第13話 政(後の始皇帝)の即位はいつなのか?(メモ)

前247年 不確かな(247) せいの即位は 深刻(秦国)で(5月)

前246年 西向246きの 追い風吹いて せい即位(5月)


「前246年5月、秦の荘襄王没。子の政(始皇帝)13歳で即位」(岩波書店『机上版 世界史年表』)を長らく信じてきた。初期の秦は中国の西方に位置するので、そこから中国を統一していく「風」を「西向き」と覚えた。「始皇帝(皇帝)」と名乗るのは、彼が中国を統一した前221年のことである(前259年〜前210年没)。


ところが、せいの「前247年」即位説が圧倒的に多い。

最初に覚えた「前246年」は、中国では(父)王の死後1年喪に服すという慣習があり、その解釈の相違によるものであろうか? と考えてみる。「紀元前246年、13才の若さで秦王に即位。紀元前238年には親政を始めた」(『毛呂山町』公式ページより)の記述もあるものの、圧倒的に少数派で、そのような注釈はない。

「前247年」説は、「前247年に13歳で秦王となる」(旺文社

『世界史事典』)、小学館『精選版日本国語大辞典』、『百科事典マイペディア』、『山川 世界史小辞典』など多数ある。


ところで、「荘襄王3年(前247年)5月に荘襄王は在位3年という短い期間で死去し、13歳の政が王位を継いだ」(Wikipedia『始皇帝』)もその一例であるが、違う項目(政の母『趙姫』について)では、「史書によると趙の出身であった(そのために趙姫と呼ばれた)……紀元前246年に荘襄王が死去して政が秦王になると王太后となった」(Wikipedia『趙姫(荘襄王)』)と書かれている。


史実はどちらか? 悩みは尽きない。

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