第8話
夕刻。五時を回り、下校を促す校内放送が流れる。
学生達は帰途へ、職員達は職員会議へとそれぞれの行くべきトコに行く時間。
正門は主に体育部の学生達でにぎわっていた。
「それじゃ、ライコウ。また明日ねぇ。」
正臣は鼻にかかった声で、校門の端で手を振る頼光にウインクしてバス停留所へと向かって行った。
学校前の坂道に恐れをなしたのか、バス通学の生徒は結構多い。自転車通学者はバス代を節約したいか、坂道をものともしない猛者のどちらかであろう。
二~三グループが校門を過ぎて行くのを横目で見送り、少し退屈になった頼光はうう~んと大きく伸びをした。
「ライコウお待たせ。」
香澄はバスケ部一団に手を振り、頼光の所へ駆けて来た。練習後のシャワーで、香澄からはほんわりと石鹸の香りがしている。
「やぁ、香澄。今日もがんばってたみたいだな。」
「へへ、本日も絶好調。体が思うように動くのって気分いいわ。」
二人はバス停へと向かった。タッチの差でバスは行ってしまったので、バス停横にしつらえてある二メートル×四メートルの「スーパーハウス」と表記された待合所の中のベンチに並んで腰かける。人の目を気にして香澄は微妙な距離を取って隣に座った。
「どう? ライコウ久々の空手じゃない。」
香澄はベンチの背もたれにヒジをついた。
「そうだなぁ。やっぱ、体の動きがあんまり良く無かったかな。前田先輩に一本取られちゃったし。そうそう、オミはあんまり腕、落ちてなかったみたいだったよ。」
「格技場のガラス壁の所で見学してたオミのファンクラブが、きゃあきゃあ騒いでたのはそのせいね。」
時刻表に目をやると、約10分後に次のバスが来るようだ。
クリーム色のプリント材の内壁は、夕刻の光をやわらかく反射してリラックスできる雰囲気を醸し出していた。
「それで、えっと・・・今日の観客の中で有松さん居たの気が付いた?」
香澄は探るように頼光をうかがった。
「あ、そうなんだ。あんまり外は見てなかったから判らなかったよ。何か伝言でも?」
「ううん。そんなんじゃ無いけど、ほら、今日の体育の時間に、有松さん抱えて行ったじゃない。」
「うん。それで?」
頼光はきょとんとした顔をして言葉を返した。
「それでって・・・言われても。」
香澄は次の言葉が見つからず視線を泳がせ、待合室の自販機の横にある満杯になった空き缶入れをぼんやりと見つめた。
しばらくの沈黙。この空白の時間に耐えきれなくなり、香澄が口を開いた。
「ねぇ。ひとつ聞いて良い?」
「フォーチュンクッキーを発火させない方法?」
「あ、あれはちょっと手順を間違えただけじゃない。」
香澄は大きな目を見開いて頼光を見据えた。
「小龍包じゃないんだから、メッセージと一緒に焼いたらそうなるよな。」
「もう! 今日の家庭科はいいんだってばっ。」
にやにや笑いを浮かべる頼光に、香澄は赤い顔のまま睨みつけた。
「シリアスなお話しっ。いい?」
「おう。」
香澄は少し空咳をして唇をきゅっと結んだ。
「ライコウ、有松さんどう思う?」
「かわいい子だと思うよ。性格も良いし。」
「付き合ったりとかする?」
香澄は神妙な表情で頼光を見据えた。
「さあな。彼女は結構人気高いからな。今日の保健室搬送の後、野郎数名から絡まれちまったし。」
「え? そんなことがあったの?」
「あ、やべ。香澄、コレ内緒な。またケンカしたのがばれたら父さんから怒られちまう。」
「どこかケガとかしたの?」
「いや・・・殴られる前にヤっちまったから。」
バツ悪そうに頭を掻く頼光に香澄の緊張は一気にほぐれた。
「そうね、ライコウってば取り押さえたコンビニ強盗の顔に、あつあつのおでん汁かけるヒトだもんね。」
「ああ、あの時は気が動転してたから・・・」
「動転しててトドメ刺せるんだ。お巡りさんからめっちゃ怒られてたじゃん。」
幼なじみの二人はバスが到着するまで、お互いの肩先が触れるぐらいの距離に近寄って、いつものようにおしゃべりしていた。
約五分のバスの旅を終えて鴻池駅バスステーションに到着した二人は、東方向の丘陵地に見える御影石の大鳥居に向かって歩いて行った。
「ライコウ、バイトは?」
「今日は休み。だけど五月の菖蒲祭に向けての舞の稽古があるんだ。」
「へ~。神社の息子は大変ね。」
「宮司の息子だってば。」
「今年も見に行くね。」
「歌舞伎じゃないんだから、今年は名前の掛け声はやめてくれよ。」
おしゃべりしながら鳥居前公園にさしかかった。公園の噴水は今日もきらきらと光のオブジェを放っている。
歩幅を合わせて隣を歩く頼光をちらちらとうかがいながら、同じタイミングで繰り出されるお互いの革靴を見て、香澄は嬉しそうに微笑んだ。
「靴、どうかした?」
「ん? ううん。同じ様に右足、左足がそろって出るから面白くって。・・・そういえば、ライコウ。高校になってから通学にずっと革靴だね。」
「よく見てるな。まぁ、この制服にはスニーカーよりこっちだよな。香澄だってそう思うだろ。」
「へ~。高校になってシャレッ気出たんだぁ。」
香澄は悪戯っぽく笑った。
「人聞きが悪いな。いつも隣に居るのはそれなりの格好出来るヤツが良いだろ?」
「え? ま、まぁ・・・ね。」
ずっと一緒に居てくれるの?と言いそうになったのを飲み込んで、ぎくしゃくした笑顔を返した。
(ライコウってば時々すらっと、すごい事言うから怖いのよね。)
しばしの間、沈黙しながら同じ歩調で公園を進む。
「あ、あの、あのさ。」
「ん?」
香澄のいつもと違う様子に、頼光は不思議そうに返事をした。
「有松さんの事なんだけど・・・彼女、恋愛対象になる?」
「う~ん。嫌う理由は無いな。」
「そうなんだ・・・」
香澄はふうっと小さく息をついた。そして少し歩く速度を上げて頼光の二・三歩先に出て斜め上を見上げた。
藍みがかってきた空には帰路を急ぐ小鳥の群れが飛んでいた。
「ライコウさ、またカノジョとか欲しいって思わないの?」
「ん? 何、急に。」
「いや、その。ほら、高校になって、あちこちで恋バナとか耳にするようになったじゃない?」
香澄は視線をわざと反らせた。
「興味は無いことは無いけど・・・付き合うんなら相手のコト良く知ってから付き合いたいかな。」
「え、ライコウにとっては、いきなり始まる恋ってのはダメなの? 麗奈さんの時は結構、電撃的な感じじゃなかった?」
香澄は軽く振り向いて頼光を見つめた。
「それを持ち出す? まあ・・・あの時の反省って訳じゃないけど、やっぱりお互い気心が知れてて、信頼し合ってる仲だと恋愛も長続きするんじゃないかなって思うんだ。」
頼光はなんとなく照れたような笑いを浮かべた。
「じゃあさ、例えば、幼なじみのシチュエーションとか・・・」
香澄は消え入りそうな声で言った。
「そうだな。そういうの良いと思うよ。香澄は?」
「あ、あたし? えっと・・・私もやっぱり相手のこと解ってた方が・・・いいかな。けどさ、女の子って外見がかわいいとかセクシーとかの方が、やっぱ、良いんだよね。」
香澄は上目づかいにちらりと頼光を見上げた。
「うん? 外見とか言うんなら香澄は完全に合格圏内だぞ。」
頼光はくしゃりと香澄の前髪をかき上げた。温かい手のひらがおでこに触れる。
「それとも何? 香澄、カノジョになってくれるの?」
頼光の優しい笑顔が香澄の瞳を射抜いた。
(うわぁぁっ! 反則的破壊力っ。)
一瞬で耳まで赤く染めた香澄は頼光の肩に手を当てて軽く押し戻した。
「や、や、やだなぁ。例え話じゃん、ほ、ほら、ライコウとあたし、その・・・友達じゃん?」
慌てて口にしてしまった言葉に後悔して、香澄はちらりと頼光に目をやった。
「そっか・・・」
少し寂しそうに頼光は視線を落としていた。
何とも言えない自己嫌悪にかられた香澄は、いたたまれなくなってきた。
「それじゃライコウ送ってくれてありがと。お稽古がんばってねっ。」
わざと明るい声で叫んで頼光の両肩をばんばんと叩くと、大鳥居のふもとから東西に伸びる小道を東に駆け出して行った。
「あぁ、また明日。」
頼光は右手を軽くかざし、小さくなって行く後ろ姿を見送った。
一息ついて頼光は大鳥居に向き直り、一抱え以上ある太い御影石の鳥居柱の間をくぐる。その時、左側の柱の陰に白っぽいモノが視界の端に映った。
咄嗟に身構えて目を凝らすと、そこに例の「狩衣」が立っていた。
「またか。」
頼光が臨戦態勢に入ると、その狩衣は袖の中から和紙を折りたたんだ書簡と土鈴を、にゅっと突き出した。受け取れと言っているようだ。
頼光は用心しながらそれらを受け取り、内容に目を通す。
『頼光くんへ 相談したき事がある故、源綴宮の天狗社前に来られたし。来られた証に、その土鈴を鳴らされよ。』
いぶかしげな表情で顔を上げると、そこにはすでに狩衣の姿は無かった。和紙を広げてさらに書いてある文を読む。
『・・・なお、この書簡は自動的に消滅する。玄昭』
どういうことだと思った瞬間、その書簡は火を吹いて燃え上がった。
「うわっ、熱ちっ。スパイ大作戦じゃないってんだ。」
火を踏み消しながら毒づいた頼光は、大鳥居から続く石段を見上げた。
二百二十段の石段を登り終えると左手側に朱色の鳥居が建ってある。
朱の鳥居をくぐって、敷石の参道を進むと手水場があり、そこを過ぎると左右に矢大臣を配した大きな参門にたどり着く。
その参門をくぐって十二段の石段を上がると、正面に拝殿が姿を現す。
拝殿の両側には山桜の大木が葉を茂らせている。
花の盛りには見事な景観が拝めるとのことで初詣に次ぐ人数の参拝者がやってくる有名なお花見スポットでもある。
来る五月五日の菖蒲祭の為に拝殿前の広場には神楽壇が組まれていて、雨よけのブルーシートが被されていた。
神楽壇と拝殿は、エプロンステージの様な通路で繋がれていて、ここを通って巫女や舞手が拝殿から移動して舞を披露することとなっている。
拝殿を右手に見ながら回り込むように敷設された敷石に従って歩いて行くと、朱塗りの小ぢんまりとした社が見えてくる。
その社の左側に由来書きを記した立て看板が掲げられていた。
『天狗の社 愛宕の山に住まう魔王尊を頂点とする天狗一族を祀る社。当宮が建立される頃からあった天狗信仰の参拝の場としての歴史があります。
無病息災・家内安全・子孫繁栄・武芸上達 の御利益があるとされています。』
頼光は社の前に立った。渡された土鈴をかざして振ってみる。
ちろりろりんきろりろりんと柔らかく澄んだ音が響く。
特に誰もやって来る様子も無い。
「かつがれたかな。」
頼光がそこから退こうとした時、周りの景色がぐにゃりと歪んで全身が浮遊感に包まれた。
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