第15話 「箱根路」はいつ開かれた?(メモ)

「箱根路」はいつ頃開かれたのか?

「802年 箱根路を開く」(日本史年表・地図/吉川弘文館)とある。

長い間、私はこれを信じてきた。


しかし『日本古代史年表』(東京堂出版)には以下の記述がある。

「延暦21年(802)1月8日、富士山噴火。5月19日、富士山噴火のため相模足柄路を廃して莒荷路を開く【日本紀略】」

「延暦22年(803)5月8日、莒荷路を廃して足柄路を復興【日本紀略】」


「莒荷路」は、箱根路のことである(箱根:「筥根」「筥荷」「莒荷」)。「802年」だけを切り取れば、確かに初めて「箱根路を開」いたかのように読める。

しかし先の「吉川弘文館」にはその理由や箱根路のその後がなく、同802年の「富士山噴火」の記載もないから(「800年 富士山噴火」「864年 富士山噴火」「937年 富士山噴火、湖水を埋む」「1032年 富士山噴火」「1083年 富士山噴火」「1707年 富士山噴火(宝永山噴出)」はある)、箱根路は、それから栄えたのだろうと思っていた。それが、「箱根路を開く」理由が、富士山噴火の為だったことが分かった。しかも、翌年にはもう「廃して」いる。

そうなると、この年表の取り上げ方は如何にも不親切で誤解を与えかねないものと言わざるを得ない。

「理由」が分かると、次の疑問が浮かぶ。わずか数ヶ月で新たな道を切り開くなど、その時代に果たして出来たのだろうか?


そこで、次の論文に出会う。

「『延喜式』に駅名が記載されている10世紀以降の時代の駅路ルート・・・は直線的な箱根ルートをなぜ通らなかったか・・・足柄峠を越えていたことには数々の史料がある。・・・『神奈川県史』・・・を踏まえ、箱根路(莒荷路)が奈良時代から伊豆国田方郡と連絡する伝路であった可能性のあること」(『高速道路から見る古代駅路の路線位置の検討』武部健一 2001年度古代交通研究第11号/古代交通研究会 八木書店)


つまり箱根路は、新たに「開通」したのではなく、元々使われていた「可能性」がある。駅路としては、「足柄」経由が普通であった。

しかし、富士噴火で塞がれてしまった為、急遽「箱根」を正規ルートとして使うが、「駅」はなく、「足柄」復旧とともに元に戻した。・・・などと想像している。

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