第18話 イギリス商館(平戸)はいつ閉鎖されたのか?(メモ)
イギリス商館の閉鎖は元和9年(1623)11月、が一般的だが、次の一文では、その前年(元和8年)とされる。
「イギリスも1613(慶長18)年に平戸商館を開いた。クローブ号の司令官セーリスは家康から浦賀での商館開設を勧められたが、やはり平戸で開設し、コックスが商館長となった。/…なぜ平戸を選んだのか。もともとオランダもイギリスも、東洋貿易のねらいは中国においていた。日本に商館をおくのはその足がかりにしようというもので、平戸がその適地とされたのである。こののちオランダは台湾ゼーランディア城を中国貿易の基地とした。しかしイギリスはオランダとの競争に敗れ、1622(
以下は全て「1623年」
「1623(元和9)年11月13日、イギリス、平戸の商館を閉鎖して日本から撤退」(『江戸時代年表』小学館)
「1623(元和9)年11月、イギリス人、平戸商館を閉鎖、日本を去る」(『日本史年表』東京学芸大学日本史研究室編 東京堂出版)
「1623年(元和9)11月 イギリス、平戸の商館を閉鎖」(『日本史総合図録(増補版)』山川出版社)
「1623年 イギリス、平戸の商館を閉鎖」(『日本史年表・地図』吉川弘文館)
…その他いくつかの辞典など調べたが、やはり同じ「1623年」だった。
冒頭の一文は和暦まで載せているので、誤植とかではなかろう。
尚、「元和9年11月12日(1623年12月23日/1624年1月2日)イギリス商館は閉鎖され、コックスらイギリス人商館員は翌日に日本を去った」(『イギリス商館』ウィキペディア)によれば、『江戸時代年表』と日付が「一日」異なる。商館を閉鎖したのが「元和9年11月12日」であり、撤退(館員の退去)が「11月13日」とすればつじつまが合う。
閉館翌日に退去、というのはあまりにも素早い。素早すぎるので、ひょっとしたら、閉館の「決定」が前年だったのかも知れない。そのように考えれば、残務整理としては十分な期間だったと言える(ちょっと真面目に考えれば、「1622年」説の方が、より真実味がある?)。
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