第5話


 清々しい朝日がカーテンを開けた窓から差し込む。

 香澄の電話で、いつもより早く起こされた頼光は普段よりゆっくりと登校前の準備を進めていた。

「そういえば、今日は一組との合同体育だったな。」

 道場の空手着をボストンバックに詰め込みながら独り言を言ってハンガーに吊ってある赤いジャージを手に取った。


 明芳学園の服装には『学年色』なるものが制定されていて、今年入学した学年は「赤」、二年生は「青」、三年生は「緑」となっており、体操服はもとより制服のボタン、ネクタイ、スカートのチェック柄もそのように統一されている。


 鏡の前で、ナポレオン・スタンドカラーの制服を着込みネクタイの結び目の位置を整えた頼光は、学生カバンとボストンバックを担いで机のパソコン横に置かれた写真に目をやった。

 そこには長い黒髪で色白の、赤い瞳をした美女が危なっかしい手つきで赤ん坊を抱いて微笑んでいる姿が写っていた。

「じゃ、行ってきます。母さん。」

 自宅から出て朱鳥居の前に差しかかると、巫女姿の女性が竹箒で参道を掃き清めていた。

「おはようございます。美智子さん。」

「あら、おはよう。今日はちょっと早いのね。」

 竹箒の手を止めて巫女、河合美智子は挨拶を返した。すらりとした長身の女性で、黒髪を後ろに束ねて和紙の髪結いを作法通りに巻いている。

 猫目気味の目を細めて愛想良い笑顔を向けた。

「香澄からの電話で起こされてね。おかげでバスが一本早いヤツに乗れるよ。」

「そう。じゃ、下の大鳥居で待ち合わせなの? 相変わらず仲良いわね。」

「まぁ、幼稚園ぐらいからの付き合いですから。それにさっき、香澄のおばさんから忘れ物届けて欲しいって連絡もあったし。今日は香澄、朝練だからちょっと体育館のぞいてやろうかと思って。」

「そう。香澄ちゃん、驚いてシュート外すかもよ。それじゃ、いってらっしゃい。」


 頼光は二百二十段ある石段を、いつものように一気に駆け下りて行った。

 石段の脇の斜面の雑木林が春の風を受けてさわさわと心地よい音を立てて、木漏れ日をちらちらと石段に投げかけていた。

 大鳥居の下に着いた頼光は、そこから東に伸びる小道に進路を取った。

大鳥居から駆け足で二~三分行き、赤い屋根の一軒家の前で息を軽く整えると『吉田』と書かれた表札の横のチャイムを鳴らした。

 しばらくしてリラックマの黄色いトートバックを手にした香澄の母親が玄関から姿を現した。

「ごめんなさいね、頼くんにこんな事を押しつけちゃって。」

「いえいえ、同じクラスだし席も隣みたいなものですから。それに苦手教科に近寄らないなんて、香澄らしいですね。」

「そうね、あの子去年は家庭科『2』だもんね。誰に似たのかしら。」

 苦笑いする母親から手荷物を受け取って頼光は駅に向かって来た道を引き返して駆けて行った。

「頼くんが香澄のカレシなら私も安心なんだけどな。香澄、早く告らないと、また中二の時みたいに誰かに取られちゃうんだぞ。」

 頼光の後ろ姿を見送りながら香澄の母親は独りごちた。



 明芳学園高等学校の赤い鉄製の正門から真っすぐに五十メートル、エゾマツの並木道がしつらえてある。

 並木道の両側には自転車通学者用の屋根付き駐輪場が設置されていてバイク通勤の教師達もここを利用している。

 並木道を突っ切った正面に、大きな校章の掲げられた体育館があり、その右側奥に和風な外観の格技場が建っている。

 今朝の格技場からは竹刀の打ち合う音と威勢の良い掛け声が響き、体育館からはボールの弾む音と床がシューズで擦られる、きゅっきゅっと言う音が響いていた。

 白地に赤のリブの付いたVネックのラグラン仕立ての半袖に、赤に白サイドラインのハーフパンツ姿の女子バスケ部員が赤ゼッケンと黄色ゼッケンに分かれての模擬戦を行っていた。

 背の高いバスケ部員の中で155cmの香澄は取り分け小さく見えたが、俊敏な動きと非凡な跳躍力は他のメンバーを圧倒していた。

 相手の死角から飛び込んでボールを奪う技を得意とする彼女は、中学時代のバスケ部を地区優勝に導いた主戦力であり、決勝戦で見せたダンクシュートは観客を含め審判をも驚かせた伝説となっている。

 赤チームがスローインからのドリブルで仲間にパス回しをしてゴールに迫る。

 スリーポイントラインを股ぐあたりで相手チームを撹乱しようとバックパスを放った瞬間、そのプレイヤーの影から黄色ゼッケンを付けた香澄が飛び出した。

 ボールを奪った彼女は、一気にドリブルで敵ゴールに向かって駆けて行く。

 赤チームのディフェンスを軽やかにかわして独走する香澄は、フリースローラインの白線あたりからボールを抱えて床板を強く踏み鳴らし、大きく跳躍した。

 ボールを大きく振りかぶって、バスケットのあるバックボードを睨みつける。


 そのバックボードすぐ横のテラスに立っている頼光とばっちり目があった。

「!」

 力んで放ったショットはバスケットのリムに当たり、香澄の顔面を直撃した。

「あっ! 香澄撃墜。」

 その時、ちょうどピリオド(試合時間)を告げるホイッスルが鳴った。

「っ・・・誰のせいよっ!」

 涙目で鼻を覆う香澄は、テラスの上から覗き込む頼光を睨みつけた。

 チームメイト達はケラケラと笑いながら香澄の肩を支えた。

 程なく朝の練習が終わり解散の号令が出ると、香澄はテラスから降りて来た頼光の所へ小走りに駆けて行った。

「何してんのよ。」

「見学。」

「気が散るから来ないでって言ったじゃん。」

 香澄はちょっと困った顔をした。

「ちょうど朝練終了時間に着いたから、ちょっと香澄の雄姿を拝見しようと思って。けど、すごいな。香澄、あんなにジャンプ出来るんだ。」

 頼光は悪びれる風も無く、にこにこしながら香澄の頭を撫でた。

「え、と。あの、それじゃ、着替えとシャワーがあるから行くね。」

 香澄はチームメイトの視線を気にして、ちょっと身をよじった。

「ああ。邪魔しちゃったな。それじゃ、先に教室に行ってるから。」

 そう言って頼光は、軽く手を振って体育館の扉から渡り廊下に歩き出した。

「かすみー。カレといちゃついてないで、早く着替えちゃいなよー。」

「か、かれじゃないもんっ。」

 香澄は両頬をぴしゃりと叩いて、女子シャワー室へと走って行った。


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