第10話


 大急ぎで自宅前まで走って来た香澄は息を充分に整えてから玄関の扉を開けた。

「ただいま~。」

「あら、おかえりなさい。」

 台所の方から母親の声がした。

 香澄は台所にひょいと顔をのぞかせて、母親の姿をうかがった。

「玄関先に兄ちゃんの靴があったけど今日は大学休講だったの?」

「友哉、今日は午前中であがったって言ってたわよ。今晩はバスケ部とバレー部でコンパなんだって。あんなでっかい人ばっかり集まったらお店の人、びっくりするわよね。あ、そうそう、今日パート先で納入業者さんが数量間違えてね、余ったのを持って帰っているから食べちゃって。好きでしょ、葬式饅頭。」

 母親は香澄の方をちょっと振り返って、鍋の中をくるりとかき回した。

「う~ん。今は気分じゃ無いからいいや。」

「あら、頼くんと何かあったのね?」

 自室に行きかけた香澄はすごい速さで母のもとに戻って来た。

「なっ?」

「何で判るかって? 何年あなたの母親やってると思ってるの?」

 母親は夕飯の下準備の手を止めて、こちらを見て微笑んだ。

「引っ掛かってる事があるんなら吐き出しちゃいなさいな。独りで抱え込んでるより楽になるわよ。」

 香澄は促されるままにテーブルに就き、母は紅茶を淹れてことりと置いた。

 対面する席に就いた母親は自分の紅茶を一口すすって香澄を見つめた。

「で、何? また余計な事でも言っちゃったの?」

「な、何か全てお見通しみたいな言い方、ちょっとムカツクんだけど?」

「あら、ごめんなさい。でもね、母さんの娘だから私が昔やらかしたコトやってるんだろうなぁて思って。」

「どんな事?」

「そうね、例えば・・・何か良い雰囲気に向かいそうになったら妙に怖くなって、冗談口で空気ぶっ壊しちゃったり?」

「う・・・」

「あら、図星? 結構解りやすいのね。」

 づづづっと母は紅茶をすすった。

「・・・それって相手傷つけちゃうかな?」

「まぁ、無傷って訳には行かないわよね。でもね、気まずい雰囲気漂わせてたら向こうが過剰に警戒するから、今まで通り普通にしておくのが対処法としてはベストね。」

「それで無かったコトになる?」

 香澄は身を乗り出した。

「とんでもない。話を振って来たのが相手だったら結構憶えてるわよ。」

「・・・どうしたら良い?」

うな垂れて、上目づかいに見る娘に母はにっこりと微笑んで、再び紅茶をすすった。

「もうちょっと素直になってみれば?」

「それが出来たら苦労なんて無いよぉ。変に意識したらキョド(挙動)っちゃう(不審)し。」

「まぁ、頼くんのことだから全く普通に接してくれるだろうけど、もう小学生じゃ無いんだから。オトコとオンナって事考えなきゃね。このままだと麗奈さんだっけ? あの時みたいに先越されて泣きを見ちゃうわよ?」

「う・・・うん。またあんな思いするのは嫌。」



 『陵王』の舞を稽古した後、頼光は禰宜の黒田崇弘(くろだ たかひろ)に電話を入れた。

『どうしたんだい、頼くん?』

「崇弘さん、ちょっと相談があるんですが今良いですか?」

『ああ、構わないさ。改まって何だい?』

「実は、鞍馬の鬼狩りの玄昭さんから・・・・」

 頼光は、コトの次第を鬼喰いの項目を外して崇弘に伝えた。

 話を静かに聞いていた崇弘は、少し重い調子で口を開いた。

『ふむ。アイツは完全には信用出来ないが、その情報は保昌が探ってきた内容とほぼ一致する。頼くん、その美幸ちゃんと会う機会はあるかい?』

「ええ、隣のクラスですから。」

『では、渡してもらいたい物があるんだ。早朝で悪いが午前七時に社務所に来てもらえるかい?』

「ええ、いいですよ。」

『それと、今後の事だが・・・頼くん、君がその教会関係者と接触するつもりかい?』

「・・・やっぱり反対ですか?」

『あまりお勧め出来る事態じゃないね。だが、この世界の事が解っている者がやらなきゃならない事だからな。頼くんがやる気なら僕も協力させてもらうよ。』

「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。」

『僕に策がある。ちょっとした囮役をやってもらう事になるが構わないかい?』

「ええ、崇弘さんなら安心です。」

『おだてても何もでないよ。では、ゆっくり休んでくれ。』

「はい、ありがとうございます。おやすみなさい。」

 頼光は電話を切って表示された時刻を確認した。

「いつもより早いけど、香澄にはおやすみメール送って、風呂入って寝ちゃおう。」


 神職の朝は早い。朝の空気の澄んでいる時間に神前に供物を供え、祝詞をあげる。

 本殿、摂社と祝詞をあげ、境内を清めて回る。

 手入れが行き届いている境内は、それだけで強い清めの力を持つ聖域となり、悪しきモノを撥ね退ける結界となる。

 頼光は朝七時に社務所の扉を開けて崇弘の姿を探した。

「あら、おはよう頼くん。すごく早いのね。今日は豪雨かしら。」

 社務所の奥の机で札用の清め墨を擦っている作務衣姿の河合美智子はころころと笑った。

「ひどいな~美智子さん。え~と、崇弘さんはまだ本殿かな?」

「崇弘さんなら本殿の拝詞を終えて、摂社を回っているはずよ。」

「そうか、崇弘さんは丁寧だからな。ちょっと上がらせてもらいますね。」

 頼光は家から履いて来たサンダルを脱いで社務所内に上がった。

 社務所の傍らにはこの連休に向けてのお守りグッズの入ったダンボールが積み上がっていた。

「このダンボールのお守り。一気にお清めしちゃうの大変だね。」

「そうね。毎年の事だけど禰宜さん、宮司さんは大変ね。でも私たち巫女もこの数を並べるんだから大変なのよ。バイトさんに説明もしなきゃだし。」

 おしゃべりをしていると、社務所の引き戸が開く音がして、神職の装束を着た崇弘が中を覗いた。

「やぁ、頼君おはよう。待たせて済まないね。天狗社の辺りの浄化に手間取ってしまってね。それじゃ、一緒に奥の談話室に来てもらって良いかな?」

 先導する崇弘に続いて頼光は社務所の奥の襖をくぐった。

 談話室とは、普通の地鎮祭や棟上げ式といった一般的な神事もさることながら、霊障や退魔といったコアな相談を依頼者と話を詰める為の部屋である。

 十二畳ほどの広さで、『気』が籠り過ぎないように天井は高く設計されてある。

「早速だが、これを例の美幸ちゃんに渡してくれ。四神の護符だ。」

 そう言って崇弘は蒔絵の箱の蓋を開けて、白和紙に包まれた薄い木札を四枚手渡した。左中指の金色の指輪が、天井の間接照明の光を柔らかく反射した。

「青竜・白虎・朱雀・玄武の守護の呪を施した護符だ。包んでいる和紙に書いている方角に対応してその札を置いておくように伝えてくれ。東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は玄武だ。この札に囲まれている空間には結界が張られる。並大抵の妖ではこの結界は破れない。」

「解りました。何か注意点で伝える事はありますか?」

 頼光は護符の束を受け取って胸の前で揃えた。

「どれか一つでも札が対応する方角から外れると結界の効力が無くなってしまうんだ。コトが済むまではどの札も決して動かさないように。」

「はい、しっかり伝えます。」

「あと、ヤツの居留地の教会についてだが、面白い事を見つけたんだ。この土日にその教会でフリーマーケットが開催されるそうだ。地域とのコミュニケーションの強化と教会の運営する老人福祉施設の宣伝、と言う事らしい。」

「一般の人も気楽に敷地内に入る事が出来るので、そこへ僕が潜り込んで調査するって事ですね。」

「ああ。多くの人が出入りして人の目も多い。そんな所で騒ぎを起こす様な軽はずみなヤツでは無いはずだ。同行したいのはやまやまなんだが、ちょうどその日は地鎮祭が立て続けに入っていてね。博通(ひろみち)が貴船に行ってなければ頼む所なんだが。」

「大丈夫ですよ。それに博通さんだったら調査するより斬り込んでえらい事になりそうだし。調査の項目なんかを指示してくれればやってのけます。」

 頼光は自信たっぷりに自分の胸を指差した。

「頼もしいね。そこで提案なんだが、美幸ちゃんと一緒に行ってもらいたい。」

「そんな、友達を生贄に出せってことですか?」

 頼光は目を見開いて身を乗り出した。

「良いかい、ヤツを倒すまで彼女にずっと四神結界の中に居ろと言う訳にも行かんだろう? 彼女がヤツの懐に近づけば、きっと何らかの反応があるはずだ。何か起こっても頼君なら彼女をガード出来るんじゃないかな。」

 崇弘はにこやかな表情を見せながらも瞳に真剣な光を宿して頼光を見据えた。

「そうですね・・・いざとなれば僕の『天狗』の力を使えって事ですね。」

「まぁ、そうならないようこちらからも護衛として信頼出来る者を手配するよ。普通のカップルみたいにイベントを楽しんでいる格好が敵の警戒も解けて良いんだ。あんまり肩肘張らずに行ってもらいたい。」

 頼光は視線を落としたままぺたんと座り込み、弱ったような表情のまま承諾を告げた。

「よし、では土曜日に決行だ。ちゃんと美幸ちゃんに話をつけてくれよ。」

 談話室から頼光が出るのを見届けた崇弘は袂から漆塗りの薄い小さな札箱を取り出して机の上に置いき、ふぅと短く息を吐き出した。

「露(つゆ)。力を貸してくれ。」

 するとどこからか艶のある女性の声が響いて来た。

『ハイ崇弘。あなたの頼みなら、断る訳には行かないわ。今回は一体何?』

 崇弘はにっこりと微笑んで札箱の上に手を添えた。


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