第9話
一瞬の暗転の後、頼光は薄暗い板間に片膝を突いて着地した。
少し目眩に襲われ、軽く頭を振った。
太いヒノキの丸柱と漆喰の壁で構成されたその部屋は、電気では無く燭台が灯されていて、どのくらいの広さがあるのか一目では判りづらい。
ただ、正面には不動明王の祭壇があるので、寺院であろうと予想出来た。
「ようこそ、鞍馬寺明王堂へ。」
右の燭台の後ろの薄暗がりから短い顎鬚をたくわえた玄昭が姿を現した。
「どうせ誘われるなら喫茶店の方が良かったですね。」
遠巻きに囲まれている気配に警戒しながら、頼光はおどけた風を装った。
「君に伝えたい事がある。」
「社務所じゃ話せない事ですか?」
「ああ、義晃殿や黒田兄弟に聞かれると少々マズいのでね。」
「で、何です。話って。」
頼光は玄昭を見据えたまま腕組みをした。
「ああ、頼光くん。まずはこのヒト達を見てもらえるかな。」
玄昭は軽く右手をかざした。
周りを囲んでいた気配が動き出し、燭台の光の前へと歩み出た。
山伏の衣装をまとっている人物が六名。
薄暗がりにぼうっと浮かび上がった。
「カラスのお面ですか。」
「いや、本皮だよ。」
「!」
驚く頼光の前に一人が歩み出た。
その背中には漆黒の翼が畳まれている。
「我らは鴉天狗(からすてんぐ)。我が主より伝言を承っておる。そなたが白鳳(はくほう)か?」
「白鳳が何のことか判らないが、禁忌の子と前回さんざんになじられたよ。これで良いかい?」
「ああ、上等だ。間違い無い。さて、話をすすめよう。この百年の内、千三百年続いてきておるそなたの祖父、現・魔王尊殿の体制に叛旗を翻すものが出て来ておる。前回、そなたを狙った過激派のグループの存在でそのコトは御存じの事だろう。そ奴等がやっかいなモノを持ちだしておってな。その回収をお願いしたい。」
鴉天狗はクチバシをぱくぱくさせながら落ち着いた声で喋った。
「やっかいなモノ?」
「チスイやカミキリ、イカヅチといった破魔の武器の存在はご存じか?」
「ああ、酒呑童子討伐に源頼光と頼光四天王が携えた破魔の武器だろ? ウチの神社でお祀りしている祠があるから、その伝説も知ってるよ。」
「それならば話が早い。その武器を成す妖の幼体が今、人間界で暴走を始めておって・・・」
「あの武器が『妖』だって?」
「何だ、知らなかったのか? あれは魂魄を食らう妖『鬼喰い』が武具に取り憑いたものだ。その武具で斬撃された者の魂を削り取ることにより、人間の力でも鬼のような強力な妖を葬ることが出来る。ただ、扱いが難しくてな。鬼喰いが主と認めない者が触れると、ヤツは食糧と判断してその魂を喰ってしまう。」
「危ない代物ですね。」
「残念ながら、我らではヤツにとっての食糧以外何者でもない。我々では触れる事も出来ぬのだ。そこで魔王尊殿の直系、高位の霊威を持つそなたに頼みたい。」
「頼まれるにしても、僕に何のメリットがあります?」
頼光は腕を組んだまま鴉天狗を見つめた。
「報酬か? 物理的な報酬は出せぬが、回収が成功すれば、おぬしの両親の不名誉もいくらか濯がれる(そそがれる)というものだ。」
鴉天狗のセリフに眉をひそめた頼光は不機嫌そうに口を歪めた。
「父さんや母さんの事をどうこう騒いでいるのはそっちだけだろ? 僕には何も恥じる事など無いですよっ。」
「ふむ・・・そうか。では、おぬしの亡くなった母上、紅葉(くれは)殿についての情報を与えるというのはどうだ?」
「母さんの?」
「そうだ。過去の映像を映し出す『時逆(ときさか)の水鏡』の使用を許可させよう。お主の欲する情報がすぐに見られるものだ。」
頼光は少しの間目を閉じた。
「・・・契約文書が無いから無効だ。なんて政治家みたいなマネは無しですよ。」
「おお、やってくれるか。」
「約束は守ってくださいよ。で、その『鬼喰い』はどこに在るんですか?」
鴉天狗の輪から玄昭が一歩前に出て来た。
「やっかいな事に、鬼喰いの幼体は人間に憑いている。昨今、君の近くで起きている猟奇事件がヤツの仕業だ。」
「血を吸われて殺されたって言うアレですね。」
「実は、そこが腑に落ちない所なんだが、血液の中には『オド』とか『イコル』とか言われてきた生命エネルギーがある。しかし、鬼喰いは直接魂魄を糧にするので吸血の必要が無いのだ。血液が必要なのは宿主の方ではないかと思うんだ。」
「それじゃ、吸血鬼と鬼喰いをいっぺんに相手にしろと?」
頼光は声を荒げた。
「あ~・・・簡単に言うとそういう事になるかな。」
「難しく言ってもそういう事なんでしょ。で、敵の目星は付いてるんですか?」
「ああ。今日、君が撃退してくれたおかげで追尾出来た。君の学校の友達を襲おうとしたあの女は、柳町の外れに建っている教会に逃げ込んで、そのままなりを潜めている。俺の式鬼を放って情報を集めさせたところ、その洋館は五年ほど前にカソリック系の教団が購入して教会に改修したそうだ。半年前にミハイルという神父が主任司祭として赴任して、洋館の一階部分を老人介護施設にして運営しているらしい。」
「半年前と言えば、例の猟奇事件がここいらで起こり始めた頃ですね。じゃ、その司祭の娘が吸血鬼だと?」
「あの司祭は独身でね。こちらに引っ越して来た時から住み込みの若いシスターが数名居るとのことだ。ま、若い愛人も混ざっているのかも知れんがね。」
「とにかくそのシスターが怪しいという事ですね。で、訪ねて行って鬼喰いをえぐり出せとでも?」
頼光はおどけた口調で鴉天狗達を見回した。
『そうだ。』
ずらりと並んだ黒羽根の鴉天狗達は一斉に口を開いた。
「ちょっと待ってください。そちらの世界では構わないコトかも知れませんが、人間の世界でそんなコト仕出かすと傷害罪や殺人罪になって刑務所行きですよ。」
「多くの命と君一人の人生、どちらが重いと思うかね。」
「そういう壮大な話にすり替えないでいただきたいっ。」
鴉天狗の発言にムッとしながら頼光は再び腕組みをした。
その場を治めるように玄昭が間に割って入って頼光の肩に手を添えた。
「まあまあ。結論はそうなんだが、鬼喰いを回収するのに宿主を害する必要は無い。鬼喰いの幼体をこいつに封じてくれれば良いんだ。」
玄昭はジャケットの内ポケットから掌に隠れるぐらいの大きさの赤メノウの円盤を取り出した。
表面には同心円状にアラビア文字が彫り込まれている。
「これは中空メノウの結晶を磨いて呪を施したものだ。こいつを鬼喰いの幼体が憑いている場所の上にあてがえばヤツはこの中の化石水に移って来る。幼齢の鬼喰いにとっては、まだ化石水の中の方が生活環境に向いているからな。どうだい、簡単だろ?」
「言う程簡単なら僕には頼まないですよね。憑いてる部位の情報は?」
「それは判らない。そこは君が探してくれ。報酬のためだぞ。」
頼光は受け取った赤メノウの円盤を灯りにかざしながら玄昭にちらりと視線を投げた。
「調子が良いですね。で、このことは父さんや黒田さん達には内緒にしろと?」
「察しがいいね。ついでに禎茂(よししげ)くんやその式鬼達にも黙ってくれているとありがたい。」
「それはムリですね。特にショウケラから隠し通すなんて不可能だし、第一、僕独りでの隠密行動なんて成功する訳が無い。みんなには力を貸してもらうつもりです。」
玄昭は、頼光から目を反らせて、ちらりと鴉天狗の方を見た。
「あぁ・・・分かった。だが鬼喰いの件だけは伏せておいてくれないか。君のお父さんや禎茂くんは、伊勢とのつながりが強い。鞍馬としては『鬼喰い』の幼体に関する事は内々に処理したいのだ。」
「オトナの事情ってヤツですね。善処はしますが完全に保証はできませんよ。」
「ああ、助かるよ。よろしく頼む。」
玄昭はほっとした表情で手を差し出し、頼光は一瞬躊躇したが握手を交わした。
「それでは君を神社に戻そう。楽に構えてくれ。」
周りの風景が一気に暗転し、浮遊感に包まれた。
その一瞬後、頼光は天狗の社の前に尻餅をつく格好でへたり込んでいた。
また軽い目眩がして、頼光は顔をしかめた。
「・・・さて、大変な事になってきたな。」
ポケットの中の赤メノウを紺色が濃くなってゆく空にかざして、頼光は深く息をついた。
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