第17話 イルクーツク日本語学校の設立年は?(メモ)

イルクーツク日本語学校はいつ設立されたのか?


私が知る限り、以下の2説があった。

⑴「1767年イルクーツクに日本語学校設立される」(『日本史総合図録(増補版)』山川出版社)

⑵「1768年[露]イルクーツクに日本語学校建つ」(『日本史年表』東京学芸大学日本史研究室編 東京堂出版)

「1768年 イルクーツクに日本語学校を建つ」(世界史年表・地図 吉川弘文館)


ところが、後に購入した、同じ『日本史総合図録(増補版)』(山川出版社)の年表(「増補版13刷(2007年1月20日発行)」)では、「1767年イルクーツク…」の項目がスッポリ抜けていた。「年代」もそうだが、どこを探してもこの「日本語学校」が出てこない(削除されていた)。

かつて参照した⑴の年表はそれより少し古く、「増補版9刷(2002年10月20日発行)」である。為にその頃、⑴と⑵のいずれが「正しい」か長らく悩んでいたのだが……「悩む」必要がなくなってしまった?(「1768年(設立)」が正しい?)。

削除理由は定かでないが、「失礼」な、罪作りな「年表」であろう。


それから10年後の1778年、ロシア船ナタリア号が蝦夷地えぞちに来て交易を要求した(翌年、松前藩拒絶)。大黒屋光太夫だいこくやこうだゆうがアリューシャン列島に漂流したのは1782年。彼は、サンクトペテルブルク(1703年、ピョートル大帝により建設された。1712年、モスクワから遷都した旧ロシア帝国の首都)まで行っているが、途中、イルクーツクにも寄っているらしい。1792年、その大黒屋ら漂流民を伴いロシア使節ラクスマンが根室に来航、通商を求めた(幕府拒否)。


ロシアと日本の関係を考察する為には、「日本語学校」の歴史はとても意義があり欠かせない一つと思われる。特に、日本に近い「イルクーツク日本語学校」の存在は、やはり重要な鍵であろう。

尚、以下の情報によれば、ロシア初の日本語学校は1702年頃に設立されたらしい。



以下、引用(一部抜粋)

「ロシアの日本語教育は、18世紀初頭にサンクトペテルブルクにロシア初の日本語学校が設立され・・・19世紀半ばまでは難破した漂着民を教師とする日本語教育が行われていました」(『日露青年交流センター』より)

「ロシアで日本語教育が始まったのは18世紀の初め、1702年です。・・・歴史上初めてロシアで日本語を教え始めたのは伝兵衛という人です。伝兵衛はカムチャツカの沖で遭難し、ピョートル大帝の命令を受けて1702年に日本語を教えはじめました」(Web Magazine『をちこち』より)

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