第4話


 夜九時過ぎ、バイトを終えた頼光は駅方面に向かって歩いていた。

 雪月花のある駅前の、鴻池ショッピングモールと呼ばれる区画はテーマパーク風の商業区域になっていて街灯が明々と点いており、移動には全く事欠かない。

 会社帰りのサラリーマン達やOLさん達が、ちょっと一杯とかウインドウショッピングとかをやっていて結構賑わっている。

「あら、ライコウ。今帰りぃ? お三味線(しゃみ)の稽古じゃ無いのね、この前始めた甘味処のバイトかしら。」

 頼光が声の方向を振りかえると、さらさらのボブヘアをした男の子が手を振っていた。

「やぁ、オミ。オミはバンドの帰りだね。」

「そうなのよぉ。今日は佑理・佑美のトコと合同で練習しちゃったの。なんかこういうのってシンセン♪」

 おネェ言葉でゴキゲンで話す男の子、篠崎(しのざき)正臣(まさおみ)はベースのバッグを担ぎ直した。

「佑理・佑美って言うと、この前紹介してくれた服飾デザイン科の双子姉妹だね。たしかオミと同じ雑誌のモデルやってるって。」

「そう。JUST今月号のストリートスナップに、あたしと一緒に出てるから見てみてね。あ、そうだ。明日からガッコの空手部に混じって練習よね。道場の空手着、持って行く?」

 二人は駅に向かって歩き出した。

「ジャージでも良いんだろうけどなんか格好がつかないから、僕は道着を持って行くつもり。オミは?」

 並んで歩く頼光は正臣を見上げた。

「もちろん、見た目って重要よね。体操服とかじゃカッコ悪いですもの。ま、ライコウが意外に参加するって言うからあたしも高杉センセの申し出受けたんだけどさ。」

「受験が終わってからだから・・・八か月ぶりに道場復帰だからね。身近に目標があると練習にも張りが出るってヤツだよ。」

「ライコウってば、見かけによらず武闘派なんだからっ。」

 正臣は泣きボクロのある左目を艶っぽくウインクして見せた。

「そのセリフ100%お返しするよ。」

 二人は談笑しながら駅前噴水広場に到着した。夜のモニュメントはライトアップされて、きらきらと水の造形を奏でている。

 同心円状に配されたベンチには、光と水の演出を楽しむカップル達が身を寄り添わせて自分達の世界に浸っているので、そうでない者はベンチを遠巻きにしている。

 正臣が駅構内に消えるのを確認すると頼光は自宅のある大鳥居の丘に向かって歩を進めた。



 源綴宮(げんていぐう)。鴻池駅から歩いて五分の丘陵地にある、全高五メートルの御影石製の鳥居が目印の神社。

 この界隈の人は大抵、初詣には訪れる有名なスポットである。

 延喜式外の社ではあるが、平安後期から続く由緒ある神社であり、美と織物の女神コノハナサクヤヒメを主祭神としてお祀りしている。

 頼光は大鳥居の前にある公園にさしかかった。ここにも駅前広場程ではないが噴水があり、街灯と月の光を受けてきらきらと輝いている。

 そう広くはない公園の周囲を、囲むように植えられたツツジの植え込みが赤や白の花を付け、薄い青色の夜景に彩りを添えている。

 大鳥居のふもとに着くころ、頼光の携帯電話が着信を告げた。

 『吉田香澄』と表示された画面を確認すると二つ折りに畳んだ携帯電話を開いた。

「もしもし。香澄?」

『やっほ、ライコウ。もう帰った?』

 元気の良い香澄の声が耳に響いた。

「ああ、今、大鳥居のトコ。香澄はもうごはん終わった後だよな。」

『もちろん。バスケした後はお腹空くもん。ダイエットとか言ってたら倒れちゃうよ。』

 頼光は丘の頂上まで続く二百二十段の石段を昇りながら香澄と話しを続けた。

 疲れた後の昇り階段でも香澄とおしゃべりしながらでは、苦には感じられない。

「・・・そうそう、さっき駅のトコでオミに会ったよ。バンド帰りだって。」

『そう言えば、オミとは学科が違っちゃったから中学の時みたいに頻繁に会えてないな。元気してた?』

「ああ、相変わらずのオネェぶりだぜ。例の佑理ちゃん・佑美ちゃんと一緒に練習したってゴキゲンだったよ。」

『あ、あのゴスロリ姉妹ね。あの子達、かわいいし性格も良いから一緒に居て楽しいよね~。』

「今度ギグが決まったら教えてくれるってさ。香澄、一緒に行こうぜ。」

『うん。嬉し・・・と、そ、そうだ。ライコウ、高杉先生に呼ばれてたじゃん。どうだったの?』

 香澄は取って付けたような質問を返した。

「ん? このゴールデンウイークに高校運動部の交流大会があるから参加してくれないかってさ。」

『それってウチのバスケ部とかも出るヤツじゃん。で、今回も断ったの?』

「いいや。今回は出る事にした。」

『え? 珍しいわね。このまま空手部に入っちゃうつもり?』

「とりあえず今回だけだよ。久しぶりに腕試ししたくなったし。」

『意外と武闘派なんだから。』

「それ、オミにも言われた。それで、バスケ部って規定下校時刻ぎりぎりまでやってるだろ?」

『ん? そうだよ。』

「空手部もそうなるから、一緒に帰ろうぜ。」

『ええっ♡ いいの?』

 思わず歓声を上げた香澄は取りつくろうように咳払いをした。

「バイトのある日は駅のバスステーションまでだけど、そこからこの鳥居前公園まですぐだから大丈夫だよな。」

『なによぉ、子供じゃないんだから。』

「いや、変な事件があったばっかりじゃん。気を付けないと。」

『あれ? ライコウ、心配してくれてるの?』

「もちろん。大切な香澄のことなんだから。」

 耳元で響く言葉に香澄は一瞬息が止まった。

「で、待ち合わせは校門のトコでいいよな。」

『・・・』

「香澄?」

『うっ、うん。待ってるからっ。』

 香澄は平常を装おうとして声を絞り出した。

「いや、多分待つのは俺の方になると思うぞ。」

『あ、そ、そうだね。えと、じゃ、ライコウ、疲れてるんだから、早くごはん食べて休まなくっちゃね。』

「賄(まかな)いで蕎麦(そば)食べたからそれは大丈夫だけど。香澄、どうしたの? 何か慌ててるみたいだけど。」

 そりゃ慌てもするわなと思いつつ、香澄は深呼吸して言葉をつなげた。

『う、うん。今、下から母さんに声かけられたから。ちょっと・・・』

「あ、何か用事? それじゃ、また電話くれよ。」

『う、うん。それじゃ、また。』

「ああ。じゃな。」

 電話を鞄にしまい込むと、そこはもう参道の石段の頂上であった。

 右方向に行けば植え込みと荒削りの御影石柱を周囲に配した白い壁の自宅があり、普段なら真っすぐ自宅に向かうのだが、頼光の視線は左手側の源綴宮の本社に向かう朱の鳥居に釘付けになった。

 朱の鳥居の前に白地に桔梗紋の浮かし織の「狩衣」が着用者も居ないのに片膝を突いて「座って」いた。

 この狩衣は、うやうやしく一礼をすると、横に伸ばした右袖から三尺程の白木の棒を吐き出し、手の無い袖でその棒を右に構えた。

「ちょっと待て。何なんだ、一体?」

 頼光は訳の判らないまま荷物を放り出し、左手刀構えを取った。


 六尺棒や槍といった長い武器と違い、短い棒は棍の様に片手でも素早く扱える武器であり、体術との併用により意外と多彩な攻撃が可能な、あなどれない得物である。


 飛びかかって来た狩衣は、右に構えた位置から左逆手に棒を振り上げる。

 頼光は相手の得物側にステップしながら腰を落とし、棒のスイングをかわす。

 返す刀で狩衣は棒を真横に振り、頼光のこめかみを狙う。

 頼光は右手を鉤型にして相手の握り手の袖口に掛け、体をひねりながら肘辺りに向かって左掌底突きをねじ込んだ。


 「肘折り」の技が決まり相手の得物が宙を舞う。


「そ、そんなばかな。」

 布の中に手ごたえを全く感じなかった頼光は、驚愕の色を浮かべて間合いを広く取った。

 宙を舞っていた白木の棒が、朱の鳥居向こうの飛び石に当たってからんと音をたてると同時に、狩衣は素手の構えで迫って来た。

頼光は振り回される袖をかわして胸部と腹部にワン・ツーの連突きを放ち、斜め後ろにバックステップした後、腰を落とした低い位置から右脇腹背面に左回し蹴りを放った。

 ばすんと布団を叩くような音がして、狩衣が右方向に流れる。

 くしゃっとなった布は再び風を取り込んで人の着用形に形を整えた。

「ちぃっ。全然効かない。」

 いまいましそうに舌打ちして、頼光は狩衣の蹴りをかわし、朱の鳥居を背にする形で向き合った。

 真正面から飛びかかってくる狩衣の攻撃を受け流し、そのまま袖を掴んで敵を朱の鳥居の柱に打ちつけた。


 またもや中身の無い布が、くしゃりと柱にへばり付く。


 頼光は柱の外周を回って袖の端を引っ掴み、袖布同士を堅結びに結わえつけた。

 空気を取り込んで人型に回復した敵は身動きが取れずにそのままじたばたしている。

不意に頼光の後方の頭上から野太い笑い声が響いてきた。

「わはは。手助けしてやろうかと思っておったが、なかなかやるな。」

 驚いて身構えたまま声の方向を振り返ると、そこには身の丈三メートルは有ろうかという異形が立っていた。

 頭髪は無く、ぎょろりとした赤い瞳の眼を額、両頬、側頭部と、合計七つ持つこの異形は、耳まで笑いの形に裂けた口を嬉しそうにゆがめて、頼光の目線の高さに合わせて片膝を突いた。

「確か、禎茂(よししげ)さんの式神の『ナナツ』・・・」

「そうともさ。」

 ナナツは三本の左腕と二本の右腕を器用に腕組みして、愛想良く笑った。月の光に、胸から右脇腹の大きな傷を隠すように、アラビア風の装身具がきらきらと輝いていた。

「お主が騒いでいる音がそこの社務所まで聞こえてな。保昌(やすまさ)が我にお主を援護するようにとのことだったのだが、その必要も無かった訳だ。しかし、あの『親蟲』を倒した実力はこんなものではないだろう?」

 ナナツは、いたずらっぽく頼光を覗き込んだ。

 頼光が口を開こうとした時、人影が朱の鳥居の参道奥から姿を現した。

「全くだ。折角、『白鳳』の力を見られるかと思ったのだが。出し惜しみかな、頼光くん。」

 がっちりとした体格の男性が月光に照らされた。アーティスティックに整えた短い顎髭を撫でながら、朱の鳥居に近づく。

 もがいている狩衣の柱の上部に貼られた千社札風の和紙をはがして、それにふぅっと息を吹きかける。


 途端に狩衣は動きを止め、そのままくしゃりと崩れ落ちて小麦粉が散るように霧散して姿を消した。


「あなたが仕掛けたんですか?」

 ムッとした口調で頼光はその男を睨みつけた。

「いや、悪かった。俺は鞍馬の鬼狩り、玄(げん)昭(しょう)。退魔壇の勅の遂行に必要かも知れんと思って、君を試させてもらったよ。」

「オトナは勝手ですね。」

 すぐに朱の鳥居の参道から、神職の衣装を着たがっしりとした体格の男性と長い黒髪を後ろで束ねた細身の青年が駆けて来て、頼光の傍らに立った。

「すまない、頼くん。僕がすぐ傍に居ながらこんな事になってしまって。」

「・・・いえ。禎茂さんが謝ることじゃないですよ。」

複雑そうな顔で禎茂保昌(よししげ やすまさ)と話す頼光の前に、神職衣装を着た男性、頼光の父親 義晃(よしあき)が玄昭との間に割って入った。

「正規の鬼狩り衆であろうがなかろうが、私の息子にちょっかいを出すようなら、本気で相手になるぞ。」

「い、いや。『雷帝』とコトを構えるつもりは無いですよ。俺もまだ命は惜しいですからね。」

 睨み据える眼光に口ごもりながら、玄昭は両手を開き取り繕おうとした。

「父さん・・・」

「頼光は家に戻っていなさい。どういう事か、話はしっかりと聞かせてもらうつもりだ。」

 ぽんと頼光の肩を叩き、義晃は保昌と玄昭を伴って参道の奥、社務所の方へと消えて行った。

「さて、我も消えるとするか。お主と関わっておると面白い事が多く起こる。それに・・・」

 ナナツは頼光に顔を近づけて、くんくんと鼻を鳴らした。

「それにどこで付けて来たかは知らぬが、天狗とは違った妖のニオイがするぞ。何かあったら保昌に相談すると良い。我の楽しみも増えるのでな。わははは。」

 豪快に笑うとナナツはすっくと立ち上がり、五本の腕を広げてふわりと宙に舞い上がった。

「では、またな。」

 そう言うが早いかナナツは上空の闇に向かって一気に加速して姿を消した。

「ふぅ・・・ま、こんなコトが普通に起こってるなんて、香澄に言っても信じてくれないだろうな。」

 頼光はぽりぽりと頭を掻いて自宅へ向かった。


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