第6話
美幸は椎名と一緒にエゾマツの並木道を登校していた。
美幸の色白の肌は少しくすんだ感じであまり体調は芳しくないように見えた。
「・・・でも、無理しなくても良かったんじゃない? もう一日ぐらい休んでも。」
「ううん。ずっと家に居たら余計に気が滅入っちゃうわ。夢見が悪いのも安定剤なんか飲んでるせいかも知れないし。」
美幸は笑顔を作り、首筋の虫刺され跡をポリポリと引っ掻いた。
「強がってもだめよ。美幸とは何年友達やってると思ってんの? ちょっとでも調子悪いって感じたら早退しなさいね。」
「うん。ありがと、心配してくれて。」
並木道から体育館の前の広場を過ぎて校舎南館に向かう。
校舎入口にはその館を使う生徒用の靴箱がクラスごとに区分けして設置してある。
基本、南館が一年生、中館が二年生、北館が三年生の校舎になっている。
教室は入口から近い順に六組から始まり一番奥が一組となっている。
「それじゃ、美幸、またね。」
椎名は手を振って三組の教室に入って行き、美幸は一組の教室に向かって歩を進めた。
二組の前を通り過ぎる時に空いている窓から教室の中をちらりとうかがう。教室内にはまだ頼光の姿は無かった。
(また皆本くん、駆け込みかな。)
ふっと笑みを浮かべて正面を向くと体育館につながる渡り廊下から、頼光が歩いて来ているのが見えた。
「あ・・・」
絶句して立ち止まる美幸に気づいた彼は、愛想よく手を振った。
「やあ、おはよ。美幸ちゃん。」
「あ、お、おはよう、皆本くん。今日は早いのね。」
「う、僕の駆け込み、一組でも有名なの? まいったな。」
頼光は情けない顔をして頭を掻いた。
「あ、そんなつもりじゃなくて・・・その・・・」
「そう言えば、調子はもう良いの? まだ顔色とか良くないよ。」
頼光は美幸の顔を見ながら首を傾げた。
「え・・・さっき椎名にも言われた。あ、椎名って友達なの、三組の。そんなに悪い?」
「昨日、紗彩ちゃんとお店に来ておしゃべりしてた時に比べると良くないよ。あんまり寝てない?」
「うん。眠ると怖い夢見て、すぐ目が覚めちゃうの。多分、薬のせいだと思うんだけど。」
「う~ん。あんな事件の後だからかな。熱は無いよね。」
そう言って頼光は右手を美幸の額に当てもう一方の手を自分の額に乗せた。
「うん、大丈夫そう。じゃ、今日の体育の時に、またね。」
「う、うん・・・」
にっこり笑って手を振った頼光は二組の教室に入って行き、その様子を美幸は半ば呆けた感じで見入っていた。
「あ、おはよー美幸。どうしたの?」
一組の教室から出て来たクラスメイトが美幸を見つけて声をかけた。
「う、ううん。何でもない。」
「そう? 顔赤いよ、熱でもあるの? 無理しちゃだめだよ。」
「あ、ありがと。」
(皆本くんて、天然なのね。)
美幸は深呼吸して教室に入って行った。
一時間目の古文。『徒然草』の第四十五段「榎木の僧正」を教材に授業を進めていた。
「それじゃ、この文をかるく皆本、読んでくれ。」
「はい。・・・公世の二位のせうとに良覚僧正と聞こえしは、極めて腹あしき人なりけり。坊の傍に大きなる榎の木ありければ、人、榎木の僧正とぞいひける。この名然るべからずとて、かの木を伐られにけり。その根ありければ『きりくひの僧正』と言ひけり。いよいよ腹立ちてきりくひを掘り捨てたりければ、その跡、大きなる堀にてありければ・・」
一通り原文を読みあげ着席する。
「うん、きれいに読めておる。皆本は古文、得意なんだな。で、今の朗読の最初の方にあった『せうと』って言うのは、お舅(しゅうと)さんのことじゃないぞ。『せうと』とは『背人』と書いて兄を意味する言葉だ。」
古文の教師は黒板に書き付けながら古語の講釈と使用文法の説明を始めた。
「榎木の僧正とぞいひける、の『ぞ・・・ける』はワンセットで使用する言葉で、ここの部分を強調したいと言う表現手法だ。これは古文によく出てくるから筆者がどういう意図でこの表現を強調したいかと考えながら読んでみると結構面白いぞ。それにこれはテストにも出すからな。」
テストに出ると言うセリフで一斉にノートを取るのはいつの世でも同じだろう。
生徒達はカリカリとノートに記述をしている。
頼光もノートをしていたが、何か視線を感じ、右後ろをちらりと振りかえった。
右後ろの席の香澄は慌てて目を反らして、手元の方を見つめた。
頼光と香澄の延長線の先の廊下側の柱に、10cm程のヤモリが貼りついていた。
頼光の視線が向けられるとすぐに、このヤモリはするすると天井方向に登って柱の向こうに姿を消した。
『さすが天狗の子、気が付いたか。半妖とは言え、なかなかあなどれんな。』
頼光の頭の中に子供のような甲高い声が響いて来た。
(禎茂さんの式神のショウケラだな。)
頼光は頭の中で言葉を作った。
『ああ、憶えていてくれたかい。しかしこんな所で延暦寺後の良覚僧正のコトを聞くとは思わなかったよ。まぁ、あのじいさん、和歌は上手かったが気位が高かったからな、あんまり好きにはなれなかったなぁ。それと、弟の藤原公世は抜群に笙が上手かったのも思い出したよ。』
(で、学校見学に来た訳じゃないんだろ?)
『ああ、昨晩は災難だったな。その件に関わる事なのだが、あの鞍馬の鬼狩りが追っている妖が、一昨日朱雀淵公園での騒動と関わりがあるそうだ。その第一発見者を探りに来ておったのだよ。』
(それなら隣のクラスだよ。)
『知っておる。有松美幸という娘だろ。あの娘からわずかだが、妖というか何かの呪詛のニオイがする。それに先ほどお主が触れた右手からも、かすかに移り香がする。』
頼光は思わず右手を嗅いだ。
『まぁヒトには判らんだろうて。だからこれは親切心で教えておく。あの娘は妖に魅入られておる。注意することだな。』
(どうすれば良いんだ?)
『どうするも何も、それはお主次第という所だ。この間の蟲の件のように潰してくれるも良し・・・』
「で、皆本、この話しの寓意は何だと思う?」
突然の話題振りにびくっとなって頼光はこめかみを指で軽く叩いた。
「え~と、人間何と呼ばれようが、そんな事より中身の方が大切だってトコでしょうか。」
「ふむ。良い所を突いているな。吉田の方をよそ見していたから聞いてないかと思っていたぞ。さて、冒頭にでてきた公世というのは、日本史でも習ったあの藤原氏の系統の家柄だ。藤原北家の閑院流滋野井家の分家筋で『八条』の姓を名乗って・・・」
クラスのくすくす笑いに頬をぽりぽりと引っ掻いてちらりと香澄の方を向くと、香澄は真っ赤になって教科書を凝視していた。
(ショウケラ?)
いくら念じても返事は返って来なかった。
(さて、どうしたものかな・・・)
頼光はぼんやりと黒板を眺めた。
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