた所に居た数名の男子生徒が静かに席を立って、スマホのLINEを打ちながら教室から出て行った。



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